それでもふたりは異世界を謳歌する。

乙希々

序章

第1話 二人だけの世界

「ごめん……私、もう歩けない──」


 鬱蒼うっそうとした森。

 果てしなく続く雑木林の山道にて、僕のすぐ後ろを歩く彼女のなげき声が聞こえてきた。

 振り返ると、彼女は土の地面にも関わらず夏服の制服姿で体育座りをしている。短いプリーツスカートのせいか、もう少しでその中身が見えそうになっていた──ことについては、あえて見て見ぬふりをする。


「……お腹空いたし」

「へ……?」

「だから、お腹ペコペコなのっ!」


 普段は物静かで優等生らしかねない彼女の言動に戸惑いつつも、僕は慌てて肩掛けリュックを下ろし中身をあさった。


「え、ええと、こんなのしかないけど……良ければ食べる?」


 すると、彼女はつややかなセミロングの髪を揺らし、みるみる目を輝かせた。その熱い視線は僕が差し出すブラックサ◯ダーに一点集中だ。整ったキレイな顔立ちなのに口元が少しだらしなくなっている。


「い、いいの?」

「いいよいいよ。お腹空いてるんでしょ? いいから、食べて食べて」


 で、僕から無言でチョコ菓子の包みを受け取ると、彼女は即座に袋を開封した。余程お腹が空いていたのか、周りに構わず夢中になって食べてる……というか、一口で咀嚼そしゃくしてた。


「…………何?」

「い、いや、別に何でもないよ?」


 そんな彼女の様子を微笑ましく眺めていたら、軽く睨まれてしまう。


(……ごめん。何だかお腹を空かした野良ネコにエサを与えた気分になってた)




「……私たち、きっと大丈夫だよね? このまま家に帰れない、って事はないよね?」


 お腹が満足して気分がそれたのか、おもむろに彼女は立ち上がると、不安げな面差しで僕に問いてきた。


「ごめん。正直、僕には何とも言えない……」


 今では薄暗くなりつつある空を仰ぎ、そのまま嘘偽りのない本心を告げる。下手な希望や憶測はことさら言うべきではない。


「ううう、うっく──」


 その結果、彼女はまるで小さな子供のように嗚咽を交えて震えだした。普段のクールなイメージと違うギャップに僕は慌てる。


「ほ、ほら、これって、俗にいう、異世界転生ってやつだよ。だからワクワクするじゃん! 何だかラノベの主人公みたいで、さ……」


 と、その場しのぎで適当な言葉を並べているうちに、次第と語尾がだんだん尻つぼみになっていく。

 場を和ませようと軽く冗談を言ったつもりだったのだが、正にそれこそが核心をついてる事実だったかも知れないことに、僕はふと気づいてしまったから。


(……いや、まさか、な……いや、状況としては有り得ないこと、ではない)


「……どうしたの?」


 いつしか泣き止んでいた彼女が、その場に立ち尽くす僕を不安げに見据えていた──



 多分、彼女は普段、漫画やアニメ、ましてやラノベなんか見ないタイプなのだろう。だから僕が言った『異世界転生』という単語に無反応だったのだ。

 つうか、言った僕自身、異世界転生、なる言葉の意味を芯から理解していると言い難い。それこそ絵空事であって、現実では決して起こりえない出来事を、誰かしらがそう呼んだのが現代文化に定着したに過ぎない。

 だから、異世界転生とは、ただのエンタメのひとつであって──いや、そんな理屈云々よりも今のこの状況を科学的どう説明する? 


 無理だろ。


 かくいう僕と彼女は、別に森でピクニックに来て遭難したわけでもないし、ましてや二人で逃避行の挙げ句、山道に迷い込んだ──そんなロマンスがあったわけでもない。

 だって、僕らはつい先程まで……というか、この森に迷い込む数時間前までは、学校の校舎にいたのだから、こんな現実はあり得ない。あるハズがない。


 当然、学校の近所にこんな富士の樹海みたいな森があるなんて見たことも聞いたこともないし、もしあったとしても、自分の意志なく迷い込むことなんか絶対に考えられない。

 唯一の懸念であるそこで呆けている彼女の存在だが、その様子からして、僕を何らかの方法で眠らせ、知らぬうちに森へと運びこんだ、なんてことは、可能性としてゼロだろう。どちらかといえば、彼女も被害者側だ。



「え、ええ?」


 ふと気づけば、真正面で彼女がマジマジと僕の顔を覗き込んでいて、


「わわ、私、あなたの事、た、頼りにしてるから……」


 そんなツンデレ台詞を言い放ち、そのまま後ろにササッと下がっていった。

 僕は一瞬、どう返せば正解なのか迷いに迷った挙げ句、


「まま、任せて、ここから何とか脱出する手段を考える。絶対に君を守るから!」


 と、キャラでもない、どこかのアニメで聞いた台詞をそのままコスペしていた。


「うん。ありがと」


 意外と彼女もまんざらではなさそうだった。

 多分、吊り橋効果ってやつだ。



 僕らは再び歩きだしていた。

 視界いっぱいに広がった木々の間を無理やりでも歩く。とにかく今は立ち止まっていられない。依然として状況は最悪だが、幸いにも、これまで獣らしきものに遭遇していない。しかしこのまま夜になると、どんな危険が待ち構えているか分からない。


(完全に日が暮れる前に、何とかこの森から抜け出さないと……最悪、野営を考えて、安全な場所を確保せねば──)


 と、今後について、ぐるぐると思考を巡らせていたら──ふと僕は、ある重要な事実を思い出してしまう。

 ……いや、この状況下、あえて考えないようにしていた、だけかも知れない。


 というのも……、

 

「…………」

「ん……どうかしたの?」

「へ? べべ、別に何でもないよ?」

「そう? ならいいけど……」


 不安げに隣を歩く彼女──柊美空ひいらぎみそらに対し、僕──南雲悠一なぐもゆういちは、本日学校で告白して、


 見事、玉砕した、という事実──


 これって、かなり気まずくない?

 

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