悪役貴族に剣の修羅を放りこんでみたらまわりの人々の瞳がドロドロに濁ってしまった話

雨雲ばいう

第1話 なにゆえ剣の修羅は悪役人生を喜ぶに至ったか

 つまらない。そう、老人は人生を呪った。


 老人は剣の修羅である。


 幼き頃、幕末の動乱を生きぬいた師の剣に魅せられた。幾多の死闘の果てに磨かれたその殺人剣に老人は恋をしたのである。


 己も師のようにただひたすら剣に魂を捧げ、命の応酬のはてに首をかき切られて死んでしまいたい。


 だが、そんな老人の願いはついぞ叶えられることはなかった。


 剣の時代が終わり、銃と大砲が支配する戦場は老人を必要としない。剣術は死の香りが拭いとられて腑ぬけたお遊びに落ちた。


 老人は生まれる時代を間違えたのだ。


 これがいにしえの戦国の世ならば老人は願いを成就したであろう。命をかけて剣の奥義を披露しあう、そんな世ならば。


 だが、そうではなかった。


 今の老人はたんなる時代劇のやられ役である。あくびが出そうなほど遅い素人の剣に斬られたふりをする、そんな端役だ。


 今日も巷で流行りらしい俳優が馬鹿馬鹿しい剣を振るっている。我ながら阿呆らしいと思いながら、老人は悲鳴をあげて地面に倒れこむ。


 その時、視界が暗くなった。


 心臓が焼けるように痛い。胸をおさえて悶えながら、老人は死を悟った。慌ただしくなる周囲の音が遠ざかっていく。


 老人は、ただの病で生涯を終えるのだ。あれほど剣での勝負で果てたいと願いながらこのざまとは、なんと因果なことだろうか。


 涙を流しながら、老人は生まれて初めて神に祈る。


 願わくば、強者と正真正銘の真剣勝負を一度だけでも―――――。





「若様、若様! いったいどこにいらっしゃるのですか!」


 木の枝に登るわたしの下を、口うるさい下人がとおり過ぎていく。


 わたしは誰もいなくなったことを確認してから、梅の咲きほこる庭へと静かに降りたった。


 捕まればつまらない和歌の勉強をさせられる。


 そうして木々の影に隠れたわたしは、手に握る棒きれをゆっくりと構えた。


 ゆらりと、丁寧に棒きれを振りおろしていく。きらびらやかな屋敷から離れ、わたしはひたすらに剣の技を磨いていた。


 老人であったはずのわたしは、気がつけば少年になっていた。


 かつての世界では平安の世と呼ばれるのだろうか、すこし古風なこの世界でわたしは貴族の子ということになるらしい。


 だが、そんな些細なことはどうでもよかった。


 「……五十神いそがみ秋継あきつぐ。」


 今世でのわたしの名である。そして、その名にわたしは聞き覚えがあった。


 わたしがやられ役として出たあの映画、その原作となる漫画にて主人公の陰陽師に成敗されし貴族、その名とまったく同じだったのである。


 人知を超えた魑魅魍魎が跋扈し、人々は夜の闇に怯え暮らす。


 そんな魔京を主人公がその陰陽道の才を生かして駆け抜ける、そんな冒険活劇譚のなかで、己の名を目にした気がする。


 確か、出自の卑しさから主人公をうとんで嫌がらせをする悪の貴族ではなかっただろうか。


 陰陽道の大家に生まれながら、遊びにうつつを抜かし修練を怠る体たらく。最後には主人公の式神に喰われた。


 つまり、もしこの世界が漫画のそれなのならば、わたしは破滅の運命にある。


 ろくに長生きもしないうちに主人公の手にかかって惨たらしい死で幕を閉じる、そんなろくでもない人生と知りながらわたしは笑みをこらえられなかった。


 困ったなぁ、実に困った。





 ―――つまり、強者と命がけの殺しあいができるということではないか。





 祈ればこうなるというのなら、もっと神仏を敬っておくべきであった。まさか叶わぬと諦めてしまっていた我が大願を成就してくれるとは。


 主人公のやつは最後には京の守護神、陰陽師の祖神として崇められるほどの卓越した陰陽師である。


 ならば相手にとって不足はない。


 生涯を剣に捧げ、剣の秘奥を命をかけて修練する。そして最期には真剣勝負にて首をかき切られるのだ。


 恍惚の表情を浮かべてわたしは我が身をかき抱いた。


 妖があちらこちらに巣くい、死臭が漂う世など、なんと幸福な時代に生まれたものか。


 最期には陰陽の天才の手にかかって果てるのなら文句などあるはずもなかろう。


 わたしはまだ見ぬ宿敵を幻視して桜の咲き誇るような笑みを浮かべてみせた。


「いざ尋常に勝負願おうぞ、わが生涯の敵よ――――。」

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