第一幕 第五話「無垢なる夢を」
少年との日々を過ごしている内に、少女は昼が
少年と出会う前であれば昼間は眠り、夜になれば目を覚ましては
太陽の
その日は少年は遅い時間まで神主見習いとしての務めをしていたため、日が沈んですぐに少女の元に向かうことは叶わず、それが叶ったのは日付が変わろうという時であった。
そんなことは
しかしすぐに少年が来るはずもないということは言うまでもないが、少女は「何かあったのではないか」と思案するとともに、心の内に潜んでいた夜を恋しく思う感情が、少年と共に過ごす時を待ち遠しく思う感情として顕現してしまったのをうっすらと感じていた。
待てども待てども少年は来ない。初めは星でも数えていようかと思ったが、
けれども少年は来ない。
少女はふと我に返ると、冷ややかな瞳で思う。何の勘違いをしていたのだろう、と。神主見習いである少年はきっと自身の務めを果たしているはずだ、と。
しかしどうして神は、人を暇に耐えられるようには作らなかったのだろうか、その時点で終わっていれば良かったものを。しかし少女の思考は
少女の手の中にあるのは、有り余る時間と、少年についてのほんのわずかな情報のみ。その程度の軽装で不都合な状況に置かれた時、人はある程度決まったことをしてしまうように設計されている。
ありていに言えば、思考は加速し、飛躍する。
夜風に吹かれ、冷えた頭で少女の思考が回る。
——ミヅキは何者なんだろう。
行き着いた知性はしかし、止まることができない。
儀式の日程を伝えに来た宮司の直前にやって来た少年。神主見習いだと言う少年。毎日欠かすことなく少女の元を訪れては外の世界の事を語る少年。
少女にとって、あまりに
有り余る時間が、今まで心の底に沈んでいた
少年は「儀式が迫って
どうして今までの
——ああ、やっぱり救いなんてどこにも無かったの。いいえ、救いなんてたいそうなものでなくても、いつか来る終わりの時までの気休めであってくれたらいいな、って思ってた。でも、そんなことも許されないのね。いいわ、私が間違っていたの。あの子は今日は来ないし、私は
少女の瞳は月の光を映していない。満月すら
——そうだ、
少女は神楽を舞うことにした。神楽を舞っている時はなぜか何も考える必要が無かった。自然と身体が動き、いつの間にか終わっている。
そっと腕を上げ、白く細い指先を見つめる。月の光を反射した純白の
身体が
熱を帯びた身体はやがて止まる。これからはもう少し神楽の時間を増やそう、などと少女が思っていると、背後から声が聞こえてくる。
「ヒナタ!ごめん、遅くなっちゃって」
少年だ。どれくらい少女は舞っていたのだろうか。ちょうど日付を
少女は返事をしない。それは神楽で
「……」
「今日はさ、何しようか?何も持ってこれて無いんだけど——」
怒りのままに
少女の視界に入った少年の姿は、それはもう、見るに
頭の上には葉が乗って、白衣は跳ねた泥が
少女は自身の
行き場を失った振り上げられた拳は、少女の心を強く打ち付けた。
「……そんな傷だらけになっちゃって。ほら、こっち来て」
この日の会話は、もう夜明けまでさほども時間が無いということもあって、取るに足らない内容であった。
しかし少女は、この日以降、ますます少年に執着するようになっていった。
それはもう、病的なほどに。
その執着が日を増すごとに強くなっていくと共に、少年といない間に一人で考えることが増えた。少年への疑念が晴れたことや、儀式の日が着実に近づいているということも原因の一つなのだろう。
それを少女は
——知らなかった。こんなにも昼が長いということを。
ずっと眠って過ごしていた。床に
小屋から出ることはできないけれど、少なくともただ
その白昼夢は、初めは眠りながら見る夢と同じようなものだったかもしれない。でもそれは日を増すごとに鮮明になっていった。宙に
——知らなかった。こんなにも夜が短いということを。
硬いわずかな飯を食らい、神楽を舞っては、また眠れるようになるまで時が過ぎるのを待つだけだった。風に吹かれる草葉のように流れに身を任せるだけだった
少年と共に過ごす夜は時間が過ぎるのが早かった。視界に映る限りの夜空の星を五回も数え切ることができるほどに長く感じた夜であったが、少年が時を忘れさせてくれるおかげで、気が付いたころには東の空が明るんでいる、なんてことも多くなっていた。時が止まってしまえばいいのに、朝が来ることも無くこのまま
——初めてだった。こんなにも夜が待ち遠しいなんて。
夜に少年が来るたびに外の世界を知った。
夜が早く来てほしいと時が進むことを願う一方で、夜が終わらないでほしいと時が進まないことを願うという、
少年と話している時、少年から
しかしそれはかえって少女を苦しめていた。幻想に想いを
少年との日々が、または少年そのものが光となって、少女の心に見えない影を作り続けていたのである。
少女は光を追い求めた。それは先天的で本能的なものではなく、
しだいに
底なし沼と知りながら——いや、その状態の少女にはそれすらも分かっていなかったのかもしれない。
少女が幼かった時にも、ここまで病的とはいかないまでも、同じように自身の事を多く考える時期があった。
なぜ自分は太陽の巫女なのか。なぜ死ななければならないのか。なぜ結界の外へ出られないのか。なぜ自由ではないのか。——なぜ誰も助けてくれないのか。
かつての少女は、それに対して一つの答えを見つけたのだった。
それはただ一つの望みを捨て、これは運命なのだと、人の身ではどうすることもできない必然なのだと、無理矢理納得すること。
考えることを放棄することであった。
——死の恐怖から逃れる方法はただ一つ。それは死を受け入れること。
幼き少女は、そう心に誓った。
するとどうだろうか。あんなに
太陽の巫女として、太陽の
こうして、不感症の少女が出来上がったのである。
かつて考えることを放棄し、現実から逃避した少女はしかし、少年との出会いによって再び自身に目を向けてしまっていた。
自分の知らない外の世界に、少年との日々に、夢を見るようになっていた。
しかし夢を思案することは反対に、現実を思案するのと同義であった。楽しい夢であればあるほど、目が覚めた時の
その結果、熱を帯びて
ただそれは、かつて少女を最も苦しめたものであった。
太陽が沈んではまた昇り、
もう時間が無いことへの焦りか、少年への
この日も変わらず少年は少女の元へやって来た。しかし少女の姿が見当たらない。いつもならば結界の中に入ったところで少女が迎えているのだが、その影も無い。
「まだ寝ているのかなあ」
そういうこともあるだろうと、少年は小屋の方へ向かう。
……居たのだが、その様子は
壁に肩から寄りかかるようにしてうずくまり、顔中を
月明かりすら届かない小屋の中で小さく震える、
「ヒナタ、どうしたの⁉」
肩をゆすり、顔を
「ああ……ミヅキだ。ミヅキだあ!」
少女は肩にあてられた手を
少年の白衣が少女の泪で
水門が完全に
「ねえ、ミヅキい。教えて、いつもみたいにさあ。どうしたらいいのお?」
「わたし、ここから出たいって思っちゃってる。死ぬのが怖くなっちゃってる。どうしよう、叶わないことなのに。どうあったってここからは出られないのに。死ぬのが運命なのに!。それが怖い。死ぬのがこわいのがつらいの。いま死ぬこともできないし、逃げることもできない。みんなをまもらなきゃいけないのに、ゆるされないことなのに、わたしそれをのぞんじゃってるの。ねえミヅキ、ねえ、わからないの。わたし、どうかしちゃったのかなあ……」
感情のままに吐き出したその言葉の群れは、着地点を失っている。
崩れてしまった少女の心が、
「ヒナタ!」
正気に戻そうと、声が裏返るほどの
「ひっご、ごめ、なさ……ぃ」
反射的に口をついて出たそれを聞いて、少年は行き場を失っていた自らの手を回し、少女を抱きしめた。
少女の
その声にならない声はだんだんと形を
少年は
「ヒナタ!しっかりして!」
何度名前を呼んでも、少女の反応は無い。
どうにかして少女を引き戻さなくては、と少年は意を決する。
少年はまた少女の肩に手を当てると、その手は肩を
互いの衣が
目の前の抜け
少女の顔を引き寄せ、少年も少女を迎えるように近付いていく。
少年はそのまま少女に口づけをした。
どれほどの時間が経ったのだろうか。永遠にも一瞬にも思える時の
少年が唇を離すと、
少しずつだが、少女の瞳も雲を晴らして明度が上がってきている。
少年はもう一度少女を抱きしめる。
「——許されなくたっていい」
それは心の底から
「え……」
「逃げることが罪でもいい。運命に打ち勝つことができなくたっていい。僕はどこまでもずっと一緒にいるよ。たとえ僕らが死んでもきっと傍にいる。だから、ヒナタの本当の望みを聞きたいんだ」
抱きしめていた少女を自分から離すと、自然と向き合って座る形になる。少女はほんの少しふらついているが、顔は少年の方にしっかりと向いている。
その瞳に、この日初めて少年の姿が映る。瞳に映る少年は、泪を流していた。少年の瞳からこぼれ落ちた雫が、空気中に溶けて二人の体温をわずかに奪う。
正気を取り戻した少女は、いまだかすかに震える口を開く。その言葉を口に出してしまったら、きっともう後戻りはできない。
だが、少女は止めることができない。
自分を抱きしめる少年に身を委ねていくように。
「もし、さ。私が逃げ出したいって言ったら、ミヅキはどうするの?」
「僕もヒナタと一緒に逃げるよ。ここじゃない、どこか遠くへ行こう」
——。
「ミヅキは、死ぬのが怖くないの?」
「怖いし、嫌だよ。でも、ヒナタの笑顔が無くなる方が、もっと嫌なんだ」
目を瞑り、少女は思う。この目には、本当に私しか映っていないんだ。穢れだとか太陽の巫女だとか、死への恐怖や運命なんてどうでもいいんだ。
——私以外の何一つも見ないのなら、私もミヅキだけを、その夢だけを見てもいいかな?
少女はまるで神へ祈るように手を組んで、少年に告げた。
「私をここから連れ出して」
私の神様、と。
立ち向かうことは恐怖と向き合うことだ。その恐怖から逃げ、運命として
少年と出会い、ここから「逃げる」という選択肢を手にした彼女は、恐怖と運命の
その意志を心に刻み込んだ。
『
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