5「わたしの顔……変だった?」

「谷地くん、その腕の引っ掻き傷どうしたの?」


「ん?ああ、昨日木の枝に擦っちまったんだよ。それより、今日も練習しようぜ。本格的に役が決まったんだからさ」


 先日、劇の役を決めるオーディションが終わった。その結果、桜乃は無事に白雪姫の母親役を手に入れた。


「それにしても……思ったよりすんなりと決まったな。満場一致で桜乃だったじゃん」


「やりたい人が少なかったからだよ」


 桜乃は謙遜するように言った。確かに彼女の言う通り、白雪姫の母親役はあまり人気のある役柄では無かったためか、オーディションの立候補があまり多く無かったのも事実だ。何役でも良いからとりあえず舞台に立ちたいという者や、ネタ枠として立候補したお調子者の男子などといった真剣度の低い者が多かったのも否めない。しかしそれらの要素を全て差し引いたとしても、達巳の目から見て、桜乃の演技は群を抜いていた。


 例えどれほどライバルの数が多かったとしても桜乃がこの役を勝ち得ていたであろう、と達巳は確信していた。


「一見、穏やかで優しいお母さんって感じだったんだよな」


 手に持った台本のホッチキスどめ部分をトントンと指で弾きながら、達巳が思い返して言う。


 他の立候補者たちが、明らか様に意地悪でおどろおどろしい——あるいは過剰なまでに怪物や魔女のような演技をしていたのに対し、桜乃のそれは一風変わっていた。落ち着いた口調で、優しく鏡に語り掛けるその姿は一見、品のある貴婦人を思わせた。だが世界で一番美しいのが自分で無いと知った瞬間、声色が変わる。怒りか、あるいは恐怖心か、複雑な感情を内包した震え声。静かだが、どこか心の歪みを滲ませた口調は見る者を魅了し引き付けた。目元を覆う長い前髪もまた相まって不気味な雰囲気を醸し出し、さんざん練習に付き合っていた達巳ですら、思わず圧倒されて息を呑んだほどだ。


「お前、本番に強いタイプだろ」


「そ、そうかな……」


 桜乃は照れ笑いを浮かべた。池から顔を出した白眉もまた祝福の言葉を贈る。


「私も、小僧の身を通して見ていたよ。素晴らしい演技だった。どうやら君には才能があるようだね」


「そんな、そんな……」


「おい、無駄口叩いてる暇はねーぜ。本番の劇ではもっと凄いヤツを見せつけてやんなきゃな」


 師匠づらをした達巳が丸めた台本をぽんぽん、と叩いて指示を出す。ちなみに彼は裏方であり舞台に上がることはない。


「自分は出ないくせに、随分と偉そうな小僧だね」


「うるせークソ蛇」


 それからは慌ただしい日々が始まった。


 学校では通常授業と並行して劇の準備の時間が作られており、舞台に立つ者達は稽古、裏方は大道具を作ったり、照明や演出の相談をしたり、ナレーションの練習などをして、各々の役割に分かれて作業に励む。大道具の段ボールに色を塗りながら、達巳は少し遠くで稽古をする桜乃を見ていた。


(演者はやっぱみんな声張ってんな……こっちにもセリフが聞こえてくる)


——おい小僧、そこの色がはみ出していないかい?


 白眉の声を聞き流しつつ、達巳は思案を続ける。


(それにしても、桜乃の声だけ聞こえねえ。やっぱ声出しの練習はずっと続けていくべきだな……一番の課題だ)


——小僧、どんどん塗る場所をはみ出して行っているが大丈夫なのか


(っていうか、あの中に桜乃が普段つるんでるメンバーが全然いないんだけど、大丈夫か?あいつ、ちゃんと馴染めるのか?)


——小僧、もはや全く別の箇所を塗っているぞ


「おいコラ、やっちん‼よそ見してないでちゃんと塗れよ‼」


「うわ、悪ぃ‼」


 そのようなやり取りがありつつもやがて下校時間となる。学校が終わった後も達巳と桜乃はいつもの小さな池と祠のある秘密アジトに集まって自主練に励むのであった。


「谷地くんなんか怒られてなかった?」


「そっちまで聞こえてたのかよ。あいつ声でけぇからな……ってか、それに比べてお前の声は全然聞こえなかったぞ⁉」


「だって、緊張するんだもん……」


「何度も言ってる通り、まずは言ってることが聞こえないと何も意味ねーんだからな……っつーわけで、今日は声出しだ!なんでも良いから叫べ!」


「…………谷地くん、うるさーい‼︎何様のつもりぃーっ⁈」


「オレへの文句に味を占めるな‼︎」


 練習の合間の休憩時間には、白眉も含めた三人で台本を読みつつ演じる役の心情を考察する。この作業は達巳からするとあまり面白いものでは無く意義も分からないのだが、桜乃と白眉は役作りに必要な作業だとして熱心に取り組んでいた。


「ここ、お母さんはどういう気持ちなんだろう」


「そうだな……私が思うに、人の心には層がある。そしてそれを自覚している者はそうはいない。白雪姫の母親も自覚は無いのだろうが、この言動から察するに……」


「おい、良いからとりあえずやってみようぜ!本読んでばっかじゃ練習になんねーよ」


「うるさいね小僧。黙れ。必要な過程だ」


 やがて日が落ちはじめ、夕焼けに赤く染まる木々に囲まれながら、桜乃はラストシーンを演じ切った。PTAによる改変部分、白雪姫と母親の和解シーンである。練習相手として姫役を務める白眉に向けて、桜乃演じる白雪母は憑き物の落ちたような爽やかな笑顔を見せた。そこへ小さく風が吹いて、桜乃の前髪がゆらめいた。ベールが上がるように、桜乃の目元があらわになる。


「うわぁ!」


 慌てて隠す桜乃に、達巳は突っ込みを入れる。


「いや、隠すなよ」


「だって……」


「最後は笑顔なんだろ?目をちゃんと見せないと意味ねーじゃん」


「……」


 桜乃は恐る恐る、ゆっくりと前髪をかき上げた。目だけを露出して極力眉部分を隠しながらも、達巳を見つめて困ったように笑いかけた。


 彼女の笑顔から瞬時に目を逸らし、達巳は言う。


「よし、今日はもう帰ろう。暗くなったら危険だしな」


「えっ……ええっ⁈ねえなんでそっぽ向いたの?わたしの顔、変だった⁈」


「練習のしすぎで暑くなってきたからな……帰るぞ!」


「谷地くんは何もしてないじゃん……!」


「してるっつーの‼︎失礼だなおい!」


 やがて薄暗くなってゆく山道をゆっくりと歩いて帰る道中、達巳の口数はいつもより少なかった。


「谷地くん……」


「ん?」


 桜乃がおもむろに尋ねる。


「わたしの顔……変だった?」


「いや、だから変じゃねーよ。普通だ普通」


 そう答えた直後、達巳の頭にある考えが浮かんだ。劇のラストシーンの演出に関する、一案だ。

 

 それは、桜乃にしか実現し得ない演出であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る