天翔る力


「わぁ……! 見て下さいリアンさん、お城があんなに遠くに見えます!」


「ところで、雲というのは枕に出来る物なのだろうか? 雲を枕にして寝るのが私の子供の頃からの夢だったのだが……」


「コケコケー」


 星歴977年。

 季の節は五。

 シータが故郷の森を旅立ってから二ヶ月が経った。


 シータたちは女王ソーリーンの命に従い、エリンディアを離れて戦う独立騎士として旅立ったばかり。

 そしてその足となる乗り物こそ、先の戦いで無傷のまま手に入れた帝国の飛翔船である。


 木造の甲板から身を乗り出し、シータとリアンは今もぐんぐんと離れる地上の景色に興奮の声を上げていた。


「――雲を枕になんて、そんなこと出来るわけないでしょ? 雲は小さな水の粒で出来た湯気みたいなものなの。触っても、ちょっと冷たいだけだと思うけど」


 その時、飛翔船からの景色に目を輝かせる二人に声がかかる。

 見ればそこには、今回の旅に外交官として同行することになった丸眼鏡の少女――ニアが、呆れたような表情でリアンを見つめていた。


「むぅ……そういうものなのか。残念だな……」


「ニアさんは、とっても物知りなんですね」


「こうしてご挨拶するのは初めてね。私はニア・エルフィール。これでも、ソーリーン様が学長を務めるアカデミーの主席なの。よろしくね、シータさん」


「はい、よろしくお願いします」


「コケー!」


 差し出された手を握り返し、シータはどこか自分を見定めるような色を宿すニアの鳶色の瞳を見つめた。


「私とニアは子供の頃からの親友なのだ。昔から頭の良かったニアは学問で……毎日寝ていた私は騎士として、共にエリンディアを支えると誓い合った仲だ!!」


「リアンったら、それで本当にルーアトランの守護騎士になっちゃうんだもの……私が今の役職を任されるようになるまで、どれだけ必死に勉強したと思ってるの?」


「なはは! 私も必死に寝ていたからな!」


「リアンさんって、本当にずっと寝てたんですね……」


「コケコケ……」


 そうしている間にも、甲板では大勢の乗員たちがエリンディア初の飛翔船運用のために動き回っている。

 

 かつては漆黒に塗られていた飛翔船の外観も、今はエリンディアの旗に合わせて白と青に。

 地上への攻撃用に設けられていた大量の砲門や弾薬庫は排除され、船内に搭載する二機の天契機カイディル――イルレアルタとルーアトランの整備と輸送を主目的とした、〝移動拠点〟へと改装が行われていた。


「元々ソーリーン様は、エリンディアで飛翔船を建造しようとしていたの。そのための技術者も集めていたし、空鯨の手懐け方や、操る方法も学ばせていたわ」


「だがエリンディアには肝心の空鯨がいなくてな。どこか他の国から空鯨を手に入れられれば、試作品を作れるところまでは来ていたらしい」


「そうなんですね……たしかにこんな船が自由に使えたら、どんなところにもすぐに行けますもんね」


 現在、激しさを増す戦場において飛翔船の戦略的運用を成し遂げているのはケルドリア大陸でも帝国軍のみだ。


 約二十年前に始まった帝国による戦乱。

 その開戦当初、帝国の圧倒的優位を固めた〝天契機の量産技術〟は、すでに大陸各国に流出して明確な優位にはならなくなっている。

 だがその後に帝国が投入した飛翔船は今も大陸中で猛威を振るっており、高空弩砲を初めとした飛翔船への対抗策確立が各国の急務となっていた。


「これはこれは、我らがエリンディアの重鎮の皆様がお揃いで。いかがですかな、この〝トーンライディ強い波ール〟の乗り心地は」


「こんにちは、船長さん」


「文句なしだ! 一刻も早く寝心地も試してみたい!」


 そこへさらにもう一人。

 談笑する三人の元にやってきたのは、ややくたびれた容貌に、エリンディア高等士官の証である純白のケープを纏った中年の男だった。


「カール船長。飛翔船の調子はどう?」


「万事一切問題なしですよ、外交官殿。二頭の空鯨そらくじらもよく懐いてくれています。後は、道中で何度か天契機の出撃と回収の演習を行えば万全でしょう」


 カールと呼ばれた男はシータたちに軽く会釈すると、ぐるりと船内を見回して肩をすくめる。

 一見するとなんの雰囲気もない優男だが、彼はこれでもこの飛翔船……トーンライディールの〝船長兼戦術指揮官〟であり、ソーリーンの信も篤い有能な人物である。


「船は帝国から手に入れましたが、それを動かす肝心の船員は全員素人です。目的地につくまでの間、出来る限りの経験を積ませたいところです」


「承知しました。到着に遅れが出ない範囲であれば、道中の活動は船長の判断に一任します」


「それでは、皆さんにも改修を終えた船内をご案内しましょう。いざという時、天契機に乗る騎士のお二人が船内で迷われたりしたら大変ですからな」


 ――――――

 ――――

 ――


「イルレアルタとルーアトランの修復は最優先で! 作業の交代時間は各自確認してー!」


 カールの案内を受け、シータたちはトーンライディールの船底へとやってくる。


 イルレアルタの軽く数倍の船体を誇るトーンライディールは、海洋を航行する船と比べても最大級の大きさを誇る。

 通された広大な船底では、氷槍騎士団ひょうそうきしだんとの戦いで傷ついたイルレアルタとルーアトランが縦一列に寝かせられ、大勢の整備員による修復作業を受けていた。


「船底というから狭くて暗いのかと思ったが、案外広々としているんだな。寝心地も良さそうだ!」


「イルレアルタは、寝かせて運ぶんですね」


「無理をすれば甲板に乗せることもできますが、そのような緊急事態は来ないように願いたいですな。天契機の発着は飛行中に行いますので、後ほどお二人にも演習に――」


「――ああああっ!? そこにいるのは〝狩人君〟じゃないか! ちょ、ちょっと……ちょっといいかな!?」


 その時、船底でカールの案内を受けるシータに、凄まじい勢いで駆け寄る青年が一人。


「えーっと……ま、マクマク……マクハンマーさん、でしたっけ?」


「コケーー!」


「僕のことを覚えていてくれたのかい? 嬉しいなぁ! あ……でも今はそんなことより、イルレアルタのことで狩人君に聞きたいことがあるんだよ!!」


 現れたのは、エリンディア王城でイルレアルタの解体……もとい整備を担当していた青年、フリエント・マクハンマー。

 マクハンマーはその端正な顔に木くずと油がついているのも気にせず、シータの前にイルレアルタの構造図を広げてみせる。


「〝イルレアルタの装甲〟のことなんだけど……どうも普通の鋼や銅とは材質が違うみたいなんだ。狩人君ならなにか知ってるかなと思って」


「ご、ごめんなさい……僕もそういうのは全然わからなくて」


「やっぱりそうだよね……ルーアトランと同じ合金で修復してもいいんだけど、そうするとイルレアルタの機動性の低下は避けられないし……うん、わかった。僕にもいくつか考えがあるから、また何かあったら狩人君に相談するね」


「ありがとうございます、マクハンマーさん」


「頼んだぞ、マクハンマー殿!」


 嵐のように現れたマクハンマーは分厚い羊皮紙の束をめくり、うんうんと頭を抱えて再び整備作業に戻っていった。すると――。


「イルレアルタの装甲ですか……なるほど、繋がりました。ソーリーン様はそのことも考えて、最初の目的地を定められたのですね」


「え?」


 それまで後ろで黙っていたニアが、その艶やかな口元に手を当てて納得したように頷く。

 

「なにがなるほどなんだ? もしかして、今回の目的地はイルレアルタにも関係しているのか?」


「ソーリーン様は、天帝戦争でエオイン様が乗るイルレアルタと戦場を共にしています。イルレアルタを戦場で運用する際、起きうる懸念事項は把握していたはずです」


 そう言うと、ニアは小脇に抱えていた巻物をひょいとつまみ上げて開く。

 そしてそこに描かれた大陸地図の一点……荒涼とした砂漠と砂獣、そして激しく噴火する火山の描かれた地方に指を当てた。


「炎と砂の古王国セトリス……かつて、〝レンシアラとの資源貿易〟で栄えていたエリンディアの友好国です」


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