後宮 8話

「あ、すみません。考えこんじゃうとそれに夢中になっちゃって」


 慌てて両手を振る朱亞シュア


 桜綾ヨウリンは、彼女の肩に手を置いて、ほっとしたように息を吐く。


「集中すると周りがみえなくなるんだな、そなた」

「そのようです。癖になっているみたいですね」


 村にいたときもそうだったと思い出し、朱亞は頬を軽く頬を人差し指で掻く。そして、飛龍フェイロンに顔を向けた。


「宦官の服は、燗流カンルーさんが用意するのですか?」

「ああ。大きかったら燗流にいえば良い。直すから」

「裁縫ができるのですか?」


 朱亞は目を丸くした。飛龍は頬杖をしてうなずく。


「器用だぞ、あいつは」


 どこか自慢げに見え、彼が本当に燗流のことを大事に思っているのだと感じた。


 家族愛、というものがあるのだろう。そのことに、桜綾も気付いている。


「陛下は家族を大切にする方なのですね」

「その言い方だと、余がまるで誰も大切にしていないようではないか?」

「陛下のことはあまり、耳に届きませんでしたから……」


 桜綾は扇子を広げて目元を細めた。


 その様子を見て、朱亞はぽんっと手を叩いてからふたりに頭を下げ、自室に下がろうとした。


「朱亞?」

「おふたりで過ごしたいですよね。夫婦ですもの」

「夫婦……」


 桜綾がその美しい顔の表情を崩す。その様子に眉を下げながら、そそくさと部屋から出ていく。


(そもそも普通の夫婦、というのも知らないしなぁ)


 桜綾と飛龍がどのような夫婦になるのか想像しようとしたが、ふと自分が『普通の夫婦』というものを知らないことに気付いた。


 狍鴞ほうきょうに襲われたあとに訪れた宿屋で、新婚夫婦は見たけれど。あの咳をしていた男性は大丈夫だろうか。せっかくの旅行なのだから、完治して夫婦一緒に楽しんでいれば良いな、と朱亞はぼんやり考えながら歩きだす。


 掃除に夢中になっていて忘れていたが、荷物の整理もしなくてはいけない。やることがたくさんあるな、と気合を入れるように両手をぐっと握りしめた。


 自室に戻り、薄暗くなった部屋を見渡して、蝋燭ロウソク燐寸マッチを見つけた。蝋燭に火を灯すと、ぽわりと辺りが明るくなる。


「……とはいえ、この暗さだとあんまりなにもできないなぁ」


 肩をすくめて寝台に座り。きょろきょろと辺りを見渡し、天井を見上げた。


「うーん、明日からどんな生活になるんだろう……?」


 どんなふうになるのかさっぱり想像がつかない。村で暮らしていたときも、旅をする前も、旅立ったあとも、大体は朱亞の予想通りだったが……今回ばかりは、本当にわからない。


(桜綾さんと出会ったのも、想像していなかったけど)


 ぽふっと寝台に寝転ぶ。くるりと身体を反転させて、これまでのことを振り返った。


 皇帝陛下が絶世の美女を迎えにいく、という噂を耳にして、好奇心がまさり行動した結果がこれなので、なんとも不思議な縁だと思う。


『よぉく覚えておきなさい、朱亞。お前の天命は、お前が決めるんだ』


 皺くちゃの手で頭を撫でてくれた祖父のことを思い出し、少し……ほんの少しだけ、寂しくなった。


(――大丈夫。きっと見守ってくれているから)


 がばっと起き上がり、このまま寝るわけにはいかない、と服を着替える。


 首元の装飾品に触れて、そうっと外して大事そうに両手で持ち、黄色緑柱石ヘリオドールをじっと見つめた。


「本当にいただいて良かったのかな」


 梓豪ズーハオの顔を思い浮かべて、首をかしげる。彼の給金がどのくらいかわからないが、宝石をさくっと買えるくらいの財力があるのだろう。


(陛下も桜綾さんになにかを贈るのかな?)


 あの宝石店で見せてもらった宝石は、どれもきれいだった。そして、紅玉ルビーを見たとき飛龍の瞳を思い浮かべた。皇族は全員同じ瞳なのかと思っていたが、そうでもないらしい。


 燗流は金糸雀カナリアのような髪に、瑠璃るり色の瞳だった。異国の人だとすぐにわかる容姿で、飛龍が美丈夫なら、彼は華やかな人という言葉がぴったりだと思う。


(そういえば、私のような髪色の人も見たことないような?)


 自分の髪に触れてみる。飛龍と桜綾の艶やかな黒髪、燗流のふわふわの金糸雀のような髪、そして梓豪の黄色味がかった薄茶色の髪。


 いろいろな髪色の人たちをみてきたが、自分のような髪色は見たことがない。


 村の人たちも、大体は黒髪か茶髪だった。


 祖父は真っ白だったな、と懐かしむように目を細める。


 だからこそ、村の中で朱亞は目立っていて、探しやすいようだった。祖父に用がある人はまず朱亞を探して祖父のことをたずね、暇なら……と前置きをしてから用件を伝えたのだ。


「おじいちゃん、人気者だったなぁ」


 小さな村だったと思う。いろんな人が住んでいたけれど、老人が主だったことを思い返して、ゆっくりと息を吐く。


「……あれ……?」


 村の様子を思い返していると、夫婦で暮らしている人も少なった気がする。今まで気にならなかったが、自分が住んでいた村はいったい? と疑問を抱いて目を閉じた。


 村での生活は、朝日とともに起き出し、身支度と朝食の準備。


 朝食を摂ったあと、祖父から薬草のことや神獣、悪鬼あっきのことを教わり『これはいつ役に立つの?』問いかけると、祖父は朱亞の頭をくしゃりと撫でながら、


『朱亞が必要とされるときさ』


 と、優しく笑っていた。


 きっと、この後宮でも自分の知識は役に立つだろう。桜綾の侍女になることを決めたのは自分だから、これが天命なのだろうかと考えて、朱亞はもう一度ゆっくりと息を吐く。


「私は私ができることを」


 自分に言い聞かせるように言葉をこぼし、身体を起こして蝋燭の火を消す。蝋燭だけの灯りでは、確認作業をするのも大変そうだから、もう休むことに決めた。


 いろいろなことがあったからか、寝台に横たわり目を閉じるとあっという間に睡魔が襲いかかり、気付けば夢の世界へ旅立っていた。

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