第16話 飯の恨みは怖い

 悪魔と呼ばれる生物は、上級であればあるほど、相手の制約を自由に決められる。クラーケンの様に技量があれば、宿主の意識を奪わず生きることが可能だ。


 それに対し、技量を持たない悪魔は基本の制約に則ることになる。つまり、宿主を殺して体に憑依するという形になるのだ。憑依する条件は例外を除いて基本二つ。


 宿主となる人物が、自分以上の魔力を超える魔法を行使した場合。

 もう一つは、悪魔たちの争奪戦に勝利することだ。


 これを達成した者のみ、人間に憑依することが出来るのである。



『リリーシアよ、一つ取引しないか?』


 唐突にクラーケンがそう提案してくる。

 敵を見つめているリリーシアが口を開こうとすると、『頭を動かすだけでよい。言葉にするな』と返事が返ってくる。首を縦に振ると、クラーケンが『カッカッカッ』といつもの調子で笑う。


『お主の体を少しだけ使わせてくれ』

「――ッ」


 その提案を聞いたリリーシアは、トラウマを思い出した。あの日に発生しかけた、少女を殺しかけた記憶が自分自身に重くのしかかる。顔色を悪くしていると、悪魔が大声を出した。


『馬鹿な娘だなぁ! これでも食らいやがれぇ!』


 悪魔は魔法で生成したナイフを投擲する。ナイフは空を切り裂く音を鳴らしのどを穿とうとする。リリーシアが気が付いたときには、既に避けられない位置にあった。

最早避けられないと直感的に感じる。


 彼女が怯えて目をつぶった直後、クラーケンのため息交じりの声が響く。


『はぁ……全く、手がかかる小娘じゃのぅ』


 そんな声が聞こえた直後、ナイフがあらぬ方向へ向かっていく。その方向には悪魔が乗り移った男がいた。男は舌打ちしながら攻撃をサイドステップで避ける。

 体勢を整えた悪魔が鬼の形相でリリーシアを睨みつける。


『このくそ悪魔が! 私の攻撃を防ぐんじゃねぇ!!』


 それに対し、彼女の左手から触手を生やしたクラーケンがケラケラ笑う。


『攻撃が止められて怒るとは凄い奴じゃな。ワシだったら、恥ずかしくて出来んわ。それともあれか? 弱者ばかり襲ってきたから、強者と闘うことには慣れておらんのかのぅ? だからこそ、怒ってるんじゃなぁ! 納得納得!』

『このくそ悪魔ぁ! ぶち殺してやるぅ!!』


 クラーケンに煽られた悪魔はナイフを生成し、投擲する。

 鋭利なナイフは直線的に飛びながら少女の体を切り刻もうとしていた。


「もう、ゆだんしない」


 リリーシアが一言発した直後、彼女の両手から水魔法が放たれる。詠唱なしで生成されるナイフと同じ形状の立方体はナイフの雨を全て薙ぎ払う。魔力消費を全くせずに攻撃を躱していく様を見ながら、悪魔は目を丸くした。


『な、なぜそんな魔法管理ができる!?』

『我の玩具なんだから出来て当然だろう!』


 リリーシアは妙に嬉しそうなクラーケンの玩具という言葉に引っ掛かりを感じつつ敵を睨みつける。悪魔の体からは多量の汗が流れており、疲れが素人目でも分かるようになっている。一撃でも加えられたらこちらが勝てるのではないかと想像する。


 彼女は軽く敵を視認しながら、魔力を少なく抑える方法を考える。しばらくの間、沈黙が続き心臓の鼓動が聞こえ始めていたころ。


『馬鹿が! 早くとどめを刺せ!』


 クラーケンの怒号が彼女の頭を覚醒させる。瞬時に瞬きしぼやけてきた視界を鮮明にした直後、彼女の視界に予想外の光景が映る。悪魔がサフィーにナイフを突きつけ人質にしていたのだ。


『はははははは!! 形勢逆転だぁ!!』


 リリーシアは嬉しそうに笑う悪魔の声を聞きながら、自分自身の過ちを後悔するとともに、魔法を放ち始める。部位狙いの正確無比な攻撃は悪魔の四肢を捉え、拘束を解かせるはずだった。


『ありがとう、攻撃してくれて』


 悪魔の嬉しそうな声が響いた直後、リリーシアの視界に最悪な光景が映る。人質に取られているサフィーが魔法攻撃の被害を受けたのだ。悶えながら絶叫する様を見たリリーシアは平静を崩す。


(わ、わた、わた、し、のせい、で……?)


 リリーシアは息を荒くしながら地面に倒れこむ。他者を傷つけたくないという気持ちが、戦場で裏目に出る。戦場で平静を崩せば、待つのは敵からの強襲だ。


『はっはっはぁ!! 死ねよおらぁ!!』


 リリーシアは悪魔が放った右脚の蹴りをもろに腹で食らう。嗚咽を漏らしながら壁に叩きつけられると、顔面に拳の追撃が送られる。強化された成人男性の肉体による暴力は、彼女の理性と精神を削っていく。


『はっはぁ! やっぱ暴力は気持ちいいなぁぁぁあああああ!!』


 悪魔は絶叫しながらリリーシアに攻撃を加え続ける。何度も何度も加え続けるうちに、悪魔の体がさらに異形へと変貌していく。リリーシアが口から血液を逆流させるほど傷を負っていたときには、既に人間とは言えない姿に変貌していた。


 悪魔は嬉しそうに笑いながら、ワニのように長い口を開く。

 目の前の少女を咀嚼し、食べようとしたのだ。


『いただきまぁ~~~す!』


 不気味に笑いながらリリーシアの頭をかみつぶそうとした直後――悪魔が向こう側の壁に吹き飛ばされる。何も見えなかった悪魔が驚きながら目を開くと――そこには三本の触手を背中から生やしたリリーシアの姿があった。


『ふぅん……予定と違うが、久々に体を乗っ取れたわ。だがな、感謝はせんぞ』


 クラーケンは不敵に笑いながら触手三本を用いて床に落下したナイフを掴むと悪魔めがけて投擲する。四本放たれたナイフは異形と化した悪魔の四肢を貫き、体を壁に拘束させる。磔となった悪魔は抵抗一つできない。


『本来食えたはずの飯を、おぬしがきたせいで台無しにされたからの。飯の恨みは、相当深い。よって、おぬしには地獄を見てもらおう。安心せぇ、死にたいと思うほど痛めつけるだけだからのぅ……カーッカッカッカッカッカァ!!』


 クラーケンが憑依したリリーシアは、敵を過剰に痛めつけるのだった。

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