第3話 同一の趣味
「精神疾患を患っている女の子と、寄り添っていこう」
と考えていた。
彼女には、
「絵を描く」
という趣味があったのだ。
「俺は小説を書いているんだ」
というと、彼女は興味深げに、
「私も高校時代、小説を書きたいと思って、いろいろやってみたんですけど、結局できなかったんです。それで、絵を描く方に走ったんですけど、そう意味で、小説が書ける人って私は存在しているんですよ」
というではないか。
それを聴いて、
「俺たち、きっといいカップルになれるんじゃないかな?」
というと、彼女の方も、
「そうね、私はあなたを尊敬しているから、一緒にいて、絵を描いていられれば、他にないもいらない」
という謙虚な言い方をするではないか>
それを聴くと、ますます、今後の二人の将来が、明るいもの以外には感じられなくなり、それがさらに素晴らしい未来予想図ができあがりそうで、お互いに夢中になる時間と世界でいっぱいだったのだ。
だが、結果、二人の破局は結構早かった。
数か月ですでに破綻していて、最後に、
「悪あがきがあった」
ということで、惰性のような二カ月程度の、
「先延ばし」
があったくらいだった。
後から考えれば、
「無理なものを押し通した」
と言っても過言ではないのかも知れない。
一番の問題は、
「有岡が、彼女の考えを甘く見ていたということであろう」
そもそも彼女が言っていたではないか、
「そうね、私はあなたを尊敬しているから、一緒にいて、絵を描いていられれば、他にないもいらない」
という謙虚な言葉が問題だったのだ。
別に大きな問題ではないはずなのに、破綻を来たしたのは、この言葉の中で、唯一、ハッキリとした言葉である、
「絵を描いていられれば」
という、実に簡単なことを、失念していて、有岡はこの言葉を、自分の都合のいいところだけ切り取って考えたといってもいいだろう。
確かに、
「尊敬されていること」
「一緒にいること」
それらは、最初から備わっていることである。
だから、彼女の希望は絵を描き続けらればいいのだが、有岡は、悪気はなかったのかも知れないが、自分の中で、
「孤独にさせてはいけない」
という思いから、一緒にいる時間をなるべく伸ばした。
それでも、自分ができる時間は、どんなに短くても、絵を描くことに結び付けていたが、
「自由に絵を描くことができないのは、孤独な時間を与えてくれないからだ」
と考え、
「彼に悪気はない」
というだけに、
「最初から無理を押し通そう」
としたとしか思えないのだ。
それを考えれば、彼女の方とすれば、一緒にいることで、
「この人から、私の自由を返してもらえることはないに違いない」
と自分の中で結論付けていたのだった。
そんな思いの中で、有岡は、その彼女と別れることになった。だが、有岡としては、
「どうして別れることになったのか?」
ということが分からなかった。
まさか、自分が相手の自由を奪っているということを知る由もないことで、ビックリしていた。
だが、そもそも、有岡も彼女に対して、
「そう、いつまでも一緒にいることはないかも知れないな」
と感じたことがあったのだ。
というのは、二人が付き合い始めてから少ししてから、お互いに、
「隠し事は嫌だ」
ということで、お互いの過去の話をし始めたりした時のことだった。
有岡の過去の話に、特筆すべきところはなかったのだが、彼女の中に、少し気になるところがあったのだが、それというのは、彼女が以前、ネットで知り合った人がいて、その人とは一度も遭ったことがなかったのだが、恋人気分になり、相手から連絡が不通になったことで、
「私はフラれた」
と思い込んでいるということであった。
確かに、ネット、それもSNSというのは結構流行ってきていて、
「失恋というものの中に、一度も遭ったこともない人を含めるという人が増えてきている」
ということもあるというのは知ってのことであったが、
「まさか、自分が付き合う相手にそういうバーチャルでの経験を、失恋として考えるなんて」
と感じる人がいるなど、想像もしていなかった。
確かに、ネットをしていると、
「この人を好きになったかも知れない」
という瞬間があるが、その人と、仲たがいをすることになっても、失恋という発想になるということはなかった。
どのように考えたのかということは、自分でも分からないが、最初から、
「ネット上だけの知り合いだ」
とおもっていたからだろう。
それとも、リアルの友達も結構いたので、何もバーチャルに嵌る必要などないと考えるからであろう。
そう考えると、
「彼女には、その時、リアルに好きな人がいなかったということなのだろうか?」
と思った。
そこでいろいろと聴いてみたのだが、
どうやら、当時、リアルの恋人はおろか、友達もいなかったということであった。
「だから、バーチャルに走ったのかも知れないわね」
と彼女はいうが、有岡も、
「うん、きっとそうなんだろうね」
というのだった。
「でも、私、本当にその人が好きだったと思うの。それまでに恋愛経験がなかったわけではなかったんだけど、一番強い恋愛感情を抱いたのが、そのネットの相手だったのよ」
という。
「何が、そんなに君を引き付けたんだろうね? リアルでも恋愛ができないわけではないと思うんだけど」
と、有岡がいうと、
「私、よく騙される経験が多かったの。付き合う相手が悪かったというか。こんなことなら、恋人なんかいらないと想ったくらいなのよ」
というのだ。
「あくまでも、僕の考えだけど、君は、誰か頼りにできる人がいれば、それでよかったのかも知れないと思っているのに、付き合う相手からは、そうではなく、何か重たさのようなものを感じたからなんじゃないかな?」
と言ったが、
「確かにそうなのかも知れないわね。付き合うということを、自分が頼りにすることだって思うようになると、現実では、却って頼られる形になって、裏切られたことを分かる前に、目の前から消えているのかも知れないわね」
という彼女に、
「少し考えすぎなのではないだろうか?」
と、有岡は考えた。
有岡も、ネットで好きになった人がいないわけではなかった。
その人は、彼女と同じようなところがあり、自分に対して、甘えてきているのが分かったのだ。
しかし、ネットで知り合った相手に対して、
「億劫だとは思わなかった」
却って、リアルの知り合いで、相手に甘えすぎるのは、逆に警戒してしまうだろう。
「騙されているのではないか?」
と感じてしまうと、
「億劫だ」
と感じてしまうに違いないと思うからだった。
だから、
「ネットで失恋した」
と考えている彼女の気持ちがどうしても分からない。
分からないから、
「リアルで騙されたことへの反発のようなものなのかも知れない」
と感じることだった。
「私は、騙されたという気はずっとしていなかったんだけど、ある程度のお金を使った後で、その人が恐ろしいことを言い出したのよ」
と言った。
「どういう恐ろしいことなんだい?」
と聴いてみると、
「好きな人ができたから、君とは一緒にいられないってね」
というのだ。
「私は、好きな人が相手だから、貢いでいるなんて思っていなかった。でも、彼はそうじゃなかったのよね。他に好きな人ができたなんて、口が裂けても言わないんじゃないのだろうか?」
とさらに彼女が続けた。
「好きな人に言われると、これほどショックなことはないのだろうね」
と、それ以上のことは言わなかったが、どうして言わなかったのかというと、
「彼女の顔を見て。きっと、自分でも分かっていてのことだったんだろうな」
ということを感じたからだった。
実際に、好きになったことで、どこまで自分がのめりこんでしまっているだけに、
「騙された」
と思った瞬間は、結構なものだったに違いない。
「私は、その時、自分が騙されやすい性格だって自覚するようになったの。あれは、彼氏ができる前に、占いを友達としてもらおうと、占い師にお願いしたんだけど、その時、自分が騙される星の元に生まれているから、気を付けるように」
と言われたことがあったので、その人が裏切るというのは、最初から分かっていたと感じた。
「なるほど、その占い師の言葉を信じてしまったんだね?」
と有岡がいうと、
「ええ、そうなの。実際に今も信じているから厄介ね」
と彼女がいうと。
「ああ、じゃあ、彼女は、他の人に比べて占いを信じているのであれば、
「騙されたということを前面に出せば、一番別れることができる相手だ」
ということになりそうであった。
二人の別れに、有岡の画策がなかったと言えば、ウソになるだろう。
相手を振るという後ろめたさを感じずに済むという意味で、相手に、
「騙されているのかも知れない」
と思い込ませるのも、無理もないことだったのかも知れない。
そんなことを考えていると、
「彼女は、まんま(?)と、有岡の策に嵌ってしまったのかも知れない」
別れることは、確率的にかなり高いということはわかっていたが、
「どこまであと腐れなく別れられるか?」
ということであった。
となると、
「彼女が失恋したということを疑いもなく感じるとすれば、騙されたという感覚を使わない手はない」
ということである。
失恋したと考えるよりも、
「騙された」
ということを相手に思わせるなど、罪悪感や、後ろめたさがあるというのが普通なのだろうが、彼女に関しては。
「その方がショックは小さくて済む」
ということだろう。
それだけ、彼女の中で、
「人にはない別のトラウマ」
というものが存在していることに気付いたのだった。
だが、それがよかったのか、どうなのか?
彼女は、別れることになったのだが、なぜか、有岡のことを嫌いになったということはなかったようだ。
「徹底的に嫌われるのも、しょうがかい。それくらいは覚悟の上なんだ」
と有岡は思っていた。
彼女に対して、
「彼女としての感覚はない」
という思いから、敢えて、嫌われる道を選んだのだが、
「別れが遅くなればなるほど、別れられなくなる」
という意味で、
「一定の覚悟は致し方ない」
と思っていたのに、それが、別れを迎えるまでだと思っていたので、
「まさかとは思うが、復縁はないにしても、友達としてであれば、うまくいくのではないか?」
と感じていた。
しかし、彼女との関係は、
「友達としてではなく、もちろん、恋人としてではない」
という微妙な関係になった。
というのは、
「兄貴を慕う妹との関係」
というものであった。
もちろん、別れてからすぐのことではなかった。
「友達として付き合っていければいいかな?」
と、有岡は、男としての気持ちから、そういったが、彼女の方が、相当な違和感があるおうで、
「それは、ちょっと」
というのであった。
有岡としては、
「あそこまで俺のことを好きになってくれていたのだから、友達にランクが下がるくらいは、容認できるのではないか?」
と思っていたが、
「好きになったのだからこそ、どうしようもない」
ということではないかということであった。
ただ、その後の展開で、彼女のことがなかなか忘れられないということから、自分から別れを切り出したくせに、そばにいないとなると、実に勝手なもので、寂しさがこみあげてきたのだった。
そして、勝手に、
「彼女だって同じ思いのはずだ。ひょっとしたら、復縁を申し込んでくるかもしれない」
と感じたが、その思いがどこまで自分勝手なことなのかということを、分かってはいなかったのだ。
だから、
「俺から行こうとは思わない」
ということであった。
勝手であり、自惚れが強いことから、彼女が、
「可愛そうだ」
と思う前に、それまで、女性を振ったことがなかったのに、今回は振ることができたことで、
「俺の中に、変なプライドがあって、それが、罪悪感とを天秤にかけた時、どう感じることになるのだろう?」
という思いからだった。
というのは、
「彼女は、俺のことを最初から最後まで好きでいてくれた」
と勝手に思い込んだからだった。
人を振っておいて、
「よくそんなことが言えるな」
と言われるかも知れないが、まさにその通りだったのだ。
フラれることがどのような感覚なのかは、分かっているつもりだが、いまだに分からない。
何度も煮え湯を飲まされたという感覚で、別れてしまった相手を恨むよりも、
「俺の方から振ったんだ」
ということがどういうことなのかというのを味わってみたいという願望もあった。
それはあくまでも、
「いつもフラれているということで、振るというのはどういうことなのかということを一度は味わっておかないと、片手落ちだ」
と思ったのだ。
まだ、人生これからだというのも、
「死ぬ前に」
などという言葉を言ってしまうというのは、それだけ、
「今後において、その機会がない」
と感じているということよりも、
「恋愛など、若いうちにしか感じることができない」
ということなのかということを考えてしまう。
この二つは、どちらも、
「もっともだ」
と言えば、まさにその通りで、この考えの双璧なのではないかと感じた。
その双璧と思えるような考えであるが、
「どちらともいえない」
という思いも確かにあったが、あくまでも、
「自分の立場」
としてと考えると、
「後者の方かも知れないな」
と思えた。
ただ、次の瞬間にその考えを打ち消している自分がいる。
「恋愛が、絶えず若いうちにしかできない」
というのは、ある意味、
「恋愛に対しての冒涜ではないか?」
と考えたのだ。
「恋愛というものを、どう考えればいいのか?」
という思いは、
「まずは、自分の今までの経験から、湧いてくるものではないか?」
と思うと、
「確かに、人を好きになったことはあるが、恋愛というところまでは行っていない」
と思えるのだ。
つまり、
「お付き合い」
と言える関係は、ひょっとすると、彼女が最初だったのかも知れない。
ただ、初恋というものは、
「人並みにあった」
と言えるだろう。
自分にとっての初恋が、
「小学三年生の頃だった」
ということをしっかり自覚している。
その三年生の頃というと、当然のことながら、
「思春期」
というものに入っておらず、
「人を好きになる」
という感覚とは違ったものであった。
その感覚は、
「可愛い妹がいて、その女の子を守ろうという感覚であったり、盾になって君臨することで、その女の子を自分に従えさせる」
というような気持ちだったのかも知れない。
「正義のヒーロー」
のような立場が、子供の頃に嵌って見るという、
「戦隊ヒーローもの」
というような、特撮番組と意識が交錯することで、
「俺には、好きな人がいようがいまいが、誰であっても、守ってあげたいと思う人が、ヒロインなんだ」
というようなことを考えていたのかも知れない。
特撮番組を見ていると、大体、同い年くらいの子供たちも出ていて、その中で一人のヒロインのような女の子が出ている。
その子のことを好きな男の子がいて、結局その子ではどうすることもできないのだが、そんな時、特撮ヒーローが出てきて、相手をやっつけてくれる。
それを、男の子は、
「まるで自分がヒーローにでもなったかのように感じるのであった」
ということで、
「俺も、あんな男の子のようになれればな」
と、有岡は、
「ヒーローのようになりたい」
とは思わなかった。
「ヒーローは、一人を贔屓してはいけない」
というルールがあるからだ。
だったら、ヒーローに憧れている、ドラマの中で、自分が入り込んでいる相手である少年に、
「思い入れを深める」
ということがあっても、無理もないことではないだろうか?
それを考えると、
「このドラマの中の少年のような気持ちになった」
ということで、
「ずっとこの感覚を忘れることなく大人になってきたのだ」
と考えると、
「失恋した後に、この時のヒーローの感覚が戻ってきた。いや、くすぶっていたものを思い出した」
という感覚になったのだということに気付くのであった。
そんなことを思い出していると、
「別れたとはいえ、彼女には、自分のことを慕いたいと思ってくれるようになるのではないか?」
と考えると、
「恋愛は成就してもしなくても、その感覚は、慕ってもらいたいと感じることから始まっているのだ」
と思えてくるのだった。
恋愛というものは、
「好きになるということだけではないのだ」
ということを言われたことがあったが、まさにその通り、
「慕ってもらえる」
というところまで行って、
「恋愛が成就した」
と思えるのではないか?
と考えるようになったのだった。
それは、初恋というものを最後に、
「これまで恋愛というものをしたことがなかった」
という感覚があるからで、初恋を自分の中の恋愛論だとして信じて疑わない。
もし、疑うとすれば、思春期以降に恋愛経験があれば、言えることだが、
「自分の中では片思いすらなかった」
ということを感じているので、
「まさに、恋愛というものを、それ以上、どう考えればいいのか?」
ということを思い知らされるような気がするのだった。
そういう意味で、
「別れた彼女が、いずれ、自分を正義のヒーローに押し上げてくれることになるのではないか?」
という思いが成就することで、
「二人の付き合いが恋愛だったんだ」
ということを、後になって感じさせることになるのだろうと思っているのであった。
ただ、彼女の方とすれば、
「自分の趣味を共有できる相手であればいい」
と最初は思っていたようで、有岡の前のめりな雰囲気に、戸惑っているようであった。
確かに、趣味が同じだということと、恋愛感情とを一緒に考えるとすれば、どちらかに優先順位をつけなければいけないだろう。
それを思うと、
「同じ趣味だといっても、どこまで共鳴できるものなのか?」
ということになるのだろうと思う。
「小説を書く」
ということにしても、
「ジャンルもあれば、手法にもよる。書き方も違えば、書き上げるまでのプロセスも違う」
ということを考えれば、どこまでが、
「お互いに成長できる部分になるか?」
ということになるのである。
下手をすれば、
「磁石の同一極によって、反発し合う」
という考えになってしまうというものである。
だから、下手をすると、
「お互いに高め合うどころか、却って打ち消してしまうことになりかねないことを思えば、そこに成長はない」
と考えると、
「恋愛感情が、お互いを打ち消している」
と言えるのではないだろうか?
それを考えると、
「付き合っていくこと」
と、
「趣味で繋がる」
ということが、平行線になってしまい、どちらかでしか交われないとすれば、
「どちらを選ぶのか?」
ということである。
有岡の方は、絶対に、
「恋愛だ」
と思っている。
「恋愛というものを表に出すことで、趣味が合わないとすれば、恋愛を優先するしかない」
というのが、有岡の考え方だ。
「趣味で繋がれる人はこれからも現れるだろうが、彼女は一人しかいない」
という考え方であるが、彼女はそうではなく、
「あくまでも趣味で繋がろうとした人が、合う人でないとするなら、自分を高める人を探すしかない」
と思う方だった。
こうなると、もう、お互いに、すれ違うしかないのだ。
すれ違いというものは、疑心暗鬼を生み出してしまう。それが猜疑心となり、そのうちに、自己嫌悪も引き出すと、
「もう、何も信用できない」
ということになるのだ。
人のことを嫌いになるということは、自分を嫌いになるのと同じで、すれ違いが結局、自己嫌悪に繋がると思えば、
「すれ違いは、精神においての、自殺行為」
と言ってもいいのではないかと思うのだった。
ただ、すれ違いを解決するすべがないわけではない。考えられることとして、
「時間が解決してくれる」
という考えもある。
だが、時間任せだけだと、どうしても難しいものもある。
自殺行為をいかに解消させるかというと、すれ違いがどこから来たのかということを見つける必要がある。
ただ、
「時間が解決してくれる」
ということは、完全に、他力本願であるかのように感じられる。
「他力本願は、あらゆる考えられる手を尽くしてもダメな場合、最後の手段として、考えることにしよう」
ということであろう。
そんなことを考えていると、
「あらゆる方法」
というものをどう考えればいいのか?
ということになるのであろう。
「あらゆる方法」
というものが、
「無限に存在するもの」
と考えるか、あるいは、
「無限に限りなく近いもの」
と考えるか?
ということである。
「世の中の矛盾になるパラドックス」
ということで、
「合わせ鏡」
あるいは、
「マトリョシカ人形」
などの例として考えられるものが、
「限りなくゼロに近い」
というものである。
「合わせ鏡」
というのは、
「自分の左右(前後)に鏡を置いて、そこに写っている自分が、鏡に写る自分という観点から、反対側の鏡にも映ることで、どんどん小さく、そして、果てしなく、どんどん先に繋がっていくものである」
そして、
「マトリョシカ人形」
というのは、
「人形が蓋になっていて、それを開けると、さらに中に人形が入っている。そして、その中に人形が入っている……」
というそんな形になるので、これもどんどん小さくなっていき、
「合わせ鏡」
の理屈と同じような、
「限りなくゼロに近い」
という発想になるのであった。
あくまでも、
「限りなく近い」
ということであり、絶対に、ゼロにはならないということである。
ゼロという概念は、無限という概念と同じだといえるのだろうか?
除算において、そんなに大きな数字で割ったとしても、ゼロという概念はない。絶対数としての、マイナスの可能性はあったとしても、それがゼロになるということはないのである。
つまり、限りなくゼロに近いものというのは、すれ違いの中において、
「交わることのない平行線」
というものを、誤差の範囲で考えると、
「限りなくゼロに近い」
というものが、実は無限であるという考えも成り立つのかも知れない。
そう考えると、
「一周回って、地球は丸い」
ということが考えられ、無限に広がっていく場所に、限界があるのであれば、最終的に、「限りなくゼロに近い世界」
というのは、存在するのではないだろうか?
これは、
「片方の存在を証明できれば、片方は証明された」
ということであるが、
「片方の存在の否定が証明されたからと言って、片方を否定はできない」
という関係性になるのである。
お互いに、趣味の上での付き合いと、恋愛感情による付き合いとの関係性を考えた時、どちらかを証明できなかった場合、つまり否定から入ってしまうと、その関係性を証明することは不可能だといえるのではないだろうか?
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