備忘録

転々

450メートル

450m。なんのことはない。家から喫茶店までの距離だ。喫茶店は近くに幾つかあるが、なんとなく気分で、450mの喫茶店を選択した。


何しに? 理由は単純で、新しく書き始めた物語の続きを書きに。時間に関する物語。


昼時のその小さな喫茶店にいるのはお年寄りばかりで、でも大きな笑い声がこだまする賑やかな空間だった。奥の店員さんかな? も笑っていた。客の中では私だけが異様な程に若かったと思う。


そのお店オリジナルのブレンドコーヒーみたいな物を注文し(それ以外に頼んだことがない、何かこう怖いのだ)、届けてくれた店員さんに頭を下げてミルクを入れて、さあ書こうと。意外にすんなり書けた。頑張ることをやめたせいかもしれない。


途中尿意が堪えられなくなって席を立つと、ご高齢の方々でひしめき合う先の間を縫ってトイレへと向かう。荷物は持ってないから食い逃げではないですよという顔をしながら。そう、財布とスマホまで置きっぱなし。こういうのは多分、ちゃんと持っていかないと駄目なんだろう。じゃないと店員さんに自分の荷物を監視しておいて下さいと言ってるようなものだから。家を出る前にその事についても少し考えたはずなのに、忘れてしまっていた。次からは持っていこう。鞄は置いて。


ご高齢の方々の傍を通り過ぎる時、空気が止まらないかと心配した。自分が通り過ぎることで、異分子の存在感によって彼等特有の”場”の空気が乱されやしないかと。しかしそんなことは全然なかった。彼らは笑顔で話し続けていた。皆ニコニコしていた。多分、その瞬間だけはそこにいた皆は幸せを感じていた筈だ。


カフェインを取りすぎると、行動がせかせかしてしまう体質らしく、まあこれはどうしようもないかと思いながら、何故か早足でトイレへ、そして戻る。鞄はちゃんとある。財布も携帯も。多分日本だけじゃないかと思ったりもする。そういう環境に対する甘えがあることも、そういう環境に対する恐怖が自分の中にあることを自覚しながら、また席について物語を書き直すのだ。それから会計をして、スーパーに寄って野菜やら調味料やら牛乳やら酒やらを買って家に帰る。日差しが眩しい。


450mの道程は単純だ。ただ歩いているだけで済む。でも、時々遠くに住む友人を泊めたりする度に、彼等の新鮮でこの街や道に無知な様子を目にする度に、私のこの感覚は当たり前の物ではないのだと気付かされるのだ。


だから出来るだけ、微々たる物でもいいから『日々の違い』を見出す為に、キョロキョロと辺りを眺め回したり、空の様子を見たりしながら帰るようにしている。


そういえば去年の今頃、巣立ち中の小鳥の子供が、頭に乗っかってきたことがあった。むにゃっとした感触で、内臓でも降ってきたのかと思って思わず振り払ってしまったっけ。遠くで親鳥が見守っていたらしい。あの子達は今も元気でやっているだろうか。最近鳥が気にかかるようになっている。なぜだろう。


450mを終えると、そこはありふれた我が家で、後はカレーを作ってリングフィットをするだけだ。


日々は過ぎていく。その様子を眺めるだけでも充分、生きている。良いことなんて言えやしない。


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