Ⅰ白のポーン

Ⅰ白のポーン 1. 闇の森 1

 真っ黒である。




 リアはランタンに火を灯した。光は巨人の胸板辺りまでのまっ白な剛毛を、ぼんやりと照らし出した。明かりの持ち手は、まだ残る闇の中に自分を見つめる視線を感じた。リアは続けて小声で呪文を呟き、ランタンの火を調節した。すると光は先程よりも強くなり、明かりの中に、こちらを睨み付ける巨人の顔が現れた。




1.闇の森




 ここは“闇の森”と呼ばれる、西大陸の中央より北西側に位置する、古くからある森である。この森には、光を吸い込む特殊な樹木が枝を伸ばしていた。日の光は、森の中では高くそびえた木の葉にすべて吸収され、また森の中で火をつけても、その炎は明かりを伴わなかった。




 闇の森には古くから、この特殊な葉を集めることを生業とする人間が入ってきていた。この木の葉は、魔法アイテムを作る材料となるので、闇の森の隣にある小さな街アラネスの主要な特産品となっていた。森の中に入るには、光がなくても困らない赤目白毛の猿のようなモンスターを相棒にした。そのため闇の木の葉を採る職人たちは“猿飼い”とも呼ばれた。猿飼いたちは森の入り口まで足を踏み入れ、そのすばしこい連れに木に登って高い所にある黒き葉を集めてもらっていた。




 また、闇の森にはもう一つ、西大陸の冒険者たちには有名な伝説があった。それは、森の奥には白い巨人が棲んでいる、というものであった。しかし光が使えない森の奥になど行くことができないので、幻の巨人を見たという者は今までほとんどいなかった。かの者に襲われたという話もなかったので、無駄な好奇心で森の奥に入る冒険者はいなかった。




 しかしここ数年で一変して、冒険者たちの間に巨人が人を襲うという噂が流れ始めた。アラネスの猿飼いたちの中に、自分が白い巨人に襲われた、と話す者がちらほらでてきたからだった。たいてい職人たちは森の入り口付近にいるので、巨人が現れても、気配を感じてすぐに逃げ出すことができた。が、一緒に森に入った相棒の猿のモンスターが、森から帰ってこなくなる、ということがたびたび起こり出したのだった。




 そこでアラネスの人々は、白い巨人を何とかしてくれる冒険者を探し始めた。その噂を聞きつけて、アラネスに「我こそは!」と名乗りを上げる腕の立つ剛の者たちは集まった。しかし、闇の森に狩に入った勇者たちは、森の入り口付近で、ふいに現れる巨人の巨きな気配を察すると、かの者の白き姿さえ見ずに、光の領域に飛んで帰るのがやっとであった。目の利かない空間の中で、闇に慣れた巨人と戦おうとすることは、人間にとって至難の業であった。




 その話は、旅をしていたリアの耳にも入った。アラネスには優れた情報屋がいるので、リアがよく立ち寄る街であった。




 白い巨人は、自分の住処の闇の森に、突然明かりをつけた人間を不思議に思いながら、百年ぶりの光に目が慣れるまで、警戒し威嚇の態勢をとった。リアは自分の身長の二倍はある巨人を見上げながら、巨人の目が慣れるのを落ち着いて待った。白い巨人は辺りの様子がきちんと見えるようになると、目をぎょろりと動かし周囲を観察した。森に光がかかっているので、闇の中のように正確な気配を読むことは難しかったが、今相手にしているのは、緑の三角帽子をかぶった年若そうな人間一人だけだった。巨人は無性に苦手な光がたまらなくなり、ランタンを壊そうと一歩足を踏み出し、大きな手で荒々しく侵入者に掴みかかった。




 リアは巨人の不穏な気配を察すると、左手に持っていた樫の木の杖で、地面をこつんと叩いて一言呟いた。すると、リアと巨人が立つ茶色い地面の間に、淡い緑色の大きな光の輪がぽうっと浮かび上がった。輪の輪郭が輝くと、今度は輪の中心に向けて光の細かい幾何学文様が点滅しながら順々に描かれていった。巨人の太い腕がリアに届く直前、その輪の内側の幾何学模様が完成された。と、輪の中から地の下の通路を通ってきたかのように、人が乗れるくらい巨大な二羽の瑠璃色の鳥がバサバサバサッと飛び出した。大鳥の一羽は巨人の大きな手に向け真っ直ぐに飛び、体当たりをしてかの者の動きを逸らさせた。その間にもう一羽は素早く上へ羽ばたき、巨人の目の高さを飛び回り、かの者の視界を遮った。




 二羽の大鳥が奮闘している間に、リアはもう一度杖で円陣を叩き、地に向かって軽く一言呼びかけた。すると緑色の輪は一瞬光を増し、今度は輪の中からココア色の鹿が現れた。リアはその場に現れた鹿の角に素早くランタンをかけて固定すると、その獣にひょいと横向きに飛び乗り、巨人の横をすり抜けて、暗い森の奥へと向かって鹿を走らせた。巨人は人間が森の奥深くに入って行こうとしていることに気付くと、目の前を飛び回る大鳥たちを無理やり振り払い、持ち主ごとランタンを踏み潰そうと追いかけた。




 森の道は急いで侵入者を追いかけたい巨人にとっては狭苦しかった。樹木は巨人よりも背が高かったが、太古から年輪を重ねた太い幹が道を狭め、また木の根が巨人の足を絡めとろうとするかのように網の目に張っていた。そのため巨人はいらいらしながら、一歩一歩大きな地響きをたてて光の持ち手を追いかけた。リアの乗った鹿は、人間が疾走したくらいのスピードで、小山のような木の根を軽やかに越えて、追跡者に踏まれないぎりぎりの速さで森を駆け抜けた。その間リアは後ろを向いて、鹿の角に片手でつかまりバランスを取って振り落とされないようにしながら、追いかけてくる巨人を冷静に観察した。




 追いかけっこはしばらく続いたが、先を走る者がもう一度森の中の広い場所に辿り着くと終わりを告げた。リアは広場の端まで来ると、くるりと振り返って立ち止まり、乗騎からするりと飛び降りた。そして追う者が一歩手前まで迫るのをじっと待った。巨人が間合いに入ってくると、リアは杖の先に嵌められた魔法石の飾りを、勢いよく地面に振り下ろした。すると今度は地に巨大な薄紫色の光の輪が現れた。光は中心へ向けて先ほどとは異なる幾何学模様を地に浮かび上がらせていった。巨人は急くがままに円陣の中に足を踏み入れた。その途端、急に動きを捕らえられた。巨人は気付くと足元に描かれた紫色の光の輪から垂直に走る円柱型の見えない壁に囲われてしまったかのように、その複雑な模様の描かれた円陣の外側へは踏み出せなくなった。巨人はもがいて激しく暴れ、どうどうどうと大きく地が揺れた。森の奥底に潜む鳥や小さな獣たちの震える気配が空気を伝わった。




 リアは再び相手が落ち着くのを待った。巨人はしばらくすると、仕方なく動きを止めた。

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