凛とした麟(りん)〜三代目社長、君主論にハマる〜

魔術師

第1話 青天霹靂(せいてんへきれき)

「え!?事故!?岡福病院ですね。わかりました、すぐに行きます!!!」


近くのタクシーを捕まえ、病院へ向かう。


「父と祖父がこちらに運ばれたと聞きました。どこですか?」


病院の受付職員が穏やかに対応する。氏名を確認されると、こちらへどうぞと案内された。


「うそ…。そんな…。」


海藤 麟(りん)の人生はこの日を境に激変する。

運命の歯車は思っていたのとは異なる場所と形で回り始める。3月26日のことである。


麟はつい先日大学を卒業し、4月からは巨大IT企業への就職が決まっていた。そこに突然舞い込んで来た訃報(ふほう)。

麟は早くに母を亡くしており、近親者はもう誰もいなくなってしまった。


同日、病院内。

麟ちゃん、と呼ぶ声がした。

父の部下、澤井である。


澤井「麟ちゃん…ごめんな、言葉が出てこない…」


澤井は声を震わせながら麟の肩へ手を置く。


麟「突然過ぎて…。悲しいって感情がまったく出てこないんです。変…ですよね…。」

澤井「いやいや、変じゃないさ。私も同じだよ。今何が起こっているのか、現実なのか夢なのか、立ってはいるけどフワフワした…そんなところだよ。」

澤井「これから大変だろうけど、私たちがついてるから一緒に乗り越えようね。」

麟「はい。ありがとうございます。」


麟の父は株式会社海藤印刷の社長であり、祖父は会長、いわゆる同族会社の経営者であった。

澤井は専務取締役。父の側近である。


会長と社長の乗った車が事故に巻き込まれたと知らせがあり、麟に電話を入れたのは澤井であった。


澤井「あとのことは私に任せて、麟ちゃんはお父さんのそばにいてあげて。」


澤井はそう言うと部屋を出た。


澤井「慌ただしくなるな…」

澤井はそう声を漏らし、会社に電話をする。


澤井「ああ、私だ。社長は…ああ、残念だが…。取引先の葬儀社に連絡をして社長のお迎えを依頼してくれ。ああ、それで良い。それから葬儀社に林君を向かわせて式の段取りを頼んでおいてほしい。ああ、今日は戻らないから後は頼むよ。ああ、では。」


澤井は電話を切り、ふぅ…と小さくため息をつく。

(通夜、告別式は社葬でやるとして、会長と社長の保険金請求、退職金の支払い、後は…麟ちゃんへの相続があるな。それから株主総会と取締役会を臨時で…。登記事項も出てくるかな…。そうだ、黒鉄先生には先に連絡入れておくべきか…。)


澤井はこれから行うこと、起こることを考えながら顧問弁護士の黒鉄へ電話をかける。


澤井「海藤印刷の澤井です。いつも黒鉄先生にはお世話になります。ええ、先生へお繋ぎいただけますか?」

黒鉄「やあ澤井さん、元気にしてたかね。」

澤井「先生、今日連絡したのはですね…会長と社長が亡くなりました…」

黒鉄「ええ!?何があった!?」

澤井「事故です。駆けつけた時にはもう…」

黒鉄「そうか…それはまた…そうか…」

澤井「はい。今はまだ病院からですので、詳しいことが決まり次第、あらためて連絡差し上げます。」

黒鉄「突然のことで上手く言葉にできないが、連絡待ってるよ。澤井さん、大変だけど、君は下を向かないようにね。」

澤井「ええ、それでは先生、失礼します。」


澤井は電話を切ると、続けて顧問税理士の白戸の所へ同様に電話を掛ける。

白戸の反応もまた黒鉄と同様であった。同族会社の会長と社長が同時に亡くなることなどそうあることではない。

これから始まる相続を考えれば澤井の判断は適切であった。


澤井は麟のいる安置室に戻ると、麟に声をかける。


澤井「少しは落ち着いたかな?」

麟「まだ正直、何が起こっているのか・・・。」

澤井「そうだね。私もだよ。」

麟「これからどうなるのでしょうか?」

澤井「まず病院との手続きを済まそう。あとは社に葬儀社の手配を頼んでいるから、お迎えの車が来たら移動しよう。長い話はそれからしようね。」


病院からの搬送、葬儀社との打ち合わせが一通り済むと通夜、告別式の準備が粛々と進む。


澤井「麟ちゃん、ちょっといいかな。」

麟「あ、おじさん。何ですか?」

澤井「これからお通夜、告別式と続くわけだが、1つ麟ちゃんにどうしても決めてもらわないといけないことがあるんだ。」

麟「決めることですか?」

澤井「そう。お通夜にも告別式にも海藤印刷の従業員がたくさん来る。急なことで頭が追い付いて来ないかもしれないが、会長と社長が突然亡くなったことで従業員は全員不安になっている。取引先も同じだ。海藤印刷はダメになるんじゃないかって、いろんな人がそう思うだろう。だから麟ちゃんが継ぐのか継がないのか、それだけでもお通夜までに決めて欲しいんだ。」

麟「私が継ぐ・・・会社を継ぐ?」

澤井「そうだよ。海藤印刷の株式は社長が100%保有している。その社長が亡くなった今、株式を相続するのは麟ちゃんだからね。麟ちゃんが社長を決めなきゃいけないんだよ。自分が社長になるのか、他の誰かに社長を担ってもらうのか、決めるのは麟ちゃんだ。」

麟「そんな・・・私はまだ大学を出たばかりで、会社の経営なんてわかりません。おじさんのお話はわかりますが、そんなすぐに決められません。」

澤井「気持ちはわかるよ、麟ちゃん。でもね、会長や社長がいなくても会社の経営は続くんだ。明日も印刷機は動き続ける。麟ちゃんも不安だろうけど、会社で働いている従業員はもっと不安なんだよ。極端なことを言えば会社が潰れるっていう噂すら流れ始めるんだ。だからこそ方向性だけははっきり決めておかないといけない。」

麟「時間を・・・少し時間をいただけませんか?」

澤井「うーむ・・・じゃあ暫定的(ざんていてき)ではあるけれど、私が1ヶ月間は社長代理ということにしようか。対外的には当面の間ということにして、会社の経営は継続すると宣言しておこう。それで良いかな?」

麟「ごめんなさい。それで良いのかどうかもわからない・・・。おじさんが決めてください。」

澤井「麟ちゃん、ごめんね。こんな時に会社の話をして。でもね、経営っていうのは常に次を考えないといけないんだ。そこはわかってね。」

麟「はい。わかっている・・・と思います。」

澤井「よし、じゃあ後は喪主の挨拶をお願いしておくね。」

麟はこくんとうなずいた。


3月27日 通夜

式場には海藤印刷の従業員を始め、顧問弁護士、取引先など多くの人が参列していた。麟は様々な人から声をかけられたが、何を話して良いのかもわからず、ただ会釈を繰り返すのみであった。麟は思う。

(いったいこの中の何人がおじいちゃんとお父さんの死を悲しんでくれているのかな。たくさん声をかけてもらうけれど、きっと本当に心配してくれているのはわずかだよね・・・。おじさんが言ってたように皆が打算的に自分のことを心配しているんだろうな。なんだか私が生きてきた世界が別世界だったように思える。会社が潰れたら従業員は就職活動しなきゃいけないし、会社の代表が亡くなるってそういうことなのかもしれない。事故の連絡から流れるようにここまで来たけれど、この会場の手配も進行も何一つ私は関わっていない。ただ座っていただけだ。いったいいくらかかっているのかも知らなければ、どのような手続きが必要になったのかすら知らない。私って何も知らなかったんだな。おじさんには感謝しなきゃ。これだけ多くの人に案内を出すだけでも大変だっただろうな。て言うかおじいちゃんもお父さんもこれだけ多くの人と関わってきたのね。二人ともすごいな。私にできるかな・・・社長。)


3月28日 告別式

前日の通夜同様、式場には多くの参列者がいた。

喪主挨拶。

麟「本日はご多用の折、祖父並びに父の最期をお見送りいただき、心からの感謝を申し上げます。遺族並びに海藤印刷を代表してご挨拶申し上げます、海藤麟と申します。祖父と父は3月26日、事故に巻き込まれ岡副病院へ搬送されました。病院の関係者の皆様に多大なご尽力をいただきましたが、祖父と父は旅立っていきました。祖父は79歳、父は52歳でした。故人に代わり皆様のご厚情に心からの御礼と感謝を申し上げます。

未熟な私が皆様の前でこうしてご挨拶を差し上げることができておりますのは海藤印刷澤井専務取締役を始め、社の皆様のお力添えによるものです。祖父と父が築いてきたものに初めて触れた気がしました。大変温かく、力強いご支援を賜れましたことに深く感謝を申し上げます。ありがとうございます。

生前、父はよく『起こってしまったことは変えられないが、未来は変えられる。どんな時でもしっかり前を向き、一歩を踏み出しなさい。下を向いていたらダメだ。下を向いて吐いた言葉は誰の耳にも届かない。』と言っておりました。今がまさにその時だと思います。私は前を向き、一歩を踏み出します。海藤印刷も同様です。前を向き、歩み続けます。当面は澤井専務が舵を取ることになりますが、祖父と父の遺志を継ぎ、ゆくゆくは私、海藤麟が海藤印刷を支えたいと思います。どうか先代同様に今後も皆様のご指導とご厚情を賜れますよう、心からお願いを申し上げます。

本日はご会葬いただきまして、誠にありがとうございました。」


麟は参列者に向けて深々と礼をした。

参列者も礼を返す。うんうんと頷く者、小さく拍手をする者、反応は様々であったが、誰もが麟の挨拶に感じ入っていた。

滞りなく式が終わると、次々と麟は声をかけられる。

「頑張ってくださいね。」

「良い挨拶でしたよ。社長も鼻が高いでしょう。」

「今後ともよろしくお願いします。」

誰もが温かく、麟に好意的であった。


澤井「麟ちゃん、お疲れ様。良い挨拶だったよ。」

麟「ありがとうございます。おじさんのおかげです。」

澤井「まだまだこれからやるべきことは残っているから、一緒にやろうね。」

麟「はい。ありがとうございます。えっと、おじさん、あの・・・」

澤井「うん?どうしたの?」

麟「あの、私、何も知らなくて、昨日からずっとスマホで調べてて、通夜とかいろんな手続き・・・いろいろおじさんに頼ってばかりで、ごめんなさい。」

澤井「なんだ、そんなことか。先々代、先代にもお世話になったからね。その恩返しだよ。気にしなくて良い。」

麟「ここから先のことは私も一緒にやります。いろいろ教えてください。」

麟はそう言うと深く頭を下げた。


澤井「さて、火葬場に行こうか。」

麟「はい。」

澤井「麟ちゃんは葬儀社の車で一緒に行ってね。私たちは社の車で向かうから。」


澤井はそう言うと式場の出口に歩を進める。

(海藤麟…意外に手強そうだな・・・)

澤井は次の手を胸に秘める。





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