春の星

豆ははこ

第1話 春の星を、君に。

「また、星の季節がきたね」


 桃の花弁は尖っていて、桜の花弁のような切り込みがない。


 それを、君は春の星と呼んだ。


 冴えた空の青色まで溶けているような、美しい、淡紅色をまとった、春の星。


 わたしは、落ちているもののうち、花弁が揃い、きれいなままで地にあった花冠かかんを探し、ハンカチに包んでおく。


 花粉は、できるかぎり落としてから、背広のポケットに。


 この星を、君に、見せたい。


 たとえ、それが、かなわなくても。



「ただいま。星の花を見てきたよ」


 ただいま。

 君に、そう言えることは嬉しい。

 だが、ここは。


「おつかれさまです」

 そう、会釈して僕のそばを通るのは、看護師さん。

 ここは、高名な医療施設。


 僕の妻は、約半年前、女子学生をかばい、信号無視のバイクにかれ、昏睡状態になった。


 運動神経が鈍いと自覚していた妻が、自分と同じくらいの背丈の女子学生を庇って。


「なんで、そんなことができてしまったんだ」

 連絡を受けて、わたしは、つい、思ってしまった。


 妻にも、女子学生にも、失礼だ。


 分かってはいたが、鈍くさい君でいてくれたら。


 そう思ったわたしは、本当に利己的だ。


「そうですよ、私、頑張ったのに」

 そう責めてほしいのに、妻は今も、眠っている。


 女子学生の親御さんは、弁護士さんと司法書士さん。


 妻と私への感謝の思いが甚だしく、この医療施設への入所、金銭面と様々なことをしてくれた。


 おかげで、私は仕事帰りや休みの日、このように、憂いなく妻に会いに来ることができているのだ。


 加害者とその家族は、最初こそ丁重ではあった。

 然しながら、女子学生のご両親からの対応に腹を立て、金銭面での減額が不可能と知るや、可能なかぎりの分割払いで細々と支払いをしてくるのみになった。


 それは、ある意味、正直な行動ではある。


「おじさま、こんにちは」


 後ろから、声を掛けられた。

 確認しなくても、分かる。

 妻が助けた女子学生だ。


 いつからか。

 彼女は妻を「おばさま」わたしを「おじさま」と呼ぶ。

 こそばゆいが、嬉しくなくはない。


 わたしたちの娘は、海外で働いている。

 帰国するというのを、妻ならばどうするかと考えて、あちらにいてもらった。

 週に一度は必ず連絡。嘘はつかない。この二点を伝えて、やっと納得させた。


「お母さんならそう言うと思うから」

 やはり、わたしは妻には勝てない。

 勝てるはずもないのだが。


「ありがとう。だけれども、今年は受験生でしょう。君とご両親からのお礼は十分に頂いているよ。勉強を頑張って下さい」

「こちらに伺って、おばさまのお顔を見ると頑張るぞ! って思えるんです」


 嬉しい。

 この朗らかで優しいいのちを守れたのが、わたしの妻なのだ。誇らしい。


 でも。

「君に、見せたいなあ」

 背広のポケットに触れながら、つい、呟いてしまう。


 ……何を言っているのだ、わたしは。

 彼女に聞かれていたら。

 気まずい。


 大人げなさが、過ぎる。


「……おじさま! おばさまが!」

 すまないね、と言おうとしたら。


 彼女が、震えていた。


 示すのは、妻の、指。


「まさか」

 妻の指の先。


 それは、確かに。


 動いていた。



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