1話 「試験勉強」

神嗣学園 三〇三号室


 下界で自分がどういう扱いを受けているかなど露知らず、イッキは平凡な天使生活を送っていた。

 いつも通り日本について学ぶ授業を受け、翼を動かすスポーツや天界の音楽・美術・工芸技術なども教わる。

 甚く平凡極まる日常だ。


「課外授業?」


 イッキが問い掛けると、ルイはコクリと頷いた。


「うちは日本クラスだから、冬季期間は日本に行って実習する……こともある」

「マジか! 初耳!」

「もっとも……試験で赤点を取ると、冬休みいっぱい補習で天界に居残りだけど」

「マジか……」


 勉学には自身の無いイッキだが、このクラスの授業の大半は日本の常識関連なので、試験自体にそこまでの不安はない。

 あるとすれば飛行能力を試す実技に対してだろう。


「じゃあ飛行練習しないとな! 俺まだ翼を扱い切れてねぇし」


 そう言って期待の眼差しでレオの方を見つめる。


「なぁレオ! 教えてくんね? 上手く飛ぶ方法をさぁ」

「はぁ? 馬鹿か? 何で俺がてめぇにそんなことしなくちゃいけねぇんだよ。下らねぇ」

「仲良くしようぜ!」

「断る」


 そう言って、例の如く教室から姿を消していった。

 イッキは困り眉で苦笑する。


「なかなか上手くいかないなぁ」

「水と油」

「俺が油ってことか! でもレオは炎だから相性良いと思うんだ」

「イッキは水」

「消火しちまってたってわけか!」


 下らない会話を聞いて、同じ教室内にいるフルティは呆れて息を吐く。


「……火に油を注いでいるだけとも言えますね」


 しかしてイッキのもとにシドが現れる。


「なら一緒に練習しようか? イッキ君。代わりに勉強会も一緒にやってほしいんだけど」

「え? でもシド、お前滅茶苦茶頭良いだろ?」

「彼女も一緒に、さ」


 シドは重い空気を漂わせているロストの方にふと視線を向ける。


「……え?」


 自分に来ると思ってなかったロストは目を泳がせている。


「いいよね? ロストさん。どうせ勉強するなら……人は多い方がいい。というか僕的にも夢だったんだ。友達と勉強……まさに夢そのものって感じ。フフ……」

「そうだな! 確かに多い方がいい!」

「……」


 返事はなかなかできないロストだが、断る勇気も持ち合わせていない。

 シドの思惑通りに進める以外に選択肢は存在していなかった。


     *


神嗣学園 自習室


 神嗣学園の自習室は使用されていない教室全て。

 二年から選択授業形式が導入されるため、教諭によって授業の行われる教室は様々になる。

 イッキたち一年の授業は基本的に週五日間毎日午前に二コマ、午後に三コマあるのだが、全ての授業が終わる時間は割と早い。

 一年にとっての放課後は上級生にとって授業中の時間帯であることが多く、普段イッキたちが利用している三〇三号室も授業に使われることもある。

 そのため学園内で自習するためには、図書館か空き教室に行かなければならないのだ。

 そして、イッキたちは改修中の図書館を使えないために適当な空き教室に向かわざるを得なかった。


「い、イッキ君……意外と頭良いんだね」


 勉強会を始めてロストは早速絶望していた。


「いやいや、俺はほら、元日本人だから。日本については詳しいんだよね」

「……ど、どういうこと?」

「そのままの意味だけど」

「???」


 イッキは自分が人間だったことを彼女に伝えたつもりでいたが、生憎と伝えた相手はロストではなく、彼女の体を乗っ取ろうとした魔神サタンだ。


「……とにかく……わ、私は駄目。駄目駄目。どうせ赤点取って課外授業にも行けない……。私なんてそんなもん……」

「卑屈だなぁ」


 乗っ取られ事件の後から、ロストのネガティブな態度は更に重さを増していた。

 周りの態度は何も変わっていないことがより拍車をかけていた。


「だからこそこうして勉強会を開いたってわけだ。ねぇルイさん?」


 シドはそんなロストを案じて勉強会を提案していた。

 しかしルイからの同意は得られない。彼女は既に居眠りを始めていた。


「……イッキ君。彼女は大丈夫なのかな?」

「ん? 知らんけど大丈夫だろ。ルイは意外と頭良いからな」

「フフ……私だけ……私だけ馬鹿……」


 ロストのネガティブオーラは広がりを見せ始めた。


「おい」


 そんな中、自習室に『見知った』二人組がやって来る。

 一人は金髪のスラッとした体型の男で、バツ印の入った禁止マークのような形の光輪に、四つの光翼を持つ男。

 もう一人はモヒカン頭に太った体型の男で、プロペラ型の光輪と体型と同じく太く分厚い光翼を持つ男。

 この二人はレオの取り巻きで、イッキたちのクラスメイトだ。


「ん? 何だ何だ? レオは? 一緒じゃないの?」


「「俺らにも勉強教えてください!」」


 二人は仰々しく九十度頭を下げた。

 呆気に取られたのはロストとシドで、ルイは眠りから覚めない。


「え? レオに教えてもらえねぇの?」

「いやいやイッキ君。その前にもうちょっと驚こうよ」

「どどどういうつもり……?」


 ロストとシドの二人はレオたちのことをあまり良く思っていない。

 むしろ逆に、自分達のこともあまり好かれていないと思っていた。


「や、やっぱ駄目っスか……?」


 金髪の男はヘラヘラ苦笑しながら頭を掻く。二人の反応は予想通りといったところだった。


「レオさん試験勉強は一人で集中するタイプらしいんだ。あの人の邪魔ぁしたくねぇ」

「僕らの邪魔ならいいってこと?」

「いやいやそうじゃないっス! 俺ら馬鹿なんで! 協力してほしいんですよぉ」

「ああ怪しい……」


 二人は懐疑的だが、イッキがどう答えるかは既に予想出来ていた。

 そして当然その通りに──


「いいよ!」


 ────なる。


「イッキ君……僕はまあいいけど、ロストさんは怖がってるよ?」

「べべ別に全然怖くないし……」


 そう言いながら震えていた。

 彼女は恐れていたのだ。レオ伝いでこの二人に自分が前に起こした事件のことが知られていて、そのことを責められるのではないかと。


「すんません、このモヒカンが悪いんスかね? モヒカン剃れば良いっスか?」

「いや俺のモヒカンなんだけど」

「だだだから怖くないし……」

「じゃあモヒカン剃るか」

「何でだよ!」


 金髪の方はロストのことを多少気にしておどけた振りをしている。

 残念ながらモヒカンには通じていないが。


「ロストが大丈夫なら大丈夫だろ? ほら座れよベン、ダック」


 ベンというのは金髪の名前であり、ダックはモヒカンの名前。


「おお! 流石は最高神の候補生! 懐がふけぇや!」

「礼は言わねぇ。ありがとよ」


 微妙な顔のロストとシドを置いて、二人は適当な席に着いた。

 手際よく勉強道具を出したことから、彼らが勉強を教えてほしいと言ったのが事実であることは確かだと見受けられる。

 もっとも、イッキは初めから疑ってはいなかったが。


     *


「すげぇ! シドさん教えるの上手いっスねぇ!」

「いや、別に……」


 おべっかではなく本気で褒められていると、流石のシドでも表情から読み取れる。


「……起きたら増えてる。影分身?」

「忍者は日本にしかいないよルイさん」

「いや今はもういねぇけど…………いやいるのかな?」


 そこまでは元日本人のイッキでも分からない。


「しかし今日は助かったぜ、『銀(ア)の(ス ト)星(ラ)』」

「あん? 何それ」

「お前の背の奴」

「ん? ああ……なるほど?」


 モヒカン頭のダックがそう呼んだのは、イッキの銀色で星形の光輪を見た為だ。

 名前で呼ぶのが恥ずかしいのかもしれない。


「正直赤点覚悟だった。頼んでみるもんだな」

「おいおい困ったらお互い様だろ? 友達なんだから」

「……まだ言ってんのか」

「何だよ。嫌?」


 複雑な表情に変わるダックに代わってベンが答える。


「正直嫌じゃないっスよ。でもほら、レオさんはそういうのあまり好きじゃないじゃないっスか。だからクラスメイトとはいえみんなと仲良くってのは避けたいとこなんで」

「それって……む、無理してるってこと?」


 尋ねるのはロストだ。


「いや別にそういうわけでもねぇさ。ただまあ……レオさんの見てないとこでなら、別に普通に仲良くしててもいいかなぁって……コイツがそう言った」

「いやいや! お前も言ってだろダック!」

「言ってねぇ!」

「じゃあ俺も言ってねぇ!」

「仲良いなぁ」


 少しの時間だったが、ロストとシドは彼ら二人に対する見方を少しだけ変えることになった。

 レオもそうだが、皆不器用なのだ。

 日本クラスには、本来ならいくつかのグループに分かれるまでもなく仲良く過ごせるメンバーしかいないのだが、ちょっとしたプライドや流れ、あるいは好みで分断されているに過ぎない。

 ベンとダックは、主に庶民的なプライドで優れた神から神託を受けたイッキたちと距離を置いていて、好みでレオに与して、流れで口が悪くなるだけだった。

 少なくともこの勉強会の間は、二人が同じ空間に居て居心地が悪くなることはなかった。


「……ごめんなさい」


 そして唐突にロストは謝罪の言葉を吐きだす。


「……!」

「何だぁ急に」


 謝罪の意味を察したベンとは裏腹に、やはりダックには通じていない。


「……ここ、この前みんなに迷惑を掛けた……。な、なのに……私まだ謝ってなくて……お、おまけに……ああ貴方達に敵意みたいな視線向けて……」

「え!? 敵意向けられてたのか!?」


 ダックには通じていなかった。


「みんなまともで良い人しかいないのに……わ、私だけ……私だけが……」


 慌ててベンは手をブンブンと横に振る。


「いやいやいや! 俺ら言うほどまともじゃねぇし! そっスよね!? アストラの!」

「ん? 俺? アストラって──」

「ね!?」

「え、あ、ああ……うん。入学式の時は喧嘩売られたし。……まあ俺も売ってたようなもんだけど」

「そらな! 図書館なんてすぐ直るし気にすんなよ!」


 ロストが感激で涙ぐみ始める一方で、イッキはルイに『アストラ』とは何ぞやと尋ねる。

 それが『星』を意味する単語だと教わって納得していると、ロストは感激を言葉に変えだしていた。


「……あ、ああ……あり……あぁりぃ……」

「アーリー? 『早い』?」

「……ありがとうございます」


 早口で言い終えた。


 やがて頃合いが来て勉強会は終了する。

 イッキとシドだけはその後体育館で飛行練習をしに行ったが、クラスメイト同士の仲はこの勉強会でそれなりに培われた。

 あとはただ試験当日を待つのみとなる──

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