第2部

第6話 願え、身近な幸せを

 森の中を颯爽と抜ける風、ざわつく草木、降り注ぐ木漏れ日。

 我は神聖な森の中にいた。サトーも一緒だ。今回は我がここに来たいとサトーに頼んだ。神とは自然に宿るもの。たまに自然を感じなければ、神であることを忘れてしまう。我のように俗世で人間の欲に触れる機会が多いのなら、尚更だ。

 この森には聖なる水面があった。聖なる水面は神々が交流を図るための媒介となるものだ。我は久方ぶりに他の神と話したかった。

「こんな深い森には初めて来たな……」

「まあ、聖なる水面は深い森にしかない。不可侵域だからな」

「なるほど。僕は干上がった土地で生まれましたから、緑豊かというか、色彩が豊かで目がちかちかしますね」

「それは神に類するものが棲んでいるからだ。しばらく休んでおれ」

「そうします……」

 木の幹に凭れかかるサトー。その特殊な目でこの場を見るのはきついだろう。精神に優しい造りの森だが、身体的負担は否めない。

 ミーネのように普段から存在が傍にあることに慣れてしまえば、見合った体力はつくのだが、普通、あんな場所はない。おまけにサトーは目が一つないのだ。おそらく、抉り取られた目も力を持っていただろうが、それがないから、より見るのに力を使う。任意で発動を切り替えられるならいいが、人間に宿る不思議の力というのは神が気紛れに授けるもので、並みの人間では制御できない。

 もう片方の目があれば、あるいは、サトーも力のコントロールができたかもしれないが、無い物ねだりというやつだ。我は別に不思議を巡る旅がしたいわけではないので、普通に無難に過ごせればそれでいい。

 と、ここに長居するのもよくない。サトーはもう深い眠りに落ちた。それほど疲労が溜まっていたのだろう。前の街でしっかり休息はとったが、この森の「強さ」に身体的に多大な影響を受けているのだろう。

 サトーの体が睡眠で回復できるうちに、この森を離れた方がよさそうだ。我は糸を使ってサトーの体から、聖なる水面へ向かう。聖なる水面を見て、ここが強い理由がわかった。

 聖なる水面は水面なので、水溜まり程度のものでも成立する。それが池になり沼になり湖になり、と規模が大きくなるほどにその周囲に漂う神性が強くなる。ここは大きな湖だった。

 漂う神性は我が神であるということを改めて認識させた。そのくらい人の世と異なる場所なのだ。

 水面を覗き、声をかける。

「誰かいるか」

「やあ、一言主か」

「その声は、どこぞの稲荷か」

 稲荷の神はどこにでもいる。それぞれに役割があるのだが、どこにでもいるため、こういう交流の場である水面にはよくいる。外つ国に出た我と違い、わざわざ水面を探さなくてもいい環境にいるのは確かだ。

「一言主が水面を使うのは久しいな。大丈夫だったか」

 人間の世界に出た我を、やつらは大なり小なり心配しているらしい。まあ、我もこう長く神域を離れることは今までなかった。

「哀れな子どもはもう青年になったよ」

「ならば何故帰って来ぬ?」

「危ういからだ」

 サトーはまだ、我からすれば子どもである。力も制御できず、この森で倒れるような。いや、もっと違うな……目を離したら、その隙に何らかの事故に巻き込まれて死にそうだ。そんな感じがする。

「おい、あまり一人の人間に情をかけるな」

 それはそうなのだろう。神として、人間に対しては平等であらねばならない。だから、本当はこうして、一人の人間を贔屓してはならないのだ。

 我もそれはわかっている。

「あやつが旅をやめたら、我も戻ることにするよ」

「旅か。いつ終わるのだ?」

「さあな」

 サトーは自分探しの旅と言っていた。何をもって自分というのか、我には皆目見当もつかぬが、少しずつ、それに近づいている気はする。

 まあ、サトーが気づいていなければ何も意味はないのだが。

「自分探し、な……人間とは曖昧な生き物だ。曖昧であることを妥協すれば良いものを」

 水面向こうから呆れたようなどこぞの狐の声が飛んでくる。まあ、神である我々からしてみれば、人間はある程度のところで諦めなければいけないのだ。

 神にすら、できることは限られている。我は一言の願いしか叶えられぬし。人間からすれば立派な奇跡でも、他の神と比べたら、どっちもどっちといった感じなのだ。

 神はそういう分別がつくからいい。けれど人間は、「自分探し」をするサトーが普遍的と捉えられるほど、明瞭な自分を求める。

「小さな幸せでは満足できん生き物よ。けれど、あやつは授かり物が大きかった故に、人間になりきれておらぬ」

「ああ、確か、目を与えられたのだったか。それなら、下手な人間に利用されぬようにせねばな。その人間も、一言主、お前も」

「……わかっておる」

 いつか、別れなければならない。本当は我も俗世を旅するような身ではないのだ。

 せめて、サトーが、この目に振り回されず、健やかに、どこかで家庭を持って、我など必要としない小さな幸せたちに包まれるようになるまで。

 我は彼の身近な幸せでありたい。

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