幽霊の非存在に関する、際限の無い人間の経済活動

路地表

第一話

 

 人間だったのだ、神は。しかも人間と自我のみじめな一かけらに過ぎなかった。私自身の灰と灼熱から、この幽霊は現れた。金輪際、彼岸から来たのではなかった。

  ──ツァラトゥストラかく語りき, フリードリヒ・ニーチェ




 ──23世紀

 スマートフォンはとうの昔に消え去り、誰もが脳にマイクロチップを入れている。電線はその全てが地中に埋められ、通信システムは5Gを超えて20Gに到達した。電車は既に遺物であり、時速500kmの新幹線に100円で乗車可能だ。大学進学率は90%を超え、女性の社会進出などという言葉はむしろ不可思議に聞こえる。リーマン予想もポアンカレ予想も、AIのお陰で難なく証明が出来た。


 一方で、そんな時代においても、人々は未だにオカルトを楽しんでいる。同時に、恐れている。まあ、需要と供給みたいなものだ。宗教は未だに根強く、むしろそれが今っぽい風潮すらある。


 僕は、幽霊を信じている。信じているというか、何度も見たことがある。客観性よりも主観性──それが大事な世の中だ。誰も私を否定しないし、肯定もしない。それが、多様性の本質だろう。



 ある日、また幽霊を見てしまった。残業した帰り道のことだった。

 いつもは通らない道から帰宅していると、大きな墓地が突然向こうに現れた。住宅街の中に在ることにも驚いたが、それよりも不思議だったのは、明らかに手入れが全くされていないことだ。遠くからでも分かる程にそれは墓地なのだが、草木は生い茂り、墓石が崩れている物まであった。墓は怖いものだが、不衛生さは一切無い。綺麗だが恐怖を感じる──それが墓地だろう。


「近くで見たい」


 不気味さを感じながらも、人はつい確認したくなってしまう。恐怖と好奇心は、脳の近いところにあるような気がする。

 羽虫がたかる街灯が、墓の頭の方をぼんやりと照らす。肝試しの様な、一種の冒険心を感じる。音を立てない様に、ゆっくりと歩を進める。

 初めは暗くてよく分からなかったが、その墓地は縦長に50m程続いていた。奥の方ははっきりと見えないのだが、明らかにけがれを感じる。恐怖が接近して来るのを感じながらも、足は止まらなかった。

 遂に、墓地を囲む塀のところまで来た。入口は錆びたチェーンで閉じられている。しかし、それは形式ばったものでしかなく、容易に侵入が可能だった。

 少し迷ったが、入るのは止めた。墓地の奥の方を照らす暗闇に、足がすくんでしまった。恐怖が、好奇心を喰ってしまったのだ。

 踵を返し、墓地を後にする。


 ブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブンブン


 突然、墓地の方から異様な音がした。扇風機の風量を「強」にした時の様な音だった。振り向きたくは無かったが、本能が見ろと叫ぶ。恐怖に吞まれながら、ゆっくりと振り向く。そこには、大きな頭をげそうな程に振り回しながら、墓地の奥から追いかけてくる裸の男がいた。頭は禿げ上がり、腹だけが不自然に膨らんでいた。その姿は、穢れそのものだった。恐怖から体が硬直する。その異形な男から目が離せなくなってしまった。目は血走り、不潔な口からはよだれが飛び散っていた。逃げなければいけないのに、足が全く動かない。死を覚悟したその時──男が何かを叫び始めた。その声が、私の脳を起こした。

 そこからは、無我夢中で逃げた。上手く足が回らず、何度も転びかけた。しかし、もつれる足を解く暇は無かった。男の叫び声が、すぐそこから聞こえるからだ。


 家に着き、即座に鍵を二重に締める。幽霊には関係ないかも知れないが、こちらの気持ちの問題だ。いつの間にか、男の声は聞こえなくなっていた。しかし、しばらくは胸の鼓動が止まなかった。戻しそうな程に臓器は揺れていた。何とか呼吸を整え、倒れ込む様にベッドに体を預ける。


 おわりじゃないぞ

 まだ、おってきているぞ


 そんな声が聞こえる。

 なぜ、いつもと同じ道から帰らなかったのだろうか。

 怖い。死んでしまう程に、怖い。

 脳裏に焼き付く、男の醜い顔。彼の首の骨は、既に折れていた様に見えた。

 恐怖が、じっとりと背中を濡らす。

 震えながら布団にくるまり、祈るほかなかった。

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