辛いだけの特訓に少女は

「ほら走れー。まっすぐ行ったらもうゴールだぞー」


 春故に時間に比べまだ夕暮れな空の下。

 鈴野すずの鏡界ホール特有である無人の街中を、息を乱しながらも懸命に走る少女──結月ゆづきの背を自転車で追いかけながら適当な声を掛け続けていた。

 

「ほらゴール。はいお疲れー、三分休憩なー」

「はあっ、はあっ……」


 滑り込むようにして公園の地面に倒れた結月ゆづき

 そんな彼女に自転車を止めた鈴野すずのは、タオルを優しく投げ落としてから側に青いラベルのペットボトルを置き、近場の遊具に腰を下ろす。

 十数秒の後、結月ゆづきようやくペットボトルを掴んで口を付ける。

 ごくごくと、脇目も振らず液体を喉へと流し込み、満足そうに身体を潤わせてからタオルで顔を拭き、ようやく人心地付いたように力を抜いた。


「……お姉さん。これ、意味があるんですか? もっと戦い方を教えてくれても──」

「甘いなぁ。何事もまずは基礎。筋力はともかく、体力はあるに越したことはないぜ」


 そう言いながら、鈴野すずのは懐からズボンのポケットから箱を取り出し、中の一本を口へと含む。


「……煙草を吸ってるような人に言われても響きません」

「残念。こいつはただの菓子だぜ、流石にガキの前じゃ吸わねえよ」


 冷たい視線を飛ばす結月ゆづきを、鈴野すずのはシガレットを咥えながらからからと笑う。

 唾液で溶ける白い棒はいつもの苦さと刺激はどこへやらで、ただひたすらに甘ったるく。

 不味くもないがやはり菓子だと、内心毒づきながらも噛み砕くことなく、手に持っていた懐中時計を開く。


「……よし、そろそろ三分だ。ほら変身しろ、お望みのバトル講座だぞ」

「つ、詰め込みすぎでは?」

「十日しかない上にお前は平日学校だからな。門限もあるだろうし、それはもうぎっちぎちでやっていくぜ」


 催促された結月ゆづきはのろりと立ち上がり、手鏡片手に光を宿して「変身イデアトランス」と唱える。

 そうして魔法少女ブルームーンへと変身した結月ゆづきは、自分よりも遅く遅く、けれども圧倒的に早く変身を完了した鈴野すずのに少し驚いた顔を見せた。

 

「……なんでそんなに早いんです?」

「年期の差だ。んじゃ始めっぞー。とはいってもやることなんてシンプル。私が追うからお前は逃げる、基本それだけだけどな」


 シガレットを噛み砕いた鈴野すずのは、説明しながら軽く身体を解し始める。

 

「時間は一時間。時間内に被弾した数で罰ゲーム。私は手を抜くけどお前は回避、反撃、逃走と好きにやっていい。質問は?」

「……殴るとは、どのくらいで?」

「適当に。ああそれと、逃げている際に黒い靄を見つけたら消せ。それは絶対だ」

「靄?」

「ああ。ほら、ちょうどあんなのだ」


 そう言いながら鈴野すずのの指差した方向には、ちょうどブランコの近くに漂う黒い靄が。

 あまりに薄く輪郭すら曖昧な、けれど僅かな魔力を宿しているくすんだ靄。

 まるで燃えカスのようなそれを目にし、結月ゆづきの全身に僅かな寒気が走ってしまう。

 あれは人が触れるべきでないものであると。生物であれば本能的に、毛嫌うものであると。

 

「あれは、何です?」

「澱みと、私達は呼んでいた。……そうだなぁ、今は魔法少女がいるべき理由とだけ覚えておきゃいい」


 結月ゆづきの問いに、少し悩んだ鈴野すずのが出した答えは説明としては曖昧すぎるほど簡素なものでしかなく。

 そのたった一言に込められた意味を、今の結月ゆづきは推し量ることは出来なかった。


「さ、始めるぜ。ごー、よんー、さーん」

「え、えっ……!?」


 話を打ち切るように、手を叩いてカウントダウンし出す鈴野すずの

 あまりの強引さに結月ゆづきは困惑しつつ、けれど身体を宙へと浮かせてその場から離れていく。

 前回の戦いである程度飛行に慣れたのか、地上を走るよりかは速く移動出来ている結月ゆづき

 遮蔽物のない空を進む感覚は多くの柵を振り払えるかのようで、結月ゆづきはその心地好さを感じつつ、追いかけてくる鈴野すずのから距離を取ろうと速度を上げようとして──。



「随分余裕そうだなー。さてはお前、ちょっと私を舐めてない?」


 

 直後、結月ゆづきの背後から聞こえた暢気な声。

 それを結月ゆづきが耳にした瞬間、少女は空から弾き飛ばされ地上へと突き刺さる。


「っ、うっ……」

「一回目。ほら立て、続けっぞー」


 叩き付けられるように墜落し、ひび割れた道路の上で頭を押さえながらも立ち上がろうとする結月ゆづき

 そんな少女に鈴野すずのは坦々とした声を投げ、欠片の躊躇もなく指先から魔力の弾を射出した。

 

「っ!!」


 倒れるように転がりながら、どうにか回避して再度飛翔する結月ゆづき

 だが鈴野すずのはそんな少女の背にしっかりと狙いを定め、先ほどよりも速い弾をぶつけ再度地へ、正確には駐車されていた車へと墜としてしまう。


「二回目。このままじゃ罰ゲームまみれだぞ?」


 ぐしゃりと屋根は壊れ、潰れるように座席へと落ちた結月ゆづき

 立ち上がるための力が込められない。動けという命令を、身体が言うことを聞いてくれない。

 外傷は一つもなく、痛みもさしたものではない。衝撃こそ強いものの、あの攻撃自体は見かけほどの威力しかないと、結月ゆづきの身体は嫌というほど理解している。

 

 それなのに、そうであるのは、分かっているはずなのに。

 見下ろしてくる魔法少女の口調は敵意もなく、ただ害虫を駆除するかのように平坦で。

 まるで前回と同じ──或いはそれ以上に感じてしまう目の前の現状への恐怖に、結月ゆづきの心は縛り付けられてしまっていた。


「……次、いくぞ」


 それでも懸命に力を振り絞る結月ゆづきを、鈴野すずのは待つことなく射出を再開する。


 逃げようとして墜とされる。

 離れようとして後ろへ回られて殴るか蹴られる。

 

 理不尽とも言える鬼ごっこに結月ゆづきが反撃などする暇もなく、ただひたすらに被弾と墜落を繰り返すのみ。

 変わり映えのしない時間の後、結局十分と経たず鈴野すずのによって終了が告げられた。


「っ、んぐっ……」

「八分と三十秒か。ま、初回ならこんなもんか」


 悔しさか、それとも辛さか。

 とにかく立つことも出来ず、倒れたまま腕で目を塞いで嗚咽を漏らす結月ゆづき

 そんな様に鈴野すずのは少し困りながらも、時計を仕舞いつつ側へ寄ってしゃがみ込む。


「ごめん、なさい……」

「あんまり落ち込むなよ。理不尽を強いると宣言はしたが、そんな私でもハードだと思うしな」


 鈴野すずの迷いながらもが励まそうとするが、それで結月ゆづきは止まることもなく。

 かといって張本人であるためこれ以上掛ける言葉はないと、手で首を押さえながら深いため息を吐いてしまう。


 ……はあっ、どうっすかなこれ。落ち着くまでしばらく時間が掛かりそうだしよ。

 期日が期日なので詰め込むしかないのだが、流石に見立てが甘かったか。

 鏡界ホールじゃなきゃ通報もんだぜ、この光景。二十代の無職女、未成年を暴行かってな?

 あー面倒い。こっちだってガキ痛めつけて悦ぶ趣味はねえっての。

 こんな胸糞悪い思いすんなら、菓子だけじゃなくて本物も持ってくるべきだったぜ。ちくしょうが。


「……これを毎日やる。泣くのは勝手だが、容赦も同情も一切しねえ」

 

 しばらく悩み、結局鈴野すずのが放ったのはぶっきらぼうな言葉だけ。

 地面を叩き、世界を戻してから変身を解き、そのままシガレットを取り出して一本指に挟む。


「……逃げたきゃ逃げてもいい。仮に逃げ出さなくても、私が望む水準に達しなかったら決闘には行かせない。戦い方も含め、その辺しっかりと考えてから明日も来るか選べ」


 そう言いながら結月ゆづきの周辺に人払いの結界を張り、鈴野すずのは倒れる少女に背を向けこの場から離れていく。


「待って……お姉さん……」


 少女が何かを掠れ声で何かを呟くが、鈴野すずのは振り返ることはなく。

 道すがらに手の温度で溶けたのか、多少べたつくシガレットを口へと含みながら、鈴野すずのは何とも言えぬもやもやを抱えながら歩く。

 慣れから吹かせど煙は出ず。口の中に残るのは、度し難いほどの甘ったるさだけ。


「……苦えな」


 だが味など関係なく。

 今までで一番の苦い煙草の味に浸りながら、鈴野すずのはぼんやりと薄暮の空を仰ぎながら帰路につく。


 時間は僅か。誰かが聞けば非難轟々であろう、拳上等だった昭和ですら慄く懲罰に等しき特訓。

 きっと恨まれるだろう。この十日の果てに、下手したら殺意すら向けられるのだろう。

 けれど期待してしまう。結月ゆづきが、最後であろう旧世代どうほうがどう成長するのかを。

 さあ地獄の叩き上げだ。私とは違う道筋の地獄を前に、果たしてあのガキはどこまで伸びるかな。


 だが鈴野すずの期待とは裏腹に、次の日も同じように抵抗一つ叶わず。

 そしてその次の日。ついに結月ゆづきは夕暮れを迎え越えようと、鈴野すずのの下へ訪れることはなかった。


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