episode4『ミョウミョウ様-Renaissance-』

「クソ、ボクとした事が……」

 ある作家がベッドに寝込んだままで、ボヤいていた。その作家は学生時代からノートやキーボードに噛り付いて暮しており、筆の速さが自慢だった。しかし、自慢の筆の速さも寝込んだままでは発揮できない。

 アイディアはある、やる気もある、仕事環境だって悪くない。しかし体はあちこち痣が出来ており、頭は熱っぽく、とてもマトモに作業が出来る状態ではない。

「今度は一体どうしたんですか? 今流行りの感染症とかなら、俺は先生を隔離と言うか追い出さないとなんですが」

 作家の同居人は作家を……もとい、自分の身を案じて病床の作家に心配そうに話しかけた。

「いや、これは恐らく流行り病の類じゃない、打撲に伴う発熱だろう。湿布を貼っておいたから、安静にしとけば治る筈だ。一日寝て治らなかったら、その時は医者にかかるさ」

 作家の同居人は作家の言葉を信用したか、訝しんだか、一先ず矛を収める態度を取り、言葉を続けた。

「本当にいい加減にしてくださいよ、次から次へと訳の分からない事を……」

「まあそう言うな。幸か不幸か、今のボクは集中力や気力は無いが、意識ははっきりしているんだ、ここに至るまでの取材の話をしてやる」


 * * * 


 ボクの取材先はH市で行なわれた、中規模な画展と即売会を兼ねたイベントだ。

 展覧会と言っても襟を正したようなキチッとした物ではなく、絵の販売にグッズや関連商品の販売がメインとなる、何と言うかオープンで親しみを感じる催しだ。

 そして今回の目玉の一つが、市を挙げたマスコットキャラクター、ミョウミョウのお披露目会だ。

 配られていたパンフレットによると、今の市長は緑化政策に力を入れており、市街の環境がどうとか緑化基準がどうとか書いてある。

 うん、ボクには全く興味がない事だ。

 それよりボクの興味は件の新マスコットキャラクターでしかない。

 何でも地元の伝承を元ネタに、今回の画展にも参加している新進気鋭のイラストレーターが絵に起した物らしく、その衝撃的で印象的なイラストが話題沸騰、そして此度初めての立体化という訳だ。

 時刻になり、イベント会場のステージに件のマスコットキャラクターの着ぐるみが現れ、客席から悲鳴が挙がる。

 世間じゃ流行り病でマスク着用が義務付けられているのに、よくもまあそんな叫び声を挙げるものだ。

 いや、叫び声を挙げるのも仕方の無い事かも知れない。

 そのマスコットキャラクターの外見を端的に表現すると、狂えるオルランドに出て来る海の怪物オルクに赤土色の怪物然とした巨大ミミズが絡みついて一体化していると言った感じで、しかもそのオルクの様な肉体には頭部はあるが眼球も顔も鼻も耳も無く、頭部にあるのは口だけで、身体に絡みついて一体化した巨大ミミズの表面あちこちに目玉が生えていた。

 うむ、マスコット然としたソフトなタッチだが見る人が見たら、今日と言う日の事は心理的外傷になり得そうなデザインだ。

 あ、振り返った臀部でんぶにも眼球がある、何を食ったらあんな発想が出て来るのだろう?

 そう言えばこれは脱線と言えば脱線なのだが、オルクを源流とする中の国のオークは性別が確かに存在するとされている一方で、男性しか存在しないかの様な描写されている。

 これに対し、後続の作品は開き直ってオークは雄しか存在しない種としたり、或いはオークは雌雄が外見で分かり難い種としたり、中の国のオークはうちのオークとは違いますよと名前だけ借りる事がある。

 まあボクがアイツの設定を担当するならば、高等生物のふりをしたオルクと似た外見の変形菌生物と言う事にでもするのだが、地元のマイナーな伝承に登場する妖怪だか土着神の一種だと言う話だから好き勝手な属性の追加は出来ない、真に遺憾いかんだ。

 何でもこのミョウミョウとか言うマスコットキャラクター、元は御家おいえの繁栄と子宝を約束してくれる妖怪だとか土着神とかで、少子化の進む市のマスコットキャラクターとして採用されたらしい。

 パンフレットには江戸時代に描かれたと言われるミョウミョウ様の絵が載っているが、こちらもこちらでアレンジにも勝らずとも劣らぬ不気味さだ。

 ただ、残念な事にミョウミョウ様に関する資料と呼べる様な書籍しょせきは売っていない。

 このパンフレット一枚以外にも気の利いた資料の書籍化でもあったら購入したのだが、無い物をねだっても仕方ない。

「ふむ、このパンフレットに載っているゆえんの地を取材でもしに行くとするか」

 そうとなれば、善は急げ。

 懐から携帯端末を取り出し、資料に載っている地帯の航空写真を見てみる事にする。

 こう言う場合は地図そのものよりも、写真を見ながら想像を膨らませるのが良いと決まっている。

「な、なんだ……この写真は、現実の物なのか?」

 ミョウミョウ様ゆかりの土地としてパンフレットに載っている山の中には、小さなマイナーな神を祀る社があるらしい。

 だがそんな事はどうでもいい、その山とこのイベント会場を含んだH市の土地は緑色の魔方陣になっていた、社のある山を中心とした五芒星ごぼうせいだ!

 しかし、五芒星だと言うなら基底がある筈だ。

 五芒星は本来魔除けだが、それは正位置である場合であり、逆位置の五芒星は悪魔崇拝を意味する。

 御家繁栄を約束する様な妖怪だか土着神なのだから悪魔信仰の逆五芒星では無いだろう、しかし逆に言えば市の緑化計画はこの五芒星を作る為の物だったと言う可能性が浮上する。

「これはいい……実にいいぞ、ボクはこれを取材しなくてはいけない!」

 ボクは興奮のあまり思わず口から言葉を漏らしながらイベント会場を後にした。


 件のミョウミョウ様が祀られているらしい山は、このイベント会場を麓に位置しているらしい。

 益々保守的と言うかカルティックと言うか、ボクは好奇心とか点と点が線になる感覚を覚えて背筋がゾクゾクするのを感じた。

 イベントは真夏で、しかも流行り病が連日報道されている有様だったんでマスクが外せず酷く暑い。

 スポーツ飲料や塩飴を持って来たから最悪の事態にはならないとは思うが、体力の消耗は想定して行動しよう、そうしよう。

 鬱蒼うっそうとしてすずしげな山林は町より居心地が良く、木陰に設けられた木星の緩やかな丸太階段を歩くと身体に活力がみなぎる様だった。

 周囲の木々では見事な蝉時雨せみしぐれが鳴り、この計画が張り子の虎で無い事を力強く示していた。

「これはいい、創作意欲が湧いてきそうだ。時には趣向を変えた書き物もいいかも知れないな」

 登山道は険しくなく、件の社は人里離れた場所にあると言う訳でもなく、目的地へはすんなり着いた。

 なるほど、ミョウミョウ様は参拝客の事も考えている。

 しかしミョウミョウ様の社は成り物入りのプロジェクトの一環であるかの様な所感に反し、こじんまりとした物だった。

 肝心の社は百葉箱の様な大きさ、周囲にあるインフォメーションは先程見たパンフレットと全く同じ物だ。

 これでは何の参考にもならないな。と、踵を返した瞬間、ガサガサと社から見て九時の方向で大型動物が動く様な草木のざわめく音がし、反射的に首を向けた。

 視線の先にこの世の者ではない存在が居た。

 死人よりも死人の様な真っ青の肌、伝承の邪悪な巨人を連想する三メートルは優に有る身長、口しかない頭部、顔を中心に体中に伝うミミズか蛇の様で小腸か触腕の様な器官、非現実的でいてしかし確かにこの場に居る盲目のサンショウウオの様な亜人、ミョウミョウ様が居た。

(ミョウミョウ様、実在していたのか! いいや、落ち着け! ミョウミョウ様は人々から姿を認知されている存在だ。つまり、それはミョウミョウ様が人をとって喰う様な存在ではないと言う証左しょうさに他ならない! 第二に、あの不気味な存在にはマスコット化したそれと異なり、目が存在しない。つまり、何かしらの鼓膜器官を頼りに周囲を認知しており、大きい動作や音を立てなければこちらを認知するすべは無い! 仮にミョウミョウ様が生贄いけにえを好む荒神あらがみと呼ばれるような存在で、生贄の儀式が成立していたからその姿を周知されていたとしても、ゆっくりと音を立てずに後退ればボクに危険は及ばない筈だ!)

 そう考えながらゆっくりと、ミョウミョウ様の方を見ながら山道を降りる。

 何も難しい事は無い、着地点に木の枝があるかも知れぬ、足元とミョウミョウ様を交互に見ながらゆっくり、ゆっくりと後退する。

 ミョウミョウ様はこちらの事を感覚器で追えなくなったらしく、虚空を眺めている様に見えた。

(なんだ、楽勝じゃあないか。いいや、油断はしないぞ、何事もこう言った油断をした瞬間に失敗はつきものなんだ)

 ボクは山道をゆっくりと後退る、着地点に異物無し、足音の原因無し、そもそもボクはここに所在なし…

 突然、胸ポケットの中で携帯端末が音を立てながら舞った。

(畜生! どこのどいつだ? ボクは今スニーキングミッション中なんだぞ!)

 そう心の中で毒づくひまも無かった、前方から三メートルはある青肌の巨漢バケモノが走って来る!

(くそ、イチかバチかだ! この塩飴ちゃんを喰らえ! 好奇心旺盛なクマや黄泉醜女よもつしこめならそっちに興味が行く!)

 そう思いながら飴の袋を破いて地面にばらいたが、何も動作に変化は無い。

 そらそうだ、相手は鼻が無ければ視力も無さそうなのだものな。この人でなし!

 振り返って全速力で逃げる。

 丸太階段を走り降りると言うハードな局面だが、ボクの身体は限界を超えて稼働した。

 どうやらミョウミョウ様の肉体は短距離走に向いていないのか、もしそうならこうして逃げ帰る事が可能で姿が伝わった可能性もあるな。

 そう全力疾走しながら考えていると、急に体が宙に浮かんだ。え? と疑問符が脳裏に生じるより先に足元に違和感が走り、何かビニールの様な物が足に絡みついた事を理解した。

 山道に頭からすっころび、足に何が絡みついているか確認し、そして気づいた。

 これはミョウミョウ様の体中に巻き付いていた赤い器官だ! そして間近で見た今だから分かる、ミョウミョウ様の赤い器官には黒い斑点が無数あり、つまりこれは貝類と同じでミョウミョウ様の視覚器官であり、この黒い無数の斑点一つ一つがミョウミョウ様の眼球だったのだ!

「こいつ、自分の目を縄張り中に垂らして罠にしていたのか!? なんておぞましい生物なんだ!」

 ミョウミョウ様の目を振り払って逃げようとするも叶わない、逃れようとするボクのすぐ頭上にはミョウミョウ様が立っていた。

「う、うわあああああああああああああああああああああ!」

 ミョウミョウ様に胴体を掴まれ、ミョウミョウ様の口しか無い顔の前に持ちあげられた。

 目の前でミョウミョウ様が口を開ける。ミョウミョウ様の歯も咽頭いんとうも無い口腔こうくうから細長い舌がこちらへ伸びて来た。

(捕食される!)

 いやだが待て、何かおかしい、何もかもおかしいが道理に合わない事が幾つかある。

 歯が無いならウツボカズラの様な捕虫器やハエトリグサの様な返しが存在する筈だが、ミョウミョウ様の口腔にはそれらが見られない。

 そしてミョウミョウ様の舌と思しき細長い器官だが、肉と言うより内臓的な質感をしていて、まるでタコの交接腕だ。

「御家繁栄、子宝、変形菌、姿が後世に伝わっている、人間に交接腕を向ける……そうか、分かったぞ!」

 ボクの推測通りなら、ミョウミョウ様はボクの指かどこかに交接腕を挿入する。

 まるで都市伝説で、ハリガネムシが人間の指から侵入する様に!

 その時が好機だ、それを逃せばボクはミョウミョウ様の影響下になるだろう。

 するとどうだろう、ミョウミョウ様は舌だか交接腕だか要領を得ない器官をボクにゆっくりと近づけて来た。

「不幸中の幸いと言うやつだな、今が流行り病の渦中かちゅうで助かったよ。まあ一杯呑んでいけ」

 ボクはミョウミョウ様の交接腕にハンディタイプのアルコールスプレーを力の限り吹きかけてやった。

 ミョウミョウ様は一瞬交接腕を止めたかと思うと、ボクを掌中しょうちゅうから解放し、のたうち苦しみ始めた。

「例えばハムスターの様に代謝が早い動物ならば、人間以上のアルコール耐性を持つらしいのだが、どうやらお前さんはそうでないようだな。それがお前の舌だかペニスだか知らないが、精々二日酔いに苦しんでいろ」


 * * * 


「と言う訳で、命からがら逃げて来たのさ。いや、命からがらと言う表現は間違いかもな」

 そう、作家は自信あり気に取材内容を同居人にぶち撒けた。

「これまでで一番の大冒険でしたね。さすがにこれで先生もりたと言うか、二度と危険な取材はしませんよね? いや、よく考えたら俺は今回の件で危険な目にってないからどうでもいいか」

「ははは、君は実に正直だな! 体調が良かったらひっぱたきたい程だよ!」

「普段先生が危険行為をして、そのせいで危険を被ってるのは俺なんです。少しは反省してください」

 同居人の言葉に、作家は拗ねた様子で布団に潜り、はいはいどうせボクが悪いですよー。と、誰に聞かせるでもなく呟いた。

「でも分からない事があるんですよ、そのミョウミョウ様ってなんで先生なんかに……もとい男の人にコーセツワン? を向けたのかって」

「ああ、その事か。これはボクの推測でしか無いんだが、御家繁栄とか子宝に御利益があると言う触れ込みから……」

 作家が口頭で説明をしていると、彼の胸ポケットの中で携帯端末が音を立てながら舞った。

「失礼。はいもしもし、こちら気延きのべです」

「はい、御無沙汰しております、こちら株式会社雨笠あまがさ製薬の公報でございます。この度弊社の商品である精力剤、不妊治療薬女性用、並びに男性用、これらのキャッチコピーを、コピーライター分野で活躍中の気延先生に是非ともご思案していただきたくお願い申し上げる次第でございます」

「すみませんが、他をあたって下さい。ボクはそれらの薬品に、ちいと嫌な思いがありましてね!」

 作家は苦虫を潰したような顔をして電話を切った。

 そして、作家の脳内には一つの懸念けねんが思い浮かんだ。

 製薬会社の工場で、ミョウミョウ様が次から次へと交接腕から薬瓶に何かを排出し、それを子供が出来難い体質の人へと売っている。

 そんな光景が、雷に打たれたように鮮明な形で彼の脳裏に浮かぶのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る