第13話 決闘せず

 放課後、俺は中央広場近くの寮の屋根上から人だかりを眺めていた。

 観客は三百人ぐらいか。この学院の生徒は三千人近いというから少ない方だろう。決闘相手も立ち合いの講師も観客も、来るわけがない俺を今か今かと待っている。


「高いところが好きなんだな」


 誰かが話しかけてくる。中々鍛えられたいい躰をして、ってヘンリクか。


「今日は好きでいるわけじゃ……そっちは?」


「お前を探して。この前は悪かったな」


「何が?」


「この前会った時、お前を疑ったこと」


 そんなことあったか? ヘンリクと会ったのは覚えているけど、記憶を底の底まで掘り返しても疑われた記憶は出てこない。


 ヘンリクが微笑した。


「直接は言ってないからな。俺はあの時、カルツァグさんが誰かに負けたって噂を流したのはお前だって思ってたんだよ。だってその場にいたのはカルツァグさんとその部下三人、それとお前だけなんだから」


 ようやく何の話をしているのか分かった。


「でも違った。そのあとカルツァグさんに会ったら、怪我した腕隠さずにあちこち歩き回ってるんだぜ。そりゃそんな噂も立つよ。だから悪かったな、疑って」


「いいよ、気にしてないし」


「悪いな。カルツァグさんにもその時、余計なことするなって釘刺された。何でもカルツァグさんの師匠がお前の主人──オロシュハーザだっけ? そいつの父親らしい」


「へえ……」


 なんのことだかさっぱりだけど、さぞ事情通みたいな顔で言ってみた。


「だから詳しくは聞かない。でも一つだけ聞かせてくれ。素手でカルツァグさんに勝ったんだろ? なんでそんなに強いんだ? やっぱり魔族と戦ってきたからか?」


 一瞬、からかわれているのかと思った。でも違う。ヘンリクは真剣な顔で、俺の眼を真正面から見てくる。


「……魔族はお伽噺なんだろ?」


「前言ったのは一般論だ。俺は西の生まれで、親が早くに死んだから爺さん婆さんに育てられたんだよ。西の方は東と違って魔族の話がいくつも残ってるし、爺さん婆さんは信じてた。だから俺も信じてるんだよ、魔族の存在ってやつを」


 ヘンリクは笑い、少しだけ照れくさそうな顔をする。


 複雑な心中だった。


 完全に忘れ去られたわけじゃないけど、言い換えれば俺たちの存在はそこまで霞んでいる。分かりきっていたけど、この国でも一番理解がありそうなヘンリクでもその程度なのか。


 あの時ジャーンドルは言っていた。この国は堕落していると。俺たちや魔族の存在を忘れたから堕落したのか、堕落したから俺たちや魔族の存在を忘れたのか。


「それとここに来たのはもう一つ」


 ヘンリクの声で、すぐに感傷を捨てた。


 ジャーンドルはこの国の堕落を嘆いていたけど、俺の故郷は日の沈む地だ。この国のことなんて端から興味はない。堕落してこの国が亡びようが、俺にはどうでもいいことだ。


「最初に会った時の疑問を答えようと思ってな。もう一度聞くけど、レヴェンテ、お前は平民だよな?」


「元貴族だけどな」


「今平民ならそれでいい。ちょっと待っててくれ」


 言って、ヘンリクは猿みたいに下に降りていった。向かう先は中央広場、人だかりの中心に向かっていく。最初は群衆を割って進むのも苦労していたけど、次第に自然と道が開け、注目を浴びながら騒動の真ん中に踏み入った。


「この決闘、平民組合が引き受ける!」


 その一言で、観客が沸いた。決闘相手の男やその仲間たちがあからさまに狼狽えるけど、何故か立会人の講師が口を開いた。


「この決闘の相手レヴェンテは平民ですが、貴族オロシュハーザ・イレーンの従者です。即ちこれは、貴族同士の決闘。平民組合の関知するところではありません」


「そんなことは知りません! 誰の立場がどうであろうが、平民が困っているなら俺たち平民組合は一丸となって手を差し伸べる。この決闘、ヘンリクがレヴェンテの代理人として引き受ける」


 観客がさらに盛り上がった。決闘相手たちが後ずさりし、一人が苦し紛れに声を出す。


「決闘は無効だ、無効!」


 決闘相手を庇うように、立会人の講師を前に出た。


「この学院の決闘はあくまでも技能向上が目的、大昔の決闘とは違います。そもそもが貴族の代理人として従者を指名したのに、さらにその代理など認められません」


「なら決闘は中止ですね」


 二の句は続かない。貴族たちは口を開けるだけでなにも返せず、ヘンリクは勝利を確信して踵を返す。


 それからは速かった。


 今までの盛り上がりはなんだったのか、熱よりも先に観客が消え去った。俺に決闘を挑んできた貴族たちもそれ以上どうにもできずにいつの間にか身を晦ませる。やがて屋根上に戻ってきたヘンリクは、どこからか手にした紙とペンを持っていた。


「平民組合に入るなら名前書いてくれ」


「強制?」


「いや。ただ、入らないなら守りません、ってことはない。俺たち平民組合はこの学院にいる全ての平民を守る。これは守る側になるなら入ってくれって意味だ」


 いわゆる慈善団体ってやつか。


「なら無しで。ご主人様にも目立つなって言われてるんで」


「そういうと思ってたよ」ヘンリクは笑顔を崩さず紙とペンを懐にしまう「目立ちたいならカルツァグさんに勝ったって言い回ってるもんな。まあ入りたくなったら言ってくれよ」


「名前ダサいからなあ」


 クハッ、とヘンリクが噴き出した。


「やっぱりそう思うか、ダサいよな? 言えなかったけど俺もずっと思ってた。……でも一応、ちゃんとした由来があるんだぜ。ほら、この学院って基本的に貴族の子供が通うだろ?」


「平民は一学年に百人ぐらいだっけ?」


「そう。元々貴族と平民じゃ力が違う。その上五百対百だ。昔は平民がイジメられてたらしい。で、平民たちは身を守るために組合を作った。その時名前を付けようってなったんだけど、貴族じゃないんだから大仰な名前なんていらないだろってことで、単純に平民組合って名前になったわけよ」


 しょうもねーな。


 喉元まで出かかった言葉をなんとか抑える。ジャーンドルの気持ちがだんだん分かってきたけど、俺には関係ないと頭から追い出して考えないようにする。


「で、今日はその勧誘だったんだけど、失敗だったな。まあ何度も言うけど、気が向いたら入ってくれよ。カルツァグさんに勝ったお前の強さなら大歓迎だ」


 ヘンリクは手を振り、立ち去ろうとする。しかし何かを思い出しように向き直った。


「レヴェンテ、お前は平民だからもう大丈夫だ。でも主人は違う。気をつけろよ」


 ヘンリクの顔に笑みはなかった。苦虫を噛み潰したような苦いものを抱えている。


「今起こってるそれは、イジメなんて可愛いものじゃないぞ」

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