第3話

「さぁ、アクエ・サントお手製のスープを召し上がれ!」


 サントの一角、長期滞在者向けの宿にて開放されている食堂。

 調理室から上機嫌で皿を運ぶアクエはテーブルで料理を待ち侘びるクロム、そして不貞腐れて顎に手を当てるアリオーシュの下へとステップ混じりに歩み寄る。

 二人は腕を覆う籠手を取り外し、テーブルの隅には各々の剣も立てかけてあった。いつでも手が届く場所でこそあるが、彼らなりに慣れ親しんで信頼した証左であろうか。

 食堂には他にもクロム達と同様、行商団に便乗して移動すべく滞在している旅人や単純に料理を堪能すべく訪れた村人が混在していた。人間の三大欲求を刺激する場でありながら陰鬱とした空気が漂っているのは、いつ食材不足を理由とした閉鎖に追い込まれるかの漠然とした不安が拭えないからか。

 一方で魔物や盗賊討伐で散々クロム達に頼っている自覚のあるアクエは、彼らに不安を伝播させないために笑顔の仮面を貼り付けて接する。


「お、こりゃ美味しそうなスープじゃん。いつも手間がかかってるよね!」

「へへへ。私、こう見えて料理を作るのが好きなんです!」

「……」


 賑やかな同席者を無視して緋の瞳が覗き込んだのは、澄んだ色身のスープに煮込んだポテト。以前は彩りとしてのパセリや玉ねぎも入っていたが、当時と比較して随分と殺風景になったと素朴な感想を内心で留める。

 馬鹿な師匠は料理が待ち切れないとスプーンを手に取るも、皿の中身に手をつける寸前で少女が声をかけた。


「おい馬鹿クロム。食前の祈りがまだでしょ」

「おっと、そうだったか。悪い悪い」

「全く……」


 指摘され、頭を掻くクロムに呆れて溜め息を零すとアリオーシュは身体を起こして姿勢を正す。

 彼女が身動ぎすると、アクエもまた両手を組んで祝詞を言祝いだ。


「友よ。

 あなた様の慈しみに感謝し、用意されたものに祝福を。

 私達の心と身体を支える糧とならんことを、私達の友、メシエル・セイヴァよ」


 目を瞑ってセイヴァ教に伝わる食前の祈りに耳を貸すと、アリオーシュは目を開く。

 スープは具材に乏しく簡素でこそあるものの、ロックリザード討伐に手を焼いた労苦がスパイスとして機能を果たす。味付けに協力した腹の虫が満足するかという別問題に関しては一考の余地があるとはいえ。

 行商団の往来が途絶えて久しいらしい。餓死者こそ出してはいないが、今後も商人が村を訪れなければ時間の問題。


「こんな状況で、食べ足りないなんて言えないよね……」

「ん、何か言ったか?」

「……馬鹿クロムは何も考えてなさそうで生き易そうだねー、ってだけ」

「ハハハ、飯食ってる時まで難しいことは考えたくないのさー」


 饒舌に語る男はコップを遠慮なく傾けると、喉を潤す。

 川に程近い立地のサントに於いて、水は比較的安価に入手できる。行商人が姿を消してなお身体を洗う分の余裕を持ち合わせる程に。

 水に味と色をつけて温めれば最低限料理としての体裁を保てる。もしも川に面さない貧相な村が同様の危機に直面した時、襲いかかる飢餓の脅威はサントと比較してさえ悪夢と呼べるものになり得るだろう。

 赤の他人に感傷を抱く感性は既に灰塵に帰したとばかり思っていた。

 だというのに、口内に満たされていた幸福が途端に色褪せていくのは何故であろうか。


「チッ、本当に不味くなるんだ。ゴチャゴチャ考えると……」

「んだよ、今日は肉が入ったんじゃねぇのかよッ!」


 陰鬱、或いは空元気と称せた空気に冷や水を投げかける怒声が響く。途端に談笑の声音が姿を隠し、利用客の視線がテーブルの一角へと注がれる。

 アリオーシュ達も訝しげな視線を向けると、蹴り倒された椅子が派手な音を立てて転がっていく。

 椅子に腰を下ろしたまま、客と思しき男は苛立ちの一つも隠す素振りを見せずに足を伸ばしていた。側には注文を取りに来た勤勉な店員が表情を硬くし、萎縮して縮こまった身体は肉食獣に狙われた小動物を連想させる。


「で、ですから魔物の肉は食用にできず……!」

「だったらアイツラは何しに村の外に言ったんだよ!」

「あら、俺らがいることも知ってるのね」

「ケッ……」


 男の指し示す人差し指の先には、テーブルでスープを堪能していたクロム達。

 魔物の肉は魔素が充満しており、絶命時に肉体が霧散するというケースも少なくない。

 人間とて魔素が過剰に蓄積しては魔物へと成り果ててしまう。如何に貧困でも魔物の肉を口にしてはならぬとセイヴァ教の教えにもある通り、太古の時代から危険への方便は脈々と受け継がれているのだ。

 だが、時として貧しさは人から常識すらも奪い去る。件の男のように。


「アイツラは飯に金も払ってないんだろッ。不公平だろ!」

「ねぇ、アレの方がよっぽど飯を不味くする要素じゃない?」


 クロムに疑問を投げかけると、アリオーシュは逃げるように手早くスープへ口をつけた。その表情に苦い顔が浮かんでいるのは、別に味が原因ではあるまい。

 一方で際限なくヒートアップしていく男は、敵意を剥き出しに二人を凝視する。

 矛先が、変わった。

 下手に注目していたのがマズかったのか。男は乱暴に床を蹴りつけると、わざとらしい足音を立てて二人のテーブルへと近づいていく。


「何見てんだよ、役立たず共」


 見下ろす男は敵意に満ちた眼光を注ぎ、濃い紫の衣服が怒気に呼応するように揺れ動いた。荒れ事への適正を予感させる恰幅に、クロムは頬を吊り上げる。


「どうもー、役立たずでーす」

「舐めてんのかッ、ゴラッ!」


 冗談交じりで応じるクロムに激高した男がテーブルの足を蹴り、揺れ動くスープの水滴が床に染みを形成する。


「……仕方ないじゃーん。俺らって猟師じゃないし、ウサギの捕まえ方も知らないしー」


 床に落ちた一滴を目で追うも、クロムは意識的に平静を保って怒気を撒き散らす男へ応じた。


「それを何とかするのがお前らの仕事だろうがッ!」

「いやいや、俺らは暴力専門なんで。食料奪ってる盗賊を潰せってんなら得意なんだけどさー」

「だったら近場の村なり何なりでもッ──!」

「不味い」


 度を越した男の暴言を寸での所で食い止めたのは、アリオーシュの端的な言葉。

 突然横合いから割り込んできた言葉に歯軋りを鳴らすも、肝心の少女は目を合わせることもなく虚空の器を眺める。


「ドブ川を煮詰めた水に魔素でも敷き詰めたみたいなポテト。それに人の苦労も知らない搾取ばかりの馬鹿まで揃えば、もう食べる拷問よ

 こんなのわざわざお金を払ってまで食べたがるとか、本当に馬鹿みたい」


 相手を直視することもなく吐き捨てた言葉に、男は額に青筋を浮かべて激高。

 同様にクロムもアクエの善意を無碍にする物言いに苦言を呈した。


「テメェッ、喧嘩売ってんのかッ?!」

「おいアリオーシュ。今のは流石にどうかと思うぞ」

「はいはい私が悪い私が悪い。こんな痩せさばらえた土地で料理に乏しいのも私が悪うございました」


 火に油を注ぐとアリオーシュは席を立ち、籠手と片手剣を回収。

 なおも言い足りない男に背を向けると、そのまま階段へ歩き始めた。師匠であるクロムをも置き去りにして。


「これで恨む理由としては充分でしょ。あー、スッキリした。

 ……食後の祈りは、部屋でやれば許してくれるかな。神様」


 吐露した不安に答えるように、空の器は音を立ててテーブルの上を揺れ動いた。

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