黒の領地


(リアージュの馬鹿! 阿保! 適当なこと抜かしやがってッ!)

 胸の内でありとあらゆる罵倒をしながら、リディアは必死に鶏を追いかけていた。家畜小屋の金網が壊れていて、そこから逃げ出した十羽の鶏を使用人総出で捕まえようとしているのだが、垣根の上に飛び乗って馬鹿にしたようにこちらを見下ろす雄鶏相手に、歯ぎしりする。

「お姉さん、魔法使えるんじゃないのかよ」

 隣に立つ少年が、箒を担いだまま呆れたように告げる。彼は代々、オルダリア公爵家の砦を管理している一族の子供で、育てた家畜を黒の領地まで連れてくる大役を担っていた。

 そのため羊、山羊、鶏、家鴨の扱いが上手く、ほぼ彼一人で逃げ出した鶏を小屋に押し戻したくらいだ。

「魔法……」

 その少年の言葉に、リディアは唇を噛んだ。そう、魔法だ。自分に一ミリの才能もない、あれだ。

 黒の領地に来てはや二日。

 今回は急遽、王太子殿下も参戦することが決まり、各家の騎士達は黒の領地の主城へと赴き、今後の作戦と役割を割り振られていた。

 本日、オルダリア公爵家の騎士達はリディアが詰める彼らの砦から東に十キロ行った先の沼地の平定を行っている。そうやって騎士達が戦っている間にリディアはひたすらに雑用に追われていた。

 元現代日本人で元伯爵令嬢の彼女が、ほぼ野営といっても過言ではない状況で何ができるというのだ。せいぜい一か月で学んだ竈の火を熾し、野菜の皮をむく、切る、くらいしかできることはない。

 魔法の一つでも使えれば砦の管理者の狩りを手伝えるのだろうが、上達速度は亀並だ。

 試に、少年の視線を背中に感じながら、リディアは両手を前に出し身体を巡っているとされる魔力を感じ取ろうとする。それを掌に集中させて布のように広げるイメージを持ち、それが鶏を包み込んで持ち上げ……。

 目を閉じて集中していた所為で、リディは自分が何をしているのか理解していなかった。少年がぶはっと吹き出すのを耳にして目を開ければ、こちらを睥睨していた雄鶏が逆さまになっている。

 げらげら笑う少年に、リディアは苦々し気に顔を歪めると逆さまになって激高する鶏をそのまま小屋へとぶち込んだ。

 たったそれだけでぜーぜーと肩で息をするリディアに、少年が憐れむような視線を向ける。

「お姉さん、公爵閣下の婚約者なんだろ?」

 腰に手を当てて告げる少年に、リディアは「あはは」と力なく笑った。

「まあ……一応」

「閣下が討伐戦にまで連れてくるくらいだから、有名な魔法剣士、ミス・イグナーみたいな凄い人なんだって父さん達が話してたけど」

「言わなくていいわよ、わかるから」

 その後続く言葉は聞かなくてもわかる。

 十中八九、『なんであんな女性が?』だろう。

(何か取り柄があるわけでもないし、美人だけどお淑やかってわけでもないし、かといって剣術や魔術に優れているわけでもないんだからそうなるわよ)

 全てに秀でていると言っても過言ではない、自慢の主の妻候補が冴えなさ過ぎて困惑しているという所だろうか。

 はあああああ、と魂が抜けそうなほど深い溜息を吐くと、その背中を少年がぽんぽんと叩く。

「政略結婚ってわけでもないのに選ばれたんだから、きっとなんかこー心に触れるものがあったんだろうって、みんな言ってたから元気出せよ」

「………………微妙な慰めありがとう」

 砦の人間たちがリディアからさっと視線を逸らす様子を思い出しながら、心の中で血涙を流す。

(帰りたい……)

 討伐戦はまだ始まったばかりだというのに、リディアはすでに心が折れそうになっていた。



 黒の領地とは魔物の根幹である瘴気が無限に溢れる地域のことだ。

 その昔、この大陸を収めていた竜族が自分たちの配下を効率よく生み出すために、瘴気が自然と集まってくるように作った場所で、後に彼らを滅ぼし大陸を平定した五つの国の全てに存在している。

 竜族が大陸を統治していたのは今から数千年前だというのに、未だ衰えないその瘴気溜まりは魔物を量産し吐きだし続けている。各国で呼び名は違えど、ここグラドガルデ王国では『黒の領地』と呼ばれ、定期的な浄化作業が行われていた。

 そうしないと、あっという間に黒の領地は拡大し、魔物の数が増えるからである。

(名称の由来は真っ黒な木々にあるのよね……)

 周囲を黒い岩山が囲み、くぼ地になっているそこには、真っ黒な幹に灰色の葉が生い茂る水墨画みたいな森が広がっていた。常に薄暗く、色彩といえば各家が掲げる旗と同色のマントくらいなもので見える範囲全てが陰鬱に沈んでいるようだった。

 空は常に厚い灰色の雲に覆われ、日差しは弱い。それも夕方になると届かなくなり、暦の上では夏なのだが、そこここに雪が積もっていた。

 そんな領地に建てられた各家の砦は、魔術師たちが張った結界の内側にあるため瘴気の影響を受けない。だがそこで生活するのは大変なので、管理人の一族は黒の領地入り口付近の街で暮らしていた。

 陰鬱な地域の傍にあるというのに、各家の管理人が滞在する賑やかな街で、討伐戦の季節になると管理していた家畜や食材、生活用品などを準備して乗り込んで行く。討伐戦の三か月前から準備が行われるため、砦は日常生活に仕様がないくらい快適な状況だ。そんな中、リディアは分厚いガラス窓の向こうを眺めていた。

 二日目の夜が暮れていく。


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