10. ゾーン突入

「そ、それでは位置についてくださーい!」


 にらみ合う両者に気おされながら司会のお姉さんが声をあげる。


 二人は席に着くと、コントローラのボタンをカチカチと押したり、首をグルグル回したり、座る位置を調整したりしながら気持ちを集中させていく。


 数万の観衆が固唾をのんで見守る中、それぞれ想いを込め、その時を待った――――。


「それではこれより決勝戦を開始します!」


 うぉぉぉぉぉ!


 委縮していた観客たちだったが、いよいよ始まる世紀の対戦に調子が戻ってきたようで、スタジアムは歓声に包まれた。


 大観衆の元での王族と平民のゲーム対戦、それは王国始まって以来の歴史的イベントであり、必ずや後世語り継がれる試合になるに違いないと、観衆は興奮を抑えられなくなっている。


「Ready……、GO!」


 パパーッ! パパラッパー!!


 わぁぁぁぁぁ!


 大歓声の中、二人は真剣なまなざしでプレイを開始した。


 タタタッタンタン! タタッタタッ!


 クレアはクリっとした目で画面をにらみながら、目にも止まらぬ速さでブロックを動かし回し、落としていく。


 王子は表情を一つも変えず、鋭い視線で優雅に小刻みにボタンを叩き、負けじとブロックの山を築いていく。


 先行したのはクレア。


 ハイッ!


 掛け声とともにブロックを隙間に落として二列を消し、王子側にお邪魔ブロックを発生させた。


 クッ!


 ピクリとその美しい顔をゆがめる王子だったが、即座にやり返す。


 フンッ!


 しかし、クレアは顔色一つ変えず、次々とブロックを落としていった。


 ハイッ! ハイッ!


 続いてクレアの連続二列消し。


 な、なんだと……。


 王子は口をキュッと結んだ。


 畳みかけると思われたクレアだったが、なかなかいいブロックが湧いてこない。ここでハンディキャップが効いてきたのだった。


「な、何よこれ……」


 さすがのクレアもいいブロックが来なければ何もできない。その隙に王子が次々と二列消しを決めていく。


 次々と振ってくるお邪魔ブロックに翻弄され、クレアは冷汗を浮かべた。


「どうやら、貴様の『想いの強さ』とやらもこれまでのようだな。クックック……」


 王子はさらに畳みかけていく。


 ソイヤッ!


 その様子をステージの袖で見ながらタケルはホッとした。このまま王子が勝てばすべて丸く収まる。王子は機嫌よく優勝のトロフィーを掲げ、大団円を迎えるのだ。


「何とかなりそうだな、タケルくん……」


 会長も胸をなでおろす。このまま王子が上機嫌に勝ってくれれば処刑どころか褒美すら狙えるのだ。


「クレアさんには悪いですけどね」


「まぁ、美味しいものでも食べさせてあげればよかろう。ほっほっほ」


 すっかり一件落着した気分の二人だったが、直後、信じられないことが起こった。


 パァン!


 クレアが自分の頬を両手で張ったのだ。


 そのひときわ高いクリアな音がスタジアムにこだまする。


 目を血走らせたクレアはゾーンに突入した。


 ものすごいオーラを全身から放ちながら、お邪魔ブロックを巧みに回避し、ブロックの山を築き、次々と二列ずつ消していく。まさにゲームの神が乗り移ったようにミラクルプレイのラッシュが続いた。


 うぉぉぉぉぉ!


 その、クレアの熱い魂に呼応してスタジアムに地響きのような声援が響き渡る。


 次々と降ってくるお邪魔ブロックに王子はギリッと奥歯を鳴らす。


「くっ! 死にぞこないが!」


 王子は反撃しようとしたが、お邪魔ブロックが反撃の目を次々と摘んでいく。


 土壇場で一気に逆転していくクレアに観客は総立ちとなった。


 王子側には消せない列が積み上がり、この流れは止められそうにない。


 クレアの勝利が目前に迫り、大歓声の中、いよいよ運命の時が近づいてきた。


「マ、マズいよ、タケルくん!」


 会長は青い顔で叫ぶ。このままではクレアは確実に処刑されてしまう。王族を負かした平民などとても許されるような社会ではない。


「一体、何をやってるんだ……」


 タケルも渋い顔でステージをにらみ、暴走ともいえるクレアの快進撃をどう捉えていいのか困惑していた。


 なぜ負けないのか? 何を考えているのか?


 多分そこには貴族の圧政に対する不満、八百長認定されてタケルたちに類が及ぶのを避けたい自己犠牲的献身などがあるのだろうが、究極的には数万のプレイヤー代表としてのテトリスへの想い、矜持が彼女を動かしているのだろう。


 『想いの強さ』だなんて方便が、クレアに一番効いてしまった現実にタケルは首を振り、大きくため息をついた。


 そして、その時が訪れる。


「これで決まりよ!」


 二列消しの準備の整った画面。クレアがターン! と、大きな音を響かせながらコントローラーのボタンを激しく叩いた――――。


















11. 砕けた矜持


 パン!


 刹那、コントローラーが割れ、コロコロっと吹き飛んだボタンが転がる。


 へっ!?


 渾身の一撃を放ったはずのクレアは凍り付いた。理不尽にも砕けたコントローラーはそれを受けつけなかったのだ。


 はぁっ……!? な、なに……?


 総立ちになって歓声を上げていた観客たちは一体何があったのか分からず、言葉を失った。


 あまりに強くボタンを押しすぎたせいで、コントローラーが壊れてしまったのだ。


 やがて、クレアの画面には「GAME OVER」の文字がうかびあがる。


 クレアは茫然自失となってただ、その文字を眺め、動けなくなった。数万の熱い応援を受け、自分の限界を超えた渾身のプレイ、それがあと一歩のところで砕けてしまうなど到底受け入れられない。


 クレアは静かに首を振り、そしてガックリとうなだれた。


「け、決着! 総合優勝は、ジェラルド・ヴェン……」


 お姉さんが声を上げると、王子は慌てて両手を振ってそれを止める。


「待て! 待ちなさい! この勝負はドロー。いいね? 引き分けだ。よって、一般の部はクレア嬢、ロイヤルの部は我がそれぞれ優勝だ」


「え? それでよろしいのです……か?」


「王族に二言はない。機材故障で負けてしまっては彼女がかわいそうだ」


 そう言いながら王子は泣きべそをかいているクレアにのそばに立った。


「ナイスプレー、最高だった。キミの『想い』見せてもらったよ」


 王子はさわやかに笑い、クレアの手を取る。


「あっ、いや、そのぉ……」


 クレアは調子に乗って自滅したことを恥じ入るようにうつむいた。


「ほら、観客に応えないと」


 王子はクレアに大歓声の観客を見せる。


 そこには最後まで王族相手に死力を尽くした、テトリスの女神に対して惜しみない拍手、歓声を捧げる総立ちの観客たちがいた。


「あ……」


 クレアはハッとして、こぼれてくる涙をぬぐうと、観客たちに大きく手を振って応えた。


 うぉぉぉぉぉ!


 ひときわ高い歓声がスタジアムを覆いつくし、クレアの健闘をたたえる。


 クレアはその様子を見回し、自分のプレイは無駄ではなかったのだと、こみあげてくる熱い想いに笑みがこぼれた。


「それでは試合結果ですが、機材故障によりドロー、優勝は一般の部クレア、ロイヤルの部は王国の英知ジェラルド・ヴェンドリック殿下でしたーー!」


 パン! パン!


 花火が打ち上げられ、吹奏楽団が景気のいい演奏を響かせた。


 王子には月桂の冠とトロフィーが、クレアには花束が贈呈される。


「ハイッ! それではそれぞれの優勝者に皆さん、盛大な拍手で祝福をお願いしまーす!」


 割れんばかりの拍手がスタジアムに響き渡る。


 王子はトロフィーを高々と掲げ、もう一方の手でクレアの手を持つと、一緒に高々と掲げた。


 殿下バンザーイ! クレアちゃーん! ピューーイ!!


 大歓声がスタジアムを包む。


 タケルと会長はその様子を見ながら、どっと押し寄せてくる疲労感に大きく息をついた。


「はぁ……、一時はどうなることかと……」


「まさかクレアさんがあんな熱い想いを秘めていたとは想定外でしたね」


「あの娘はなかなかに熱い娘なんじゃよ。それにしても壊れるタイミングが良すぎんか? あのコントローラーの故障はタケルくんが仕組んでおったのかね?」


「さぁ? ただ、機器の故障は負ける理由としては絶妙だと思いませんか? ふふふ」


 タケルは満面に笑みを浮かべた。



        ◇



「タケルです。し、失礼いたします……」


 試合後、約束通り貴賓室へとやってきたタケルは、バクバクと高鳴る心臓の音を聞きながらドアをノックする。きっとおとがめはないとは思うが、相手は王族である。生殺与奪の権利は常に王子側にあるのだ。


「入りたまえ! お前らは外で待て」


 人払いした王子が部屋の奥で、真紅の瞳を光らせながらタケルを射抜く。


「ご、ご挨拶申し上げます。殿下のご配慮に感謝いたします……」


 ひざまずくタケル。


「そんなのはいい、近こう寄れ」


 手招きする王子に、タケルは冷汗をかきながらテーブルの席に着いた。


「コントローラーに細工したのはお主だな?」


 王子はニヤッと笑ってタケルの顔をのぞきこむ。


「い、いえ、滅相もございません」


 タケルはその洞察力に驚き、心臓が早鐘を打った。


「調べればわかるぞ……? だが……、まあいい。我も助かった」


 えっ……?


「あのような可憐な少女を手にかけずに済んだのだ。……、ふぅ。いい試合だった。とても楽しかったぞ」


 王子は相好を崩し、椅子の背もたれにゆったりともたれる。


「お喜びいただけて光栄です」


 タケルは安堵し、ふぅと大きく息をついた。これで懸案は全て解決。イベントは大成功で終わることができたのだ。


 だが、ここで違和感がタケルを包む。こんな話をするのに人払いなんてするだろうか……? 冷汗がじわっとタケルの額に浮かぶ。


「で……、だ……。ここからが本題だ。お主、これからどうする? こんなゲーム機をやりたいわけではないだろう?」


 王子の真紅の瞳がギラリと光った。









12. いきなりの男爵


 その王子の視線の鋭さにタケルは気おされる。なるほど、王子は自分の目論見もくろみを暴き、自分に都合よく使おうとしているのだ。しかし、王族と交流を持つというのは諸刃の剣。何の絵も描けていないうちに頼るのは避けたい。ここは触りだけ話して適当に切り上げていかなければ……。


「は、はい。会社を起業して、で、電話機を売ろうと考えております」


 タケルは一番無難そうな話をする。


「電話機……? なんだそれは?」


「遠くに居ても会話ができる機械でございます」


「ほう、伝心魔法みたいなものだな。なるほど、なるほど……」


 王子は感心した様子であごをなでながらうなずいた。


「ゲームもできる、電話もできる、そういう端末を売っていきたいのです」


「それから?」


 王子はずいっと身を乗り出し、真紅の瞳を輝かせてタケルの目をのぞきこむ。


「えっ……?」


「電話機を売る……、その程度でお主が終わるとは思えん。計画を全て述べよ!」


 王子はバン! とテーブルを叩き、確信を持った目でタケルを追い込んだ。


 さすが【王国の英知】。その真紅の瞳はどこまでタケルの考えを見通しているのだろうか? タケルはゾクッと背筋に冷たいものが流れるのを感じた。


「そ、それは……」


 スマホでいろいろなアプリをリリースして莫大な富を築いて魔王を撃ち滅ぼす、そんな計画など王族にはとても言えない。だとすればどこまでが許容ラインだろうか……。


 タケルの頭の中でグルグルと落としどころのイメージが浮かんでは消えた。


「お主、我が陣営に付け!」


 タケルの葛藤を断ち切るように王子は言い放った。


「じ、陣営……で、ございますか?」


 いきなりのことで言葉の意味が分からず、首をかしげるタケル。


「お主も知っておろう。我には兄がいるが、脳筋バカで国を治める器がない。我が王国は魔王の支配領域にも接し、他国との小競り合いも絶えない。そんな中であんな筋肉馬鹿が王になってはこの国はもたん」


 いきなり後継者争いの話を持ち出されてタケルは困惑する。自分は単にベンチャーをやりたいだけなのだ。王族のゴタゴタなど勝手にやっていて欲しい。


「わ、わたくしのような平民にそのようなお話をされましても……」


「男爵だ」


「へ?」


「我が陣営につくなら爵位を下賜しよう。お主の会社も我が陣営の貴族のルートを通じて盛り上げてやろう。どうだ?」


 王子は真紅の瞳をギラリと光らせて踏み込んできた。確かに配下の貴族たちの関連商会も味方になれば事業の成功は約束されるだろう。しかし、それは政争のど真ん中に突っ込むことであり、リスクの高い賭けだった。


「そ、それは……」


「どうした、断るのか?」


 王子は嗜虐的な笑みを浮かべ、腰の幽玄のエーテリアル王剣レガリアに手をかけた。


 カチャリという小さな金属音が静かな部屋に響く……。


「め、め、め、滅相もございません。御陣営に加えられること、恐悦至極に存じます!」


 タケルは慌てて叫んだ。人払いをしたのはこのためだったのだ。『兄の陣営側につく可能性があるのなら、この場で斬り捨てた方がいい』という冷徹な現実にタケルは圧倒された。タケルの背筋にはゾッとした悪寒が貫き、真っ青な顔で頭を下げる。


「ほう? そうか……。タケル男爵よ、我が陣営へようこそ……」


 王子はニヤッと笑うと、カチャリと剣を鞘に収めた。


「よ、よろしくお願いいたします……」


 タケルは悪い汗をぬぐいながら再度頭を下げる。


「では、計画の全容を話したまえ」


 王子はドサッと椅子に深くもたれかかると、紅茶のカップを手に取り、美味しそうにすすった。


「わ、分かりました……」


 タケルは観念して大きく息をつく。もはや逃げられないのであれば最大限に王子の人脈を利用させてもらうしかないのだ。


「私が売ろうとしているのは多機能の電話機で『スマホ』と、言います。これは情報端末で買い物をしたり、みんなでメッセージや動画を共有したり、お金を支払ったりできるのです」


「ほう! 何だそれは、凄いじゃないか!」


「例えば、買い物の場合は……」


 タケルはそれぞれのスマホアプリの構想を丁寧に説明していった。


「QRコード決済?」


 お金を支払う仕組みのところで、王子は眉間にしわを寄せる。


「カメラで読み取って、端末でピッと代金を支払うんですよ」


「こんなのが財布になるってことか!?」


 王子はテトリスマシンを手にして首をかしげた。


「そうです。端末にお金をチャージしておけばコードを読み取って金額を入れるだけで支払えます。実際にはお店に後ほどまとめてお金が送られるんですが……」


「……。信用創造だ……」


 王子はつぶやき、険しい表情でしばらく何かを必死に考える――――。


 タケルは何かマズいことを言ってしまったのではないかと、冷や汗を流しながら王子の反応を待った。


 直後、バン! と、テーブルを叩いた王子はガバっと立ち上がると、白い肌を紅潮させ、満面に笑みを浮かべ、叫ぶ。


「これは錬金術だ! すごい! すごいぞ!!」


 なぜ、QRコードが錬金術になるのかピンとこないタケルは、その王子の興奮をポカンと眺めていた。













13. QRコードで錬金術


「れ、錬金術……ですか?」


 タケルは首をかしげながら聞いた。


「かーーっ! お主は金融にかけてはからっきしド素人だな! いいか、これはいわば銀行だ。それも庶民が使い、リアルタイムでお金をやり取りできる次世代型銀行だ!」


 王子は興奮してドン! とこぶしでテーブルに叩きつけた。


「あぁ、まぁ、お金を預けられますからね?」


「……。お前、銀行がなぜボロ儲けできるか知ってるか?」


 呆れた顔で王子はタケルの顔をのぞきこむ。


「えっ……? 預金を貸し出して金利で稼ぐんですよね?」


「そうだが、そのままじゃ上手くいって数パーセント、全く儲からん」


「え……、では……?」


 タケルは困惑した。確かに前世で日本のメガバンクはボロ儲けをしていたが、彼らの貸し出す金利はせいぜい4%。とりっぱぐれることも考えたらとてもそんなに利益が出るようには思えなかったのだ。


「金貨十枚預金されたとしよう。銀行はこれを五人に金貨十枚ずつ貸すんだ」


「へっ!? 手元に十枚しかないのに五十枚も貸すんですか!?」


「そうだ。それで問題なく回ってる。なぜかわかるか?」


「え……? なんでですか?」


 タケルは首をひねる。無い金を貸し出すなんて、そんなことできるはずがないのだ。


「お前、銀行からお金を借りたらどうする? 全額引き出すか?」


「うーん、ケースにもよりますが、どこかへ振り込んだり口座に残したりで全額引き出したりはしないですね」


「だろ? 要は五十枚貸しても必要な金貨は十枚も要らないんだ」


「は……?」


「察しの悪い奴だな。どこかへ振り込むって言っても同じ銀行の別の口座なら銀行の外へは出て行かない。金貨が無くても貸し出せるってことだ」


「あ……」


 タケルは唖然とした。銀行は手元にない金を貸していたのだ。現金として引き出す人が少数だから、貸しても銀行の中にお金は残り続ける。だからそれを使ってもっと多くのお金を貸せるのだ。まさに錬金術。銀行とは金が五倍に増える錬金機関だったのだ。


「銀行が錬金術だとしたら、QRコード決済でやるべきことは分かるな?」


 王子はニヤリと笑った。


「は、はい……。こ、これは凄い事ですよ」


 要は多くの人が使って現金に引き出す必要がない状態にすれば、金はいくらでも増やせるのだ。ユーザー数を増やすこと、現金化しなくて済むようにすること、この二つを徹底することが莫大な富を生むポイントに違いない。


「我が陣営の傘下の商会にはすべてQRコード決済を入れさせよう。世の商店の大半で使えるようになるだろう」


「おぉ!? それは素晴らしい!」


「我が王国の国家予算は金貨六百万枚だが、このQRコード決済銀行と傘下の商会の事業からあげる収益で金貨三百万枚は行けるだろう」


「さ、三百万!?」


 タケルは驚いた。三百万枚と言えば日本円にして三千億円。まさに莫大な富。これぞまさにITベンチャーの目指すところである。


「何を驚いている。最終的には他国へも広げてさらに十倍だ」


「さ、三千万枚!?」


 タケルはその途方もない規模の大きさに目がくらくらした。


「で、その、スマホとやらはいつ販売をスタートできるんだ?」


「まず、電話機能だけのものを来年、QRコード決済アプリの開発にはさらに一年はかかるかと……」


「遅い! 今年中にリリースだ! サポート人員は全てこちらで用意する。最短でやれ!」


「か、かしこまりました!」


 あまりの無茶振りに圧倒されるタケルだったが、さすがにここでNOとは言えない。余計な機能は全くなしのシンプルなもので仮オープンなら、できなくもないかもしれない……。タケルは渋い顔でうなずいた。


「で、会社はこれから作るんだったな?」


「は、はい。テトリスの売り上げを使って起業しようかと……」


「我や我が陣営の貴族たちも発起人に加えろ」


「も、もちろんでございます」


「持ち株比率はキミが三割、我々で七割、どうだね?」


 王子は真紅の瞳を輝かせながらタケルの顔をうかがった。


 え……?


 出資比率は起業の成否を決める最大の難関である。少なすぎれば支配権を失い、会社を追い出されてしまう。例えばスティーブジョブズはAppleの株を11%しか持っていなかったため、Appleを一度追い出されてしまった。


 通常、持ち株比率は増資するたびに減っていくので、創業時に三割であればジョブズのように追い出されてしまう可能性がある。


 しかし、自分の持ち株比率が高すぎると他の人のやる気が失われ、事業は上手くいかない。多すぎず、少なすぎず、絶妙なバランスが求められるのだ。


 タケルはギュッと目をつぶり必死に考えた。本当は七割は欲しいところではあるが、王子や貴族たちの支援を受け続けるにはもっと渡さねばならないだろう。しかし、最初から過半数を割ることは避けたい……。


 タケルは大きく息をつくと、覚悟を決めた目で王子を見つめた。













14. 食べかけのオレンジ


「殿下、本事業は殿下陣営のお力無しでは回りません。ですので、相応の比率を持っていただくのは当然でございます。ですが、迅速な経営判断を実現していく上で、社長が過半数無いと経営が安定しません。私が51%で、お願いできないでしょうか?」


「ほう……? 我々はマイナーに甘んじろと?」


 ギラリと王子の瞳が光り、タケルの額に冷汗がブワッと浮かぶ。しかし、ここで引いてしまっては何のために事業をやるのか分からなくなる。


「わが社での意思決定より、殿下陣営の意向が優先される以上、持ち株比率を多く持っていただく必然性はございません。当社の経営の速度を上げる方が最終的に陣営のバリューは最大化され……」


 バン!


 王子はテーブルを叩き、不機嫌そうにタケルの言葉を遮った。


「それでも三割だと……言ったら?」


 ここが起業家の成否の分水嶺。まさに胸突き八丁である。


 タケルは大きく息をつくと覚悟を決める。


「王国の英知たる殿下は、そのような事はおっしゃらないと信じております!」


 タケルは目をギュッとつぶって言い切った。心臓の鼓動がいつになく激しく高鳴っているのが聞こえる。


 王子は何度かうなずき、紅茶をすすった。


 タケルは生きた心地がしない中、じっと返事を待つ。


 王子はカチャリと紅茶のカップをソーサーに置き、ずいっと身を乗り出した。


「いいだろう。キミが51%だ……。その代わり、今年中にスタートせよ!」


「み、御心のままに……」


 タケルはホッと胸をなでおろす。


 王族相手に交渉をするというのは常に命懸けだ。きっとこんな交渉ができるのも王子がかなり高い知性を備えているからである。他の王族だったら今頃切り捨てられていておかしくなかったのだ。


「それでは、事業計画書を速やかに準備いたします」


 タケルは立ち上がり、頭を下げた。


「こちらも男爵位下賜の準備を進めておこう。我々の陣営の勝利はキミの稼ぐ金にかかっている。頼んだぞ、タケル男爵」


 王子はそう言いながら右手を伸ばしてきた。


 タケルは慌てて手汗を服でぬぐうとがっしりと握手をする。


「どうぞよろしくお願いいたします!」


「うむ。頼んだぞ……。あ、それで社名はどうするんだ?」


「『Orangeオレンジ』にしようかと……」


 AppleをなぞるならOrangeしかない。この社名は起業しようと思った時から決めていたのだ。


「は? そんな果物の名前が社名か? そんな名前で成功した会社などないんだが?」


「いや、果物の名前は縁起がいいとわが師が言っていたものですから」


「変な……師匠だな」


「そうです。わが師は変で、最高にイかしているのです」


 丸眼鏡をかけたひげ面を思い出しながらタケルはニヤリと笑った。



        ◇



「もうちょっと右が上……かな?」


 クレアは首をかしげながら、会社の看板をかけているタケルに声をかけた。そこには『食べかけのオレンジ』をモチーフにしたこの世界にはあまり見られないロゴが描かれている。


「このくらい? って……、おっとっと、うわぁぁぁぁ!」


 台がガタついてついバランスを崩してしまうタケル。


「あっ! 危ないっ!」


 クレアは慌てて今にも落ちそうなタケルを支えた。


「ふぅ……。助かったよ……」


「もぅ……。気をつけてくださいねっ! 男爵!」


「だ、男爵は止めてよぉ……、式典はまだなんだし」


「何を言ってるんですか! この国では貴族様は特権階級。もっとデーンと構えてください!」


 クレアは腕を組んで片目をつぶり、ちょっぴり不満な様子で諫めた。タケルがあっという間に令嬢たる自分を抜いて貴族になってしまったことは、嬉しい反面どこか悔しさを覚えてしまう。


「デーンとね、性に合わないなぁ……。こんなもんかな?」


 タケルは居心地の悪そうな渋い顔でカンカンカン! とトンカチをふるった。


「バッチリよ! 改めて……、起業、おめでとうございます!」


 クレアは満面に笑みを浮かべ、パチパチと拍手をしてITベンチャー『Orangeオレンジ』のスタートを祝った。


 ここはアバロン商会の隣、石造り三階建てのオフィス兼倉庫となっている。年季の入った建物は重厚な雰囲気ではあるが、ドアはきしむし、水回りも快適とはいいがたい。おいおいリフォームをしていかねばならない。


 とはいえ、ついに一国一城の主となったのだ。タケルはできすぎともいえる大いなる一歩に胸にこみあげるものがあり。しばらく食べかけのオレンジの看板を感慨深く眺めていた。

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