episode7『白紙の神-genesis-』

「ダメだ、全く書けん」

 ある作家が机の前でボヤいていた。その作家は学生時代からノートやキーボードにかじりついて暮しており、筆の速さが自慢だった。しかし、書けない。

 アイディアはある、やる気もある、仕事環境だって悪くない、体力作りは日課のランニングのおかげでたっぷりだ。しかし、書けないものは書けないのだ。

「またですか先生。ほら、コーヒーをれたからどうぞ」

「うむ」

 作家の同居人は子供を諭す様な口調で片手にブラックコーヒーを、もう片手にホットミルクとピンク色の茶菓子が乗った小皿とを持ってテーブルに着いた。

 作家の男は同居人の淹れたコーヒーを手にしながら、同居人がもう片方の手に持っているのがホットミルクだと気が付くといぶかしんだ。

「待て、それはホットミルクか?」

「ええ、そうですけど何か?」

 作家の同居人はキョトンとしており、作家は無味乾燥な顔をしていた。

 片やホットミルクに何か嫌な思いでもあるのだろうか? と言う顔、片やそれ以上それをこちらに近づけるなと言う顔か。

「先生、ひょっとしてホットミルク苦手なんですか?」

 そう尋ねられた作家の男は半ばバツが悪そうに、半ば気分を害した様な反応を示した。

「ああ嫌いだね。いや、味が苦手なんじゃあない、調理してない牛乳を飲むと身体の調子がどうにも悪くなるんだ。もっと言うと、ボクは牛乳とか銀世界みたいな一面真っ白なものがどうにも苦手なんだ」

「なるほど、先生は何時いつも白紙を前に、書けない書けないとうなってますものね!」

 作家の同居人はに落ちた様な様子で破顔一笑した。

「いつも白紙とはなんだ! いつも白紙とは!」

「でも先生、よく言うじゃないですか。朝起きてみたら、宿題とか原稿げんこうがまっさらな白紙だって夢を見るって話。先生以外にも世の中にそう言う人って結構居るんじゃないですか?」

 作家の同居人は、普段は作家の男が調子の良い事を喋くりまくる鬱憤うっぷんか、作家をからかう様に笑顔で好き勝手言っていた。

「まっさらな白紙か……そう言えば君、この間ボクはその現象を目の当たりにしたぞ」

「え、先生もやっぱり白紙の夢を見るんですか? やっぱり白紙の原稿とかドリルを見慣れてる人が見る夢なんでしょうねえ」

 作家の同居人は、作家の男にも相応の弱みがあると納得し、つらつらと話す。

 しかし作家の貸す言葉は彼の予想とは少々毛色が違う物だった。

「そうじゃあない。ボクが見たのは夢でも何でもない、現実で起こった、いわば白紙化現象だ」


 * * *


「くそ、どうなっている! 何かソフトウェアかハードウェアのトラブルか!?」

 作家の男が叫んだ、確かに保存した文書データが白紙になっていたのだ。

「クソクソクソクソ! どうなっている? 一応バックアップはとってあるから実質ノーダメージだが、気分が悪い事この上ない!」

 作家の男の言っている事は本当だった。

 不幸中の幸い、白紙になっているのは文書データだけであって、バックアップまでは白紙になっていなかった。

「機械をイカレさせる悪魔と言えばグレムリンだが、それとも何か? 度々作家が白紙になった原稿の夢を見ると言う様に、白紙をつかさどる悪魔でも居ると言うのか!? いや、これは使えるな。白紙を司る妖怪か何かの存在を題材に一本書けそうだ」

 作家の男はそう言うと、懐から携帯端末を取り出してメモを取ろうとしてギョッとした。

 アイディアをまとめた走り書きが綺麗サッパリまっさらな白紙になっていたのだ! 

 そう、綺麗サッパリまっさらな白紙である。

 罫線けいせん等も最初から無かった様に真っ白だ!

 これが走り書き用のネタ帳だからまだいいが、各種番号のひかえか何かだったと思うとゾッとする。

「クソクソクソクソ! またか! 一体何がどうなっている!?」

 作家の男は再びバックアップからデータを復旧させる。

 此度もデータが復旧した事を見るに、どうやら消えたデータは表面から消える法則にあり、作家の男の周りから消えるらしい。

 そうでなければバックアップが残っていた理由が分からないし、そもそも白紙にするなら全部白紙にするだろう。

 作家の男は思った、ちかって言うがボクは寝ぼけて文書データを消したりなんて事は絶対にしない! と。

 寝ぼけて訳の分からぬ事を書いたり、書き加える事はある。

 しかし、わざわざ書いた文書を誤って消すなんてヒヤリハットとは彼は無縁だった。

「仮に異常な存在が実在して、ボクに暗示か何かを与えてデータを消させているとでも言うのか? ボクは誤って消すべきでないデータを消してそれっきりにするなんて事は絶対にしないし、そんな謎の存在を考えるよりは偶然機器の不具合が連続したと考えるべきか……」

 作家の男はそう自分に言い聞かせるための独り言をつぶやき、そして今日はまだゴミ出しをしていない事を思い出した。


 カツリカツリとくついた足で階段を降りる音がひびく。

 作家の男の住まいはマンションで、その屋外だが敷地内しきちないにゴミ捨て場があった。

 彼は外へ繋がる扉を開けて、ゴミ袋をしかるべき場所へ捨てんとする。

 そして扉を開けた際にちょっとした違和感を覚えた。

「おや、随分ずいぶん綺麗きれいになったな。そう言えば昨日ミキサー車が停まっていたが、このゴミ捨て場を綺麗にり直していたのか」

 マンションのゴミ捨て場は綺麗にコンクリートで白く塗り直されていた。

 ミルクで満たした盆の様に清廉せいれんさすら覚える真新しい状態に見える。

 この事に特に深い感心を抱いたりもせずに、作家の男はゴミをネットの下に滑り込ませようとして、違和感の正体に気が付いた。壁の張り紙の文字と絵が綺麗に消えていたのだ。

「なんだこれは……? 陽の光に感光して、絵が消えたのか? この日影で? 今までそんな現象は起きなかったのにか? 誰かの悪戯いたずらだとしても、こんな綺麗サッパリ白紙になるのか? 誰かが同じ規格の材料とサイズとくたびれ具合の白紙と交換したとでも言うのか?」

 それだけではなかった。

 作家の男が視線を張り紙から外すと、ある事に目がついた。そこら中のゴミ袋やごみ袋の中身全ての文字が消えて真っ白になっているのだ!

「あ、ありえない……この世帯全てが極端に日光に弱い素材しか消費しなくなったと仮定してもありえないし、誰かの悪戯だと仮定した場合もっとあり得ない……!」

 作家の男は気味が悪くなり、逃げ出すようにゴミ袋を出して部屋に走り去った。


「クソクソクソクソ、クソッ! 一体ボクの周りで何が起こっている? 何が原因でこんな事が起こっている!?」

 作家の男の脳裏には、先程彼自身が定義した妖怪の存在がチラついた。

 彼の妄想の中で『白紙さん』の影響力はドンドン肥大化ひだいかして行き、原稿が真っ白になる夢を見ると言う話は勿論もちろん、行方不明事件だの蒸発事件等もこの妖怪の仕業なのでは? と言う気がして来た。

 しかし悪魔だろうが妖怪だろうが、神話体系と言う物が存在する。例えば都市伝説の何割かは、こういう存在が居たら恐ろしいだろうな。と言う考えの元に発生すると言える。

 これが悪魔や妖怪ならば、神話の存在が異民族におとしめられて零落れいらくしたり、充分な信徒を得られずに崇拝すうはいされなかった神々の一員だったりする。

 しかし殆ど全ての神話では、神々は人間を愛している。神々や元神々が人間を罰するのは何かしらの理由があっての事だと、諸々の神話は語っているのだ。

 理由も無く人間を害する神など、普通の神話には一柱いちはしらも存在しない。

 つまり、これは神話ではなく都市伝説だと言う話になるが、都市伝説は何かしら元ネタや根拠が存在こそするものの、登場人物は被害をこうむりながら命からがら逃げだすか、もしくは命を落とすかのどちらかだ。

「クソッ、白紙さんがどう言う理由でボクを害しているんだ? ボクはいつもお天道様に顔向け出来る様な生き方しかしてないぞ!」

 作家の男は自分が害されるいわれが無いのだから、白紙さんはたたり神のたぐいだと類推るいすいした。

 ちょっとでもないがしろにされたと考えたら、祟りを下す神々は世界中に居る。

 そう言う連中の怒りを買ったのだろう。

 もしくは神敵とか人間の敵と称される存在か? 例えばギリシャ神話や北欧神話の巨神は自分達と言う種の利益を目的に神々と敵対し、時として人間を襲ったりする。

 他の神話形態でも悪神と称される存在は居る……いや、そんな連中が実在するとして、目を着けられる理由は祟り神以上に存在しない!

 しかし、あれやこれやを白紙にする神と言うのもナンセンスに感じる。

 白紙にしてどうしようと言うのか?

 白紙が好きだとか、白紙にするのが好きとでも言うのでなければ説明がつかない気すらする。

「さては耳なし芳一ほういちよろしく、ボクの文章が好きな霊的存在が持ち去っているのか? いや、それなら増々ボクの文章を消して害する理由が理解出来ない! こいつは白紙が余程好きなのだろう、それこそ白紙が無ければ生きていけない程に……」

 作家の男は自分の口から出た言葉にハッとした、白紙さんは白紙が無いと生きていけないのだ。

 だからこそまっさらな白紙と言う形で原稿を置いておく事が多い自分がつけ狙われ、嫌がらせの様に文書を白紙にされたのだ。

 そう言った仮説が、白紙さんの正体と思しき神の姿が彼の頭の中に組み立てられた。

「来るなら来い、未練がましい怨霊おんりょうめ、もう一度バラバラに引き裂いて殺してやる!」

 作家の男はそう言うと、文書ソフトを入れたコンピューターや携帯端末を開いて身構えた。

 どれも白紙のページを開いていると同時に、白紙さんにやられた後に文書を書き直して文字がビッシリだ。

 作家の男が身構えていると、コンピューターにノイズが走りって独りでに文書が消えた。

 バックスペースや消しゴムで一文字ずつ消すようではない、一瞬で原初の状態に戻されたとでも言う様な現象だ。

「そんなに白紙が好きか? そんなに白紙じゃない状態が嫌いか? そうだろうな!」

 作家の男はコンピューターを操作し、あらかじめ用意しておいたペースト機能で文書を復活させた。

 しかしその時には既に携帯端末に保存された文書が消え始め、いたちごっこのごとく作家の男はそちらの文書を復活させる。

 これに焦ったのは白紙さんの方だった。

 自分の居場所である白紙に入り込むすきのある人間を見つけ、更には自分の居場所を広げる事に成功したが、今ではその隙が全く無い。

 人の言葉を借りて言うなら足の踏み場が無いのだ!

 しかもそれだけでない、この人間が用意しては復活させ続ける文章は、自分と言う白紙の神が引き裂かれて死ぬ様を様々な形で語られていた。

 自分は白紙が無ければ生きていけず、地に人が生きていては存在できず、他者を害する毒そのものであると言う旨が書いてある文章だ。

 ならばこの人間の家から出て行こうかと白紙さんは思案したものの、しかしこの部屋はびっしりと文章が書き込まれた本ばかり。

 白紙が存在しているのはあの人間の持つ端末二機だけであり、しかもその白紙も次から次へと塗りつぶされている。このままでは白紙を広げるどころか、自分が存在するために必要な白紙も無くなってしまう。

 全く、人間と言う生き物は本当に気に食わない!

「おっと、手がすべった」

 そう言って、作家の男は両面とも白紙の神を取り落した。白紙さんはこれを千載一遇せんざいいちぐうの好機と見逃す事無く飛びついた!

 彼からしたら、十分な白紙に取りく事さえ出来れば、後はどうにでもなるのだ。

 今にも白紙でなくなる危うい反復横跳びに、これ以上付き合う余裕はなかったのだ。

「コンピューターと携帯端末の文書が交互に消えなくなったか、じゃあ電灯を消すぞ」

 そう言って作家の男は部屋の電気を消し、すると両面とも白紙の神はボウと、まるでホタルの様な光を発して、北欧神話の一節を両面にまたいで示した。蓄光ちっこうペンだ。

 それが白紙さんへのトドメになった。

 白紙の上でしか生きていけず、白紙を広げる事でちまちまと存在を維持していた存在は、四肢をバラバラにされた様になって活動を停止した。


 * * * 


「そんな事があったんだ。聞く人が聞いたら、原稿が白紙になるのは妖怪の仕業だとか都市伝説の一種って事になるんだろう。だが、ボクにとってはあいつは白紙の神……或いは白紙の神の眷族けんぞくと言った解釈になるな」

「ふーん、俺は神話とか全然聞いた事しか無い程度の知識ですが、白紙の神なんてのも居るんですね」

「ああ、居るさ。いや、かつて地球上に存在していた。と、そう言った方が正しいな」

 作家の男はそう語りながら、机に向っていた。

 もうすっかり不調ではなく絶好調で文章をつづっている。

「ところで先生、今はどんな話を書いているんですか?」

「ああ、原初の巨人の話だ。かつて星に一人ぼっちだった巨人が孤独をきらって、その末に自死を選び、巨人の死体からは人類が生じる。しかし世界の衰退すいたいによって星の人口が著しく減り、その結果原初の巨人がよみがえる。折角俺は身を捧げてさびしくない星を創ったのに、お前ら人間にはほとほと呆れ果てた。これからは俺達巨人種ユミルが人類に成り替わる! と、耳障りに叫んで宣戦布告する、そんなファンタジー作品さ」

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