第13話

 秀満は、すぐに刀が抜けるように、腰の大刀の鯉口こいくちを切ってからドアを開けた。石造りの建物が並ぶ見慣れぬ景色に、一瞬、目を見張った。


 ここはどこだ?


「我に従わぬか! トゥー!」


 声に我を取り戻し、その方角に目をやる。


 通りにいたのはかぶとを捨てた鎧武者よろいむしゃだった。刀を振るい、逃げる市民を追い回して切りつけている。武士同士の戦いではなかった。


 秀満の正義感に火が付いた。


「止めろ! 無辜むこの者に何をする!」


 駆け寄りながら刀を抜き、振り返りざまに切りかかってきた相手を一刀両断に切り伏せた。


「アッ……」


 鎧武者の顔に見覚えがあり、声がこぼれた。彼は明智軍の武将のひとりだった。


 倒れた彼のかたわらに片膝ついた。


「おぬし、どうして……?」


「へ、へ、へ、……殺しても、殺しても、満足できぬ……」


 彼は痛みを訴えるのでも恨みを言うのでもなく、狂気の宿った瞳でそう言った。


「殿は、明智光秀殿は一緒ではないのか?」


「へ、へ、へ……」


 力のない声が唇から漏れる。眼から生気が消えていき、ほどなく息絶えた。


「クソッ……」


 光秀のことを聞き出すことができず、悔しさと声がこぼれた。その時だ。背後に殺気を感じた。


 ――ズズ――


 地面をる低い音がする。振り返ると、逆光のために黒い顔の何者かが、上段から剣を振り下ろしてくる。


不埒ふらち者!」


 声を背中に、秀満は横に転がって一撃を避けた。


「いきなり切りかかるとは、どちらが不埒だ!」


 先に殺した鎧武者が明智の者なら、目の前の者も逃走中の明智の者だろう。……反撃は避けた。相手が二刀目を振るう前に、すかさず立ち上がる。鎧を身に着けていない分だけ動きが速かった。


「待て、俺も明智軍だ。……明智秀満だ」


 応じながらも、攻撃に備えて身構える。


「秀満……」


 武者が顔を向けた。彼もまたざんばら髪だった。攻撃の覇気はきが消えている。


「……殿、……でござるか?」


 武者は光秀によく似ていた。ただ、本能寺を襲った時と比べれば、ひどく目がくぼみ、頬もこけていた。まるで幽鬼のようだ。


「殿、娘婿の明智秀満でござる」


「あ、あ、うむ。……秀満、よく参った」


 そう応じると、光秀は力なく座り込んだ。


「ワシは飢えている……」


 光秀の声は、病人のようにか細かった。一瞬、空腹なのかと思ったが、そんなはずはないと思い直した。光秀は、そんな情けないことを口にする男ではない。


「どういうことです?」


 刃を鞘に納め、光秀に顔を寄せた。


「ワシは天下が欲しい。秀吉を殺したい。……天下を取るためには殺さなければならない。殺して、殺して、殺して……。力を得るのだ。しかし、殺しても、殺しても満たされない。どれだけ殺しても、どれだけ力を得ても……」


「殿……」


 光秀は狂ってしまったのではないか?……秀満は周囲を見渡した。


 光秀とその部下が切った遺体や怪我人が通りに大勢横たわっている。それを助ける者もいれば、遺体にすがりついて泣く者、光秀と秀満に好奇の目を向ける者、何かにりつかれたように眠ろうとする者。……皆、狂気に満ちた瞳をしていて、一部を除けば、げっそり頬がこけて身体はやせていた。食事をとることも忘れて何かに夢中なのだ。一方、一部の者は両手に食べ物を持って、ひたすら食べ続けている。食欲に憑かれた彼らだけは、顔も身体も真ん丸に肥えていた。


「ここは餓鬼道の町だ。満たされることがない。食欲に憑りつかれた者はひたすら食べ続け、色欲に憑りつかれた者はひたすら続ける。ワシは天下に憑りつかれている。そのために殺し続けていた……」


 光秀の説明に納得がいった。それでキャサリンはしつこく再度の関係を迫っていたのだろう。


 殿は、支配欲に憑りつかれたのか。……主のこけた顔を見つめながらも、周囲の気配が気になった。理由はともかく、多くの人間を傷つけた。それに対する制裁があって然るべきだ。


「……ここにいては何が起こるかわかりません。とにかく、ここを離れましょう」


 秀満は光秀に肩を貸して立たせると、キャサリンの家に入った。


「あぁ、あなた!」


 狂気に満ちた瞳に喜色を重ね、バスローブ姿のキャサリンが駆けてくる。秀満を抱きしめ、それから両頬を抑えて顔を引き寄せると唇を重ねて舌を吸った。


「止めないか」


 彼女を押し返し、「食べ物はないか」と訊いた。キャサリンにしても光秀にしても、目がくぼみ、頬がこけている。それは、寝食を忘れてまぐわいや人殺しばかりしているからに違いない。


「誰なのです?」


 キャサリンが光秀に目を向けた。


「俺の主、明智光秀様じゃ」


「ハァ、……簡単なものでよかったら食事を作りましょう。その代り、食事の後は、……分かっていますね?」


 彼女は二人の男に目をやり、目じりを下げた。


 やはり彼女は、色欲に憑りつかれているのだ。もし、色欲に憑りつかれた二人がお互いを貪りはじめたら、死ぬまで止めないのかもしれない。なんとも恐ろしい場所だ。……光秀に聞いた餓鬼道の話を思い出しながら、ダイニングに向かうキャサリンの後を歩いた。


 欲の虜になどなるものか!……そう決意を固めながら……。

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