4ー2

「どっちが前ですかね?」

「うーん、ギリギリ俺が前で林さんが後ろかな」

「とりあえず、それでやってみましょうか」

「そうですね。足は左からでいいですか?」

「OKです」


 などと相談をし終えた福松と林は駕籠にスタンバイした。するとドリさんが微調整の為に口を挟んでくる。


「福松はもう少し前に出えや。で、棒の先端に手を掛けて後ろに力を出す。反対に後ろの…えっと」

「林っす」

「おう、林。お前はもう少し前に出て駕籠そのものを手で押さえて前に力を加える。そうすりゃより揺れにくくなるから。イメージとしてはお前らが前後から挟み込んで駕籠全体を固定するんだ」

「なるほど」

「よし、能書きはこのくらいにしてやってみるか。さっきも言ったがまずは急がずに動かし方を覚える。いいか?」

「はい」

「じゃあやってみな。持ち上げる時の『ヨッ』って掛け声は後ろの奴がやる。後ろの奴なら前の相棒が支度できたかどうか見えるからだ。んで、進み始めるタイミングは…お互いの呼吸しかない。最初は持ちあげてから二秒でスタートするって統一してた方がいいかもな」


 そこまで親切丁寧に説明されて、いよいよ福松たちは人生で初めての駕籠かきを体験することになった。林とアイコンタクトを取って棒の下に肩を入れる。


後ろから聞こえてきた掛け声を合図に腰を浮かすと、ずっしりと肩に重力がかかった。しかし想像していたよりも重さはない。動くには問題がなさそうだ。


 心の中で二秒数えると、いざ左足を前に出した。


「エイ」

「、ホ」

「エイ、」

「ホ、」

「、エイ」

「ホ」


 と自分たちからしてもバラバラな掛け声がセットの中に響く。俯瞰で見なくとも二人の息が揃っていない事は分かっていた。頭の中には理想的な動きのイメージが出来上がっているのに、身体がそれに全くついてきていない。


ひとまずぐるりと一周をして元の位置に戻ると恒例のダメ出しタイムが始まった。


「二人ともバラバラやね」

「…はい」

「特に後ろの…林」

「はいっ」

「腰が高いんだ。だから動く度に駕籠が揺れてどんどんとリズムが狂ってる」

「なるほど…」

「福松はきちんと腰は落としてた。足運びも初めてにしてはまずまずだ。も少し慣れりゃ現場でも使えるかもしれん」

「マジっすか。ありがとうございます!」


 素直に喜んだ。やはり福松の目算通り、基本的な体さばきは先週の棒手振りと同じだった。あの稽古の後、自宅でも練習をしておいたのが功を奏したようだ。


 しかし喜んだのも束の間、意味深な指摘をされてしまう。


「けど二人とも肝心な事を忘れてる」

「え?」

「分かるかい」


 福松と林の二人は目に見えて戸惑った。うまく行かないのは当然にして更に忘れているというのは何のことかまるで分らなかったのだ。


「じゃあ今のを見ていてた奴で、二人が忘れてたというか意識して無かったことはわかるか?」

「…お二人ともお客さんを乗せているのを意識してないという事じゃないでしょうか?」

「あ」


 そう指摘した一葉の言葉に二人はハッとして顔を見合わせた。正しくリズムや足運びに集中するあまり駕籠かきとしての芝居をまるっきり怠っていた。


 ドリさんは一葉の答えに満足げに笑った。


「その通り。二人とも駕籠を動かすのに必死で肝心のこれは客を乗せる乗り物だという事をまるで意識していない。ま、それも無理はないわな。人を乗せたことがないから、どのくらい重さを芝居で作らなきゃならないのか見当が付くはずもない。だから最後に人を乗せて重さを実感して、一くくりとしよう」


 そうして生徒の中で一番体重の軽かった一葉が駕籠に乗ることが決まった。苦竹とドリさんはついでの事と言って客を乗せる時の所作も教えてくれた。


「まずお客を乗せたら後ろの奴が履き物を懐にしまう。その隙に前の奴が簾を下ろす。ここがまごつくと一気に素人臭くなるから気ぃつけること」

「はい」

「よし。じゃあ一葉、乗ってみな」


 そして福松と林は再びスタンバイをして人間の乗っている駕籠というモノを担いだ。


 するとその瞬間、二人の動きが固まった。肩から全身にかけてのしかかるあり得ない程の重量に身動きが取れなくなったのだ。足を踏み出したくても、片足を浮かそうものなら瞬く間にバランスを崩してしまうだろう。カタツムリの方が早いくらいのスピードで一歩踏み出すのが関の山だったのだ。


 その上、前と後ろで息が合っていないのも致命的だ。二人のタイミングが合わないので駕籠がぐらつき、支えようと余計な力を使う。すると更に足に神経が使えないという悪循環に陥ってしまう。


 実際には三分も担いでいなかったはずなのに、その十倍もの時間が経っていたような気がしていた。


 福松は息を整えながら他の生徒の駕籠捌きを見て稽古していた。やはり新入生に比べると一日の長がある分、人乗せであっても様になっている者がほとんどだった。だからこそ福松と林には良い勉強になった。正直言って俳優部のドリさんと苦竹の技術は洗練され過ぎていて参考にするのは難しい。


 反面、粗さの残る時代劇塾の生徒たちは指導や注意を受ける機会もまだまだあり、見ているだけでも得るものが多かった。


 やがて全組が町駕籠の練習を終えると、ドリさんが言う。


「よし、一巡したな。じゃあ次は大名駕籠をやってみるぞ」


 そう聞いて一同の目がセットの隅に置かれていた大名駕籠へ移った。町駕籠に比べると比較できない程に気品を放っている。一目で高貴で位が上の人物を乗せるためのものだと分かる。撮影用のレプリカでさえそうなのだから、実物はどれほどのオーラを放っているか知れない。


 また町駕籠の倍の四人で担ぐ必要があるというのも違いだった。なので大名駕籠の練習は福松と林の組のすぐ次にいた二人と一緒に担ぐ事になった。


「大名駕籠は名前と見た目の通り、えらい人が乗るための駕籠だ。担ぐのは往々にして家来。ウチでは『中間』って役職で呼んでいる」

「中間?」


 お中元なら知っているんだけど、などと福松はくだらないことを考えていた。するとドリさんがしみじみと言った。


「これは個人的な感想だが町駕籠より大名駕籠の方が撮影では楽だ。担ぐ人数が多いし、こうやってキチンと戸が閉まるから実際に人を乗せることは少ない。おまけに優雅さとか品格を出すシーンで使うから滅多なことじゃ走らない」


 確かに町駕籠を経験した後だと四人で担げるというのがどれだけ心強いかが分かる。


 すると説明もほどほどに早速実際に担いでみることになった。


背丈を考慮すると福松と林が後ろ、木町と愛子という塾生の二人組が前に入ることで話がまとまる。基本的な流れは町駕籠と一緒だ。後は走らないで、慎重に歩けばよいだけだった。


 ドリさんの掛け声を合図に四人が大名駕籠を持ちあげる。福松は確かにドリさんの言う通り、人数が倍になったおかげで大分楽になったと思った。これならば呼吸を合わせて前進する余裕も持つことができた。スローペースであるので最初に踏み出すさえ決めていれば、大きく乱れることもない。


 しかしドリさんはやたら厳しい審査のような目を福松に注いでいた。そのせいで福松だけが妙に緊張した授業となっている。それでも注意や指導がなかったので、上手くできているのだろうと思い込んで緊張を誤魔化していた。


 駕籠の重みや体の動かし方は勿論勉強になったが、町駕籠と大名駕籠の二つを担いでみて一番参考になったのは担ぎ手の芝居だった。町駕籠はどちらかといえば粗野で荒々しい芝居を、大名駕籠は物静かかつ品のある芝居を求められることが分かった。読書や座学だけは知ることのできない授業内容で福松は満足したまま授業を終えることができたのだった。


 そうして全員が大名駕籠の練習をしたところで、丁度よく抗議の時間が終わった。


 挨拶をして支度部屋に戻ろうとすると、不意にドリさんが福松を呼んだ。


「福松」

「はい。何ですか?」

「この後、時間あるか?」

「あ、はい。また化生部屋に顔は出そうかなと思ってましたけど」

「そりゃ丁度いい。少し話をしたい事があるんだ。これからAクラスに指導するからしばらくかかるが、待っててくれ」

「分かりました。着替えたら化生部屋に行きますね」

「いや。着替えるのも待ってろ。浴衣のままでいいから」

「え?」


 福松はドリさんの言葉の意図するところが分かりかねた。しかし真意を確かめる時間はなかったので仕方なく「分かりました」と返事をしてNo5セットを後にしたのだった。

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