第8話 願え、生きる為に

「我は一言主。一言ならば、なんでも願いを叶えよう」

 幼き哀れな子どもは、その小さな口で、掠れた声で、こう願った。

「……生きたい」

 それは今にも死にそうな声だった。この子どもが死んでしまえば、我は一言主の名折れである。

 願いを叶えるため、あれだけ必死になったのはあのときだけだ。後にも先にもあのときほど慌てることも、必死になることもないだろう。

 人間たちは砂の塔を燃やそうとしていた。砂ばかりの地で、渇きをもたらす火は疎まれるものであっただろうに。

 故に我は雨を降らした。それから、人間たちを殺した。

 あの地にいる者で、哀れな子どもを生かそうとする者はいなかった。親もいただろうに。何故。

 人間とはこれほどまでに無情な生き物だったか、と我は失望した。だが、我はそれよりもっと重大なことを失念していた。

 人が欲を生む。欲は即ち願いだ。我は一言の願いの為に生きる神。願いのない地に、いてはならない。

 哀れな子どもの生きたいという願いは叶えた。だが。

「旅に出たい」

 その願いは共に行きたいと願われているようで。

 我は離れがたく思ったのだ。


「コトは人間じゃないのに、生への執着がすごいですよね。時に人間である僕を上回る」

「そうだろうか」

 まあ、死にたいという人間はあまり好かない。

 人間は儚く、脆い。その生があってこそ、我は存在できる。

 我は人間の浅はかな欲につく神である。

「我は我を誇りに思っている。我は人間がいなければ成り立たぬ神だ」

「だから人間を大切にする、と?」

「まあ、そうだな」

 殊更、サトーのことを大事にしている自覚はある。それをこやつは気づいているのだろうか。

「死にたがる人間は、我が殺さなければならぬ。人殺しは役目とはいえ、進んでやりたいものではないぞ」

「神様にも人間の善悪が通用するんですね」

 我はむっとした。

「人間に触れる機会が多いのだから、仕方なかろう」

 言葉は返さずに、サトーは次の家へ向かった。

 どこもかしこも、陰気な雰囲気だ。けれど、誰かが願わなければ、我はこの場を支配する疫病神に手は出せない。我は人間に願われて初めて力を持つのだ。

 人間のため、か? いいや、我は我の存在意義を成すために人間に生きることを強いている。神だから少しくらい傲慢な方がよかろうて。

 どいつもこいつも死にたいとばかり。この病が感染症だとしたら、いちいち面会するサトーにも害があるのだが。……あるいは。

「コトのこと、わかってますかね」

「我も同じことを考えておった」

 我の存在を察知し、この病を治させないために、口封じをしようとしているのか。性格の悪い疫病神め。……まあ、性格のいい疫病神など、この世に存在するのかわからないが。

 村中の家を回り、最後の一件となった。

 そこは一段と臭かった。疫病神がここを根城にしているのがわかる。

「疲れた……」

 人間の囁くような声が聞こえた。それは切実なものだった。

「病に苦しみ、生き続けるのはもう嫌だ……ならばいっそ……」

 言葉が続く前に、サトーはその者の口を塞いだ。我の力が発揮されるのを、阻止するためだろう。

 この人間は長い間、疫病神に取りつかれ、病に晒されながら、死ぬこともできずに、苦しみ生きている。故に、死を願う心も切実だ。

 死にたい、殺してくれ、と言われたなら、我は即座に殺したであろう。

「ふむ、ふむ」

 患者の口に適当に物を突っ込み、触診していくサトー。専門家ではないが、なんでも屋をやるにあたって、医療知識を身につけていた。

「なるほど、これは人間業じゃないですね」

 いや、全ての病はほとんどが人間業ではないが。

「コト、願いがあります」

「一言なら聞いてやろう」

 人間だったなら、我はにやりと笑っただろう。

「疫病神をやっつけてください」

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