猫は流体なのか、それとも背中のバタートーストから落ちるのか
どうもストーカーです。
でも言い訳させてください。後を付けたのは学校内だけですし別にプライベートを侵害したわけじゃないと思うんです。それにほら、好きな人の事って知りたいじゃないですか? あとわたしその時まだ中学生でしたし、大目に見るというか見逃してくれるというか綺麗さっぱり忘れてわたしとは今日逢ったことにしてくれるとありがたいですね。
「……そういことじゃ、ダメですかね?」
「ダメだ」
「そうですか……ダメですか」
よく考えなくてもそりゃそうでしょうね。しかし先輩にストーキング、もとい運命の人観察日記の為の行動がバレていたとは驚きです。萌亜のこそこそ隠れているつもりでいた中学校生活はなんだったんでしょう。というか好きな人って単語が華麗にスルーされています。割ともの凄くショックです。
空き教室で進路指導されている生徒みたいに椅子に座らされている萌亜は、机の前で腕を組んで立っている先輩を上目遣いで見上げます。
やっぱり、なんて格好いいんでしょうか。ついうっとりと見つめてしまいます。こうして見るとぱっと見の印象と違って垂れ目なんですね。あっ、左目の下に控えめな泣き黒子あるんですね。少し苛立っているような表情も素敵です。でもちょっと怖いので怒られたくないです。これからどうなるんでしょう萌亜。
「なんだそのニヤけずらは」
「えへへ~」
「癇に障る奴だな。本当にこの高校受かったのか? 馬鹿そうだが」
ズバズバと酷いことを言いますね。
「この高校でも俺をこそこそと付けてみろ。お前でポール・ワイズの思考実験を試してやる」
「ぽ、ぽーるわいず?」
なんでしょうかそれ。基本的に萌亜カタカナは苦手なんです。入試のテストも英語は酷い点数だったと思います。
「じゃあな。入学式終わったばっかりだろ。早く帰れ」
「ま、待ってください!」
空き教室を出て行こうとする先輩のブレザーの袖を掴んで引き止め、その冷たくはないけれど温もりを感じないような、怜悧な瞳を覗き込むようにして見つめます。
「萌亜、せんぱいがいるからこの高校に来たんです! せんぱいが、好きだから……」
勢い余って2年間秘めていた想いを伝えてしまった萌亜は。
「そうか、失恋したからって不登校になるなよ」
あっさりと振られました。
「うえっ!? ふるんですか!? 萌亜この日のために頑張って、あ! そうですねシチュエーションがダメですよね! ロマンチックな場所用意するのでさっきの無しでお願いします!」
「いや、ここが夕日の見える海岸線でも変わらない」
「じゃあ地球最後の日に泣きながらの告白とかで!」
「それは……流されて受けそうだ」
なるほどです。地球さん、どうか滅んでください。
「変に耳に残る声しやがって……なんか無視出来ないな」
自分が受け答えしてしまったことを訝しむように、萌亜のことを不思議な生き物でも見るような目で見てくる先輩は、ブレザーを掴む萌亜の手を払おうとして、「折れそうだ」と呟いてから脇腹を突いてきました。
「ひゃうっ!」
くすぐったさに手を離してしまった隙に数歩離れ、萌亜の手の届かない距離に移動してしまった先輩を追いかけようと席を立ちます。
「待ってください! せめて恋人から始めましょう!」
「さっきのはプロポーズだったのか……」
疲れたように溜め息を吐いた先輩は、首に手を当てて萌亜を横目に眺めます。
「同じ高校だろ。明日だって会うかも知れない。急ぎすぎなんだよ、お前」
い、言われてみれば……ちょっとフルスロットルで焦りすぎました。
逢ったかばかりの元ストーカー女に告白されて受けるわけないですよね。これはもう萌亜がどんなに可愛くてもどうにもなりません。
そうです。先輩との高校生活は2年間もあるんですから。こんなに急ぐことないんです。
もう取り返しが付かないところまで失敗してしまったけど、一応ということで、萌亜は自己紹介をやり直すことにしました。
「朝日奈萌亜です♪ せんぱい、名前、教えてください♪」
先輩は「もう知ってそうだけどな」と呟いてから、面倒くさそうに口を動かします。
「月虹神夜。月の虹に、神の夜と書く」
「朝日に奈良の奈。萌える亜種と書いて萌亜です♪」
そうわたしも先輩を真似て漢字を説明したら、「下手くそな紹介だな。萌える亜種ってなんだよ」と呆れた様子でしたが、それでも覚えてくれる気はあったみたいで。
「またな……萌亜」
おかしな縁でも感じてくれたのか、さよならの言葉を変えてくれました。
第一印象は最悪に近いような気もしましたが、まだバッドエンドというわけではないようです。だって貴方の表示は変わらず【運命の王子様】で。わたしも、ちょっと複雑ですけど、あの日から【サブヒロイン】のままなんですから。
「てことがあったんですよ。これは脈ありですね♪」
「ポジティブだね萌亜ちゃん……」
案の定眞友ちゃんにも呆れられましたが、最近色んな人に呆れられているのでもう慣れましたね。
それより今日も休み時間と放課後に先輩を探さなくては。
入学からもうすぐ一週間。来る日も来る日も先輩を探していますが、一向に見つからないどころかクラスを特定するのにも難儀しています。まさかこの学校にいないとかじゃないですよね? なかなか逢えないので不安になってきました。
「そういえば、そろそろ入部申請しないとね。萌亜ちゃんはもう何処に入るか決めた?」
「部活ですか? とくに入る気ないですね。帰宅部で良いですよ」
「萌亜ちゃん知らないの? この学校、絶対にどこかの部活動に所属してないと行けないんだよ?」
「そうでしたっけ?」
「もう。今日のホームルームでも先生が説明してたよ」
そうでしたか。先輩のこと考えていてまったく聴いていませんでした。
「部活でしか築けない関係もあるし、どこかの部活に入って新しいことでもしてみたらどうかな。萌亜ちゃんが入るなら、私も一緒に入部するよ」
「部活ですか……はっ! そうです♪」
どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのかと、萌亜は休み時間の終わりを告げるチャイムと共に閃きました。
「先輩と同じ部活に入りましょう♪」
そうと決まれば今日も先輩探索です。
「いた♪ いました♪ せんぱ~い♪」
東棟の一階で先輩の特徴的な緑がかった黒髪を見つけて、黒いブレザーのボタンを閉めず腕まくりして着崩している先輩の背中に駆け足で追いつきます。
わたしを確認した先輩は一瞬目元を歪ませましたが、見つかったのなら仕方がないとばかりに観念したように足を止めてくれました。
「ついに見つかったか……」
「え? もしかしなくても萌亜から隠れてたんですか?」
「いや、避けてた」
「ぐぅっ……後輩心にダメージ大です」
「お前はボケたことを言わないと死ぬ病気なのか?」
いえ、可愛くなろうとした結果これが素になってしまっているのです。
なんであれ先輩と会話できてウキウキな萌亜はスキップでもしているみたいに軽やかな歩き方で先輩の後ろに付いていきます。
「なんだその兎みたいな歩き方」
「そんな小動物チックな歩き方してますか萌亜?」
「いや、珍妙な生き物みたいだ」
珍妙な生き物……今日から鏡を見ながら可愛く歩く練習もしましょう。
「付けてくるなと言っただろ」
「こそこそはしていません♪ 堂々とせんぱいの後ろを歩いているだけです♪」
「確かにこそこそ付けるなとは言ったが……いや、いい。屁理屈だがお前の勝ちだ。勝手にしろ」
「はい♪ 勝手に付いていきますね♪」
どうやら普通とはちょっと異なる価値観を持っているらしい先輩は、自分が言ったことを撤回しない主義なのか、それとも単にこれ以上の説得は無駄だと判断したのか、萌亜の無理矢理な言い訳に応じてピッタリ後ろを歩いても何も言わなくなりました。
何処に行くのかなと見守っていたら先輩は一階の更に下、東校舎の地下へと降りていって、殆どが物置として使用されているような教室には見向きもせずに廊下を突き進み、一番左端の角教室の前で立ち止まりました。
そこは新築みたいに綺麗な深桜高校の校舎の中にあるとは思えないくらいに異様な出で立ちをしていて、魔方円の描かれたコピー用紙やら御朱印の札、文化祭の時に張り出されそうなポスターや新聞の切り抜きを使った殺害の予告状などが、箱をひっくり返してばらまいたみたいに乱雑に貼り付けられた扉があるのです。
そんな何かを封印しているのか勘ぐってしまいそうな扉を、先輩は張られている物が取れないように気を遣ってゆっくりと開けました。
ガチャッと音を立てて開くはずの扉は、幾枚もの紙が擦れる不快な音を廊下に響かせながら開き、その先には扉にも負けない、いやむしろ圧勝しているような、ここも元は教室だったのか疑問視したくなるくらいの部屋が広がっていました。
まず目に付くのは、部屋の奥の壁にカーテンの代わりのように飾られている、悪魔のような角を生やした頭蓋骨のタペストリー。それを陳腐な蛍光灯の光が照らしているのがまったくマッチしていない。けれどガラスのテーブルを四角く囲むように置かれているソファは黒の革張りで、テーブルにも銀の蝋燭立てと赤いキャンドル、水晶のチェスボードが置かれているからタペストリーに合わせているのかとも思ったが、床に敷かれた可愛らし草花が刺繍された絨毯を見るにどうやらそうでもないらしい。
左側には高価そうなティーセットや、色とりどりのアロマキャンドルが置かれている木目の確りした棚があって、左手には隙間無く本が詰められている五つの本棚が縦に並んでいる。その本棚のうち壁に接していない三つからは黒い尖りフードのガウンが掛けてあって、でもよく見るとその後ろには海外のロックバンドかなにかのであろうポスターが貼られている。
見れば見るほど、いったいなんの為の部屋なのか分からなくなる内装だった。
一見して黒魔術を行う場所に思えたり、紅茶を飲んだりアロマの香りを楽しむ場所に見えたり、文芸部のような本を読む場所に感じられなくもない。そんな、物が飽和していてカオス過ぎる部屋。
情報量が多すぎるが、とにかく萌亜はそういった印象を受けて、この部屋の使用目的について考察するのを辞めた。考えるだけ無駄だと判断したのだ。
恐らくですけど、隣に使用者がいることだしと徐に口を開く。
「えっと……せんぱい。ここは、なんです?」
「部室だ。いや、研究会室か? まあどちらでもいいか。この部屋の呼び方にはなんの意味もないからな」
「部室って、もしかしてここ、せんぱいが所属してる部活の活動場所なんですか?」
萌亜の問いに先輩はなんと答えた物かと惑う表情を見せたが、直ぐに自分の中で結論を出したのか「そうだ」と答える。
「だが部活と呼称していいのかは分からないな」
「どういうことです?」
この謎すぎる部屋がなんの部活なのかと本気で気になってきたところで、本棚の方から声が聞こえる。
「ああ、それは僕から説明するよ」
「……いたんですか。エレン先輩」
言いながら本棚の隙間をすり抜けるように出てきたのは、存在しないはずなのに、自然とそれが地毛なのだと納得してしまう、ミステリアスな青い髪の少女だった。
小柄な萌亜よりも更に一回り背が低く、制服の上に白衣という特異な格好をしている。顔も身長と同様に幼かったが、その表情はどこか大人びていて、自分よりも年上に見えてしまうほどだ。
「これでも一応、ここの会長だからね」
青髪の少女はその短めの髪を耳に掛けるような仕草をすると、その顔に不敵な笑みを浮かべた。
「ようこそ。この学校唯一の非公認部活にして無二の研究サークル……神話研究会へ」
ちょっと変な先輩の先輩は、どうやらもっと変人らしいと、萌亜はこのとき理解しました。ええまあ誰が見てもそう分かるとは思いますが……萌亜にはそれがはっきりと分かるのです。
だってただの学生なら、頭の上の表示に【魔法使い】だなんて……出るはずがないんですから。
国籍、人種、年齢、身長、体重、あとなんと同じ学校に在籍しているのに学年も不明。ただなんとなく自分より年上そうだから先輩と付けている。
分かっているのはエレン・レム=レ・ソロモンという魔法使いみたいな名前と、神話研究会の会長だといういうことだけ。それ以外は謎に包まれていて、聴いても話を濁されてしまうだけで、1年も一緒にいるのに未だに何も分からない。
「成るほどです。でもですねせんぱい。身長はともかく女の子なら体重が秘密なのは当たり前ですよ?」
「そうか。お前何キロだ?」
「41・2㎏です♪」
「言うのかよ……てか軽いな」
「せんぱいをのーさつできるようにと萌亜は日々魅惑のボディ作りのため努力しているのですよ! 身長は152センチなので俗に言うシンデレラ体重を維持しています! だから公言できちゃうんです♪ でもデリカシーないですよせんぱい? 女の子の体重はいつだってハテナなんです」
腰に手を当てた決めポーズで先輩にウインクを送りますが、やっぱりスルーされました。くっ、やはりギリギリCと偽れなくもないBカップの萌亜では攻撃力が足りません。
「その子はどうしたんだい、シン。随分と君に情熱的なようだけど」
「ただのストーカーです」
「ストーカーが出来るなんて、シンも隅に置けないな」
「それ自慢になるんですか……」
「なりますよ♪ こんなに可愛い後輩ストーカー世界中どこを探しても萌亜だけです♪」
もはやストーカーであることを認めてそれすら売りにしようとするわたしはエレンさんの体面のソファに座っている先輩の隣に腰を下ろします。
でも意外ですね。せんぱいって不敵なイメージがありましたけどエレンさんにはちゃんと敬語を使っています。
「アハハ、また面白い子だね。ここも騒がしくなりそうだよ。うん、今までの静謐とした空気も好きだったけど、こういうのも僕は嫌いじゃないよ」
「エレン先輩。こいつ入れるんですか」
「彼女は入りたそうにしているし、この研究会は来る者は拒まずだ。去る者は全力で捉えるけれど、ね」
「え、捉えちゃうんですか?」
「なにしろ会員が少ないからね。ここの部費もとい会費は一万五千円×(カケル)部員だ。少しでも多い方が活動の幅が増えるのさ」
成るほどです。見たところこの部活なのか研究会なのかよく分からない部活の部員は先輩とエレンさんの2人だけ。しかし活動には他の部活同様にお金がかかるものがあるのでしょう。つまり新入部員はウェルカムと。
「萌亜入ります♪」
先輩と同じ部活で楽しくハイスクールライフを送れるというのに入らないという選択肢なんてありません。
「ここがなにをするのかも知らずに決めるな」
「なにって、神話研究会ですよね? 神話を研究するんじゃないんですか?」
「まずそこを勘違いしてるようだが、神話研究会はこの部活集合体の総称みたいなものだ」
「部活、集合体?」
初めて聞く言葉に首を傾げると、先輩が生徒手帳を取り出して校則が書かれているページを開いた。
「この高校が絶対に部活に所属しないといけない校則なのは知ってるだろ。だが、中には当然入りたい部活がない奴もいる。そういう奴は普通は適当な部活に入って幽霊部員とかになるんだが、偶にいるんだよ。どうしても、部活としてやりたいことがある奴がな」
「それなら、部活を造ればいいんじゃないですか?」
簡単なことじゃないかと考えて投げかけた問いは、先輩ではなくチェスのポーンの駒を手でもてあそんでいるエレンさんが答えてくれる。
「しかしね、朝日奈君。部活は原則として5人以上いなくてはいけないんだ。だからマイナーな部活を造ろうとしても、人が集まらない。けれど自分と同じような考えを持った者ならいると、この研究会の創始者は考えたんだろうね。校則として部活には入らないといけないけど、自分がやりたい部活はない。そんな生徒が5人集まって学校に部活動として認められるために造ったのが、この神話研究会というわけさ」
研究会の生まれた奇特な経緯には萌亜も感心してしまい、先輩がいることが大きすぎるとは言え、なんだか普通に面白そうなので余計に入ってみたくなりました。
「非公認の部活が寄せ集まった一応は認可されている研究会。ここは、そういった奇異な場所なんだよ」
「俺も名目上は思考実験実験部の部長、兼神話研究会の会員だ。エレン先輩も論理学部部長兼神話研究会の会長をしている」
それぞれが独自の部活を持つ部長で、同時に研究会の会員。この神話研究会はそういったシステムなんだそうです。
「つまり自分の好きな部活を造って活動したい変人が集まる場所ってことですか?」
「そう言われると、久しぶりにここが可笑しな集団なのだと自覚してしまうね。最近はシンしか来ないから常識というものが薄れていたよ」
苦笑しているような表情で楽しそうに笑うエレンさんに、先輩も同調します。
「まあ、実際ここはこの学校の変人を煮詰めてその灰汁だけ集めたような場所だったらしいからな。俺が入った頃にはもう存在自体忘れられかけていてエレン先輩しかいなかったが、どうやら昔は入会しても神話研究会の連中とそりが合わなかった奴らは直ぐに辞めて普通の部活に逃げていったらしい」
変人の灰汁とは、また嫌な表現ですね。ちょっとそれの一員になるというのは抵抗がありますが、先輩と同じ部活というだけでオールグリーンです。
「それで、どうするのかな、朝日奈君。君が入会したいというのなら勿論僕は歓迎だけれど。シンもそうだよね」
「ストーカーと同じ部活とか嫌ですよ」
「まだ言ってるんですかせんぱい。もーいいじゃないですか~。ストーカーだったことは忘れてただの可愛い後輩として接しましょうよ~」
「これから放課後はこのウザい後輩が一緒なのか、俺の高校生活……」
憂鬱そうな先輩の表情も素敵です。
萌亜は先輩の横顔を楽しみながら入会希望用紙に名前とフリガナを書いていきます。
これでこれから放課後はずっと先輩と一緒ですね。でも、よく考えたらこの人とも一緒なんですよね。
萌亜は青髪の理知的な瞳の少女をジト目で睨みます。
というか、いつの間にか表示が【恋敵】に変わっています。表示なんて割と気分によって変わるのでそんなに気にすることでもないかも知れませんが、【魔法使い】ってなんだったんでしょうか?
それにしても【恋敵】ですか。また嫌な表示で……って、恋敵? ということは……。
萌亜は急いで主人公の設定を自分から先輩へと切り替えます。直ぐに萌亜の頭の上には【珍妙な後輩】と表示され(酷いです……)、エレンさんの表示はなんと、【サブヒロイン(意中)】と変わりました。
こ、この人も萌亜と同じサブヒロイン!? し、しかも(意中)って、もしかして今先輩が好きな人ってことですか?! な、なんということでしょう……確かにこの人は恋敵です。それも先輩の現想い人というラスボスクラスの敵です!
「ぐぬぬぬぬっ……早くも強大なライバル出現です!」
「何言ってるんだお前」
「アハハ。シン、なんだか睨まれているんだけれども、僕は何かしたかな?」
「気にしない方が良いですよエレン先輩。こいつの頭が可怪しいだけですから」
それはそうと早く入会届を書かないと。でもなんですかね、この名前を書く欄の下にある、所属部活名というのは。もう神話研究会と書いてありますけどもう一度書かないといけないんでしょうか?
「そこには神話研究会内で所属する部活名を書け。まあ勝手に作ってもいいが、既存の部活から選んでもいいぞ」
「そうなんですか。それで、この研究会ってどんな部活が何個くらいあるんですか?」
尋ねるとエレンさんは奥の本棚から[闇に葬るべき活動記録]と達筆な字で書かれた黒いファイルを持ってきてくれる。
「最初は五つだったらしいが、新しく部員が入るごとに部活も増えることが多くてな。それに一度作った部活は部員が1人もいなくとも一応は神話研究会の一部として存続し続けるから、今じゃ凄い量になってるぞ」
そう言うと先輩は闇に葬るべき活動記録ファイルから神話研究会に所属している部活動の一覧表を抜いてテーブルに置きました。
「ほんとに多いですね。えーと、先輩の思考実験実験部にエレンさんの論理学部と……直帰部?」
ぱっと見て気になった部活名を口にして首を傾げます。
「それは帰宅部より意識の高い帰宅部、授業が終わり次第友達と駄弁らず寄り道せず脇目も振らずに家に帰ることを目的として作られた部活だ。しかし毎年の勧誘だけはちゃんとやっていたらしい。放課後を家ですごすことの有意義性を事細かに説いていたと聞いている」
どうやら先輩は神話研究会の諸部活に詳しいようで、勝手に解説が入りました。
「意識高い帰宅部ってなんです……他には、えーとこの、リラックス&紅茶部とは?」
「元々廃部寸前のアロマ部とハーブ部が合併したアロマ&ハーブ部がこの学校にはあったんだが、更に部員が減ってな。同じようにアロマキャンドル部とお茶会部が合併したリラックス効果部と部の存続のために更にくっつき出来たのが、リラックス&紅茶部だ。聞くところによると部活名で揉めに揉め、結局部員達は空中分解してこの神話研究会に吸収されたらしい」
「ここって廃部された部活たちの墓場でもあったんですね……。あ、これは面白そうですね。カラオケ部」
「神話研究会の所属部活にしては珍しいことに三名もの部員がいた部活か。1年間はちゃんと活動していたらしいが、放課後は毎日カラオケに入り浸っていたせいで懐に多大なるダメージを負い、その後の2年間は活動を自粛していたそうだ」
「なんでも程々がいいんですね世の中……ユーチュー部? なんですかこれギャグですか?」
「いや、実際1人の生徒がここで動画を撮ってYouTubeに上げていたらしい。ユーチューバーになりたくて作った部活だったらしいが、思ったように再生回数が伸びず卒業後は大学に進学し普通に就職したらしい」
「結果的にそうなって良かった気がしますね……あ、またギャグが。リアッ部(プ)? なんかルビが変なんですけど」
「それはこの神話研究会に多大なる功績を置いていった部活でな。若い頃から薄毛に困る生徒のためにどの育毛剤が効果的なのか研究する部活だったらしいんだが、大量の育毛剤が部室にあるとあって、毛量が心許ない教師たちの間で顧問の取り合いが起こったらしい。その年度だけは神話研究会が職員室に広く知れ渡っていたし、部費も潤沢に出たそうだ。その時の部費で買ったのがこのソファだという話だ」
「先生ってストレス多そうな仕事ですし、困ってそうですもんね……でも育毛剤買うお金でソファ買うってどうなんでしょう。というかもっと真面目な部活はないんですか。この重音部とか、他に比べれば真面な名前してますけど」
「それは神話研究会の氷河期。会員すら1人しかいなかった年度に、ある1人の鬼才ギタリストが入会した。軽音部などという文化祭でライブする程度の軽い部活には入らず、もっと徹底的に技術を練り上げハードロックを掻き鳴らす為に作ったのはいいが、案の定部員は1人も入らず、3年間ここでひたすらにギターの腕を磨いていたらしい。残された彼の日記には書き殴った文字で、〝バンドやりたかった〟〝もう1人は嫌だ〟などと綴られていたという」
「可哀想すぎて言葉もないんですが……変に気取らずに軽音部入ればよかったじゃないですか……。というか部活多過ぎですよ」
「まだ半分も言ってないぞ」
「もういいです……なんか闇が深い部活ばっかりで、先輩方のよく分からない部活が凄く真面に思えてきました」
論理学部と思考実験実験部も意味不明ではありますけど。
「それで、入りたい部活はあったか」
「今の説明聴いた後であるわけないじゃないですか!」
「だろうな。だから俺も自分で作った」
こういった負の連鎖がこの名簿いっぱいの部活を生んだのだろうと、萌亜は何も聴かないで適当な部活に入ればよかったかも知れないと思った。
「そうですね、萌亜の部活なんですから、可愛くてきゅんきゅんしたものがいいです♪」
あんまり部活として活動してるのかどうか分からない程度の、活動内容が曖昧なのがいいですね。楽そうなので。
でも萌亜がやりたいことってなんでしょう。先輩とお付き合いする為に頑張る以外に浮かびませんね。いえ、でもあれだけ変な部活ばっかりだったんですし、別にそれでいいのでは?
そう考えた萌亜は所属部活動の欄に思いつきの部活名を綴ります。
「決めました♪ 萌亜は想い人を射止めるために頑張る女の子のための、思い悩む女の子を応援する部活、モテ部を作ります♪」
「モテない奴が作りそうな部活だな」
先輩が確かにと思ってしまいそうな事を言ってきますが、でもそれでいいんです。
「だから、これからモテるために努力する部活なんです♪」
ふふんっと、萌亜にしてはいい思いつきだと胸を張ります。
「いいんじゃないかな。ここではどんな部活だろうと歓迎される。朝日奈君、君も今日から神話研究会の一員だ」
「はい♪ えっと、せんぱいと同じ呼び方もあれなので、レムレ先輩♪ これからよろしくお願いします♪」
「朝日奈君は神話研究会の会員兼モテ部の部長だね。何をするのか僕にはまったく予想が出来ないけれど、頑張ってね」
「部長……! 良い響きです♪」
これで部活動という大義名分を持って先輩の心を射止めにかかれます! 今日からもう頑張りますよ萌亜!
あれ、でもさっき聴いた部活たちの流れから言うと、これって数年後に入ってくる新入生に、モテ部を作ったはいいがそいつは永遠と想い人に振られ続け、結局卒業までモテることはなかった。みたいな解説付きで同情されそうな気がします……。
神話研究会でモテ部部長になって一週間。
ほんとに特に何をするでもなく放課後は先輩につきまとってあのカオスな部屋で過ごしている萌亜です。
神話研究会では活動がそれぞれあって方向性が示されていないので、会室に来ることすら自由意志となっているらしいのですが、先輩もレムレ先輩も本を読んで紅茶飲んで難しいお話してを繰り返しているのです。萌亜は活字は苦手ですし紅茶は香りが良いんですけど苦くて飲みにくいし難しいお話は難しすぎてついて行けません。あと先輩2人が紅茶を入れるの下手で萌亜が一番下の後輩という理由で紅茶入れさせられますし。
つまるところ――
「つまんないです!」
「急になんだ。煩いぞ」
先輩が本を読んでいるのをお菓子を食べながら眺めるのはとても楽しいですが、見つめすぎてウザがられるし話し掛けてもなかなか返事してくれないしちょっかい出すとアイアンクロー食らいますし、最初は反応して貰えるだけで嬉しかったですけど、もうダメです。耐えられません。
「だってせんぱい全然萌亜にかまってくれないじゃないですか! 萌亜の想定ではこの時期にはもうイチャイチャしすぎてそろそろ倦怠期に入らないかと不安になってるはずだったのに!」
「楽しそうに俺にちょっかい出してただろ」
「いえ楽しかったですけど! 萌亜がしたいのはそういうのじゃないんです! いつもせんぱいがここでどう過ごしてるのか観察するために我慢してきましたが萌亜は短気なので一週間が限界です! 逆によく一週間も持ちましたよ!」
それに一番の文句は、予想以上にちゃんと部活していることです。
「難しい話ばっかりで萌亜ぜんぜんついて行けません! もっと簡単で楽しい話題にしてくださいよ! なんですかバナナ型神話の原点がギルガメシュ叙事詩かどうかって! でもバナナでないから違うとか変形型だとか同じ系統だから問題ないだとか、なんでちゃんと神話研究してるんですか!? いえそもそも神話ってバナナの形してるんですか?!」
昨日先輩とレムレ先輩と話していた内容を例に出して萌亜は嘆きました。
「一応名目上は神話研究会だからな。ここにある本の4割が神話関連の書籍だ。それを読むとなると自然と会話もそっち寄りになるだろ」
「そうかもですけど~、もっと楽しいことしましょうよ♪ トランプとか♪ 萌亜ルール知りませんけどここにチェスありますし。あ、せんぱいと萌亜でポッキーゲームでもいいですね♪」
「さりげなく変なゲームを入れてくるな。だがまあ、お前の言ったことも一理ある。俺も最近は自分の部活をサボりすぎたしな」
先輩は何かを取りに本棚の奥へと消えてしまいます。
「僕はシンとの会話が既に論理的だからね。部活はしていることになるのかな」
「おい萌亜。俺の部活のためにお前はこれを打っていろ」
そういって先輩が本棚の奥から持ってきたのは、黒くて古いタイプライターでした。
「なんです? それ」
「見ての通りタイプライターだ。部費で買った」
「絶対無駄遣いですよねそれ……」
「暇なんだろ。適当でいいから永遠にこれ打ってろ」
「えぇー、なんですかその罰ゲームみたいなの」
意図の分からない指示に萌亜は頬を膨らませます。
「いや、ちゃんとした部の活動だ。じゃあシェイクスピア作品を書き終えたら教えろ」
「まったく意味が分かりません……」
文句は言いながらも一応タイプライターをカチャカチャと押してみるわたしは、でも直ぐに飽きて読書に戻った先輩の膝に寝転がります。
「うぅー、ほんとなんなんですかこれー……?」
ああ、先輩の膝の上……。幸せですけど自分の行動が恥ずかしくて顔が熱いです。
「知らないのか。無限の猿定理だ。理論上円周率に全ての数列があるのと同じで、ランダムに文字列を作り続ければいつかはどんな文字列もできあがる。その比喩として、猿でもタイプライターを永遠とランダムに打ち続ければ、いつかウィリアム・シェイクスピアの作品を打ち出す、かもしれないという思考実験があるんだ。あと邪魔だ退け」
零距離の膝蹴りを後頭部にくらって起き上がる萌亜は、頭をさすりながら先輩に涙目を向けます。
「でも萌亜猿じゃないですよ?」
「同じ霊長類だろ。それにお前は馬鹿っぽいからな。猿の代わりとしては適役だ」
「ひ、酷いです……というかそんなの出来るわけないじゃないですか。せんぱいっていつもそんなことしてるんですか?」
「それが思考実験実験部の活動だからな」
「その、思考実験ってなんですか? それに更に実験って付けるのもよく分かりません」
「思考実験実験部はその名の通り、本来想像するだけの実験である思考実験を実際に実験してみる部活だ。例えばだが」
先輩は少し残っている紅茶を飲み干しティーカップを空にすると、そこに今日のおやつである雪兎みたいな形の小さな大福をいれました。
「これが鳥だとする」
「ウサギさんですね」
「鳥だと仮定する」
「でもウサギさんです」
「……これが本物の兎だとする」
先輩は割とあっさり根負けしました。
「そしてこのカップの中に入った兎が、このようにホモジナイズされ均一な懸濁状態になったとしよう」
そう言うと先輩はティースプーンを雪兎大福に刺してグチャグチャと混ぜ始めました。
「ってせんぱい何してるんですか! ウサギさんが可哀想ですよ!」
「一々面倒くさいなお前……まあ、このように兎はバラバラに粉砕されたわけだ。だがこの場合、このカップの中から失われたものはなんだ? カップの中は物質的にはなにも変化していない。兎を構成していた物質は全てカップの中にあるままだ」
「? でも死んじゃってるじゃないですか」
「そう。それなんだ。物質的には変化はしていないが、ホモジナイズされた兎は確かに失っている。それは生物学的組織であって、生物学的な機能だ。つまり、この思考実験からは生物として成立するには両者が必要不可欠であることを示している」
「ふむふむ。成るほどです。まったく分かりません」
「……まあいい。これを考案者から名を取ってポール・ワイスの思考実験という」
「ぽーるわいす? なんか聴いたことのある名前ですね」
あっ! そうです。以前先輩が今度こそこそ付けてきたらお前でぽーるわいすの思考実験を試してやるとかなんとか……ってこれのことですか!? なんということでしょう……一歩間違えれば萌亜がこのウサギさんと同じ目にあっていたかもしれないなんて。
「ホモジナイズされてしまいますっ……!」
「なに言ってんだ……」
肩を抱いて震えだした萌亜に先輩は怪訝な目を向けてから、ティーカップに入れた雪兎大福をティースプーンを使って器用にすくい出しました。
「なんだ、お前もう食べただろ」
それをじっと見ていたら萌亜が食い意地を張っていると勘違いされてしまって、でも仕方無しとでもいうように肩をすくめた先輩は、落とさないようにとそっと雪兎大福の乗ったティースプーンを萌亜の口元へと運びました。
「えっ、いいんでむぐっ……おいひいです♪」
先輩からのあーん、です! 無自覚にやってそうなところが憎いです! でもそんなところも好きです。ちょっと無理矢理押し込まれたのでほっぺの裏側に刺さりましたけど。
「楽しそうだね、シン。後輩が出来てそんなに嬉しいのかい?」
「そういう訳じゃ……」
「えへへ~」
否定しようとしてこっちを見た先輩にニヘラっとした笑みをあげると、イラッとしたのか顔を引きつらせました。でも直ぐに元の詰まらなさそうな表情に戻って、虚空を眺めるような眼をします。
「……ないですが。それでも……楽しいのかも、知れない」
「ここも本当は、もっと騒がしい場所のはずだったからね」
2人とも昔を懐かしむような口調になりましたが、一週間前に入ったので事情を知らない萌亜は首を傾げます。
「? どういうことですか?」
「なんでもない。お前は猿の真似してタイプ打ってろ」
「えぇ~それ本当にやるんですか~」
その日を境に、神話研究会は今日みたいで賑やかな会話が増えました。
レムレ先輩が見守るなか萌亜が先輩のおかしな実験に付き合わされるということが多かったですけど、それでもとっても楽しい毎日です。
「それでですね、萌亜が紅茶を零したら偶然せんぱいの本にかかちゃって、すんごい目つきで睨まれてから思いっきり頭わしづかみにされたんです~♪ でもめちゃくちゃ強く頭撫でられてるんだって考えるとちょっと激しめな愛情表現に思えて嬉しかったです♪」
「萌亜ちゃんってMっ気あるよね……その先輩になら何されても楽しそうに受け入れそうだよ」
「え~萌亜なにされちゃうんでしょうか♪」
若干引かれながらも楽しそうに神話研究会でのことを話す萌亜に眞友ちゃんは付き合ってくれます。眞友ちゃんはとっても聞き上手なんです。
「でも、楽しそうで良かったよ。関係も良好? みたいだし。このまま頑張っていけば本当に付き合えちゃうんじゃないかな。先輩も萌亜ちゃんのこと嫌いじゃないみたいだし」
「そ、そうですかね? そうだと良いんですけど……せんぱい萌亜のこと嫌いじゃないけど、好きでもないって感じなんですよね……」
未だに【サブヒロイン】のまま変化のない頭上の表示を見て、萌亜は溜め息を吐いてしまいます。
それに先輩はレムレ先輩のことが好きなんです。先輩はあんなちんちくりんのどこが良いんでしょうか。身長も胸も萌亜のほうが……いえ、もしかして先輩って小さい子が好きなんですかね? だとしたらどうしようもありません。いくら萌亜でも身長までは努力で変えられないんです。高くなるならともかくとして、小さくなるなんて余計にです。
それともあの頭の良さそうな感じが好きなんでしょうか? レムレ先輩は実際凄く頭が良いですし、そこに惹かれて? 今の脳天気な萌亜から秀才萌亜にクラスチェンジするには無理がありますね。でも見た目くらいならいけそうです。眼鏡でも掛けて理知的に……いえ萌亜眼鏡が似合わないんでした。いやでももっとオシャレな眼鏡を買えば……いえ先輩が白衣フェチという可能性もなきにしもあらずな気がしてきました。
「萌亜ちゃん? 頑張って難しい顔してるみたいだけど、どうしたの?」
「こうしてると常に考え事をしていて頭良さそうに見えませんか?」
「うんう。萌亜ちゃんってほんわかしてるから、考えてるように見せようとしてるみたいかな」
「そのままじゃないですか……ダメです。もうこの高校に入るために一生分の勉強をした萌亜にはこれ以上頭良くなるなんてできません」
どうしたものでしょうと首を捻っていると、不意に視界の中に【未確認キャラ】という表示が入ってきました。でもそれはよく見るまでもなく、眞友ちゃんの頭の上に出ています。
あっ、そうです。先輩を主人公に設定したままでした。萌亜から見たら【ズッ友】の眞友ちゃんも先輩から見たら違うんですね。でも【未確認キャラ】って、他の人たちは【シーン】ですし、もしや眞友ちゃんってこれから先輩の人生に関わるんですかね。それに未確認ですか。未登場とかじゃなくて。会ったことはあるけどまだ確りと認識はしていない、ってことでしょうか。
「そうです♪ ともちゃんも入りましょうよ♪ 神話研究会。楽しいですよ♪」
「でも、私もうクラシック音楽部入っちゃったし」
「兼部すればいいじゃないですか♪」
萌亜の頼みを断れない眞友ちゃんはちょっと困った顔になりながらも「じゃあ、今度見学に行こうかな」と言って了承してくれました。
眞友ちゃんがいればもっと楽しいに違いありません。
今日はクラシック音楽部の活動があるので来られないらしいですが、明日は神話研究会の面白いところを見せてなんとしても入会して貰いましょう。
あれ、でも萌亜なにか大切なことを忘れている気が?
「せ~んぱ~い♪ 愛しの美少女後輩が貴方のハートにときめきを届けにまいりました♪」
「分かったから会って早々に抱きつくなっ……!」
ほっぺをグイグイと平手で押されて引き剥がされた萌亜は、先輩の届けるはずのトキめきが自分の中だけでドギマギと煩いくらい音を立てていて、胸が痛いのでもう少し慣れるまで抱きつくのは控えようと決めました。先輩って本みたいな良い匂いです。
先輩は神話研究会の封印されし扉を慎重に開きいつも通り会室に入りましたがに、直ぐにあることに気付きました。
「今日はいないのか。エレン先輩」
あからさまにがっかりしているような先輩の態度には嫉妬を隠せませんが、レムレ先輩がいないということは今日この会室は先輩と萌亜の二人っきり。おお、なにかが起きそうな予感がします。
「べつに良いじゃないですか♪ 今日も張り切って活動しましょう♪」
「……そうだな。エレン先輩がいない日は1人じゃやることがなくて帰ってたが、もうお前がいるのか」
「そうです♪ 萌亜はいつでもせんぱいの後ろをついて回っているんです♪」
「隣とかじゃないのな……」
ストーカー気質がちょっと抜けきっていない萌亜に辟易したように半眼で見てきましたが、そんな視線にはもう慣れてしまったも萌亜は紅茶を入れるために電子ポットでお湯を沸かして、できあがると黒い革張りのソファで本を読み始めている先輩の隣にちょこんと座ります。
「今日のお菓子はこし餡のお団子ですか。なんか、紅茶飲んでて洋風なのに和菓子多くないですか?」
「うちには和菓子しかないんだよ。エレン先輩が持ってくるときはケーキだったりマドレーヌだったりするんだがな。文句言うならお前も持ってこい」
「いえいえ、美味しいから良いんですけど。ふぅ……苦いですね」
ティーカップに口を付けて呟くと、本を片手に優雅にカップを傾けている先輩の目がアホを見るようなものに変わりました。
「ならなんで自分の分も入れるんだ」
「萌亜紅茶もコーヒーも苦手なんです……でもせんぱいと同じの飲みたくて。せんぱいみたいに蜂蜜を入れてもまだ甘さが足りません」
「ならミルクティーにすればいいだろ。角砂糖は棚にあるし牛乳はそこに入ってるぞ」
「この部屋冷蔵庫まで付いてるんですか? 本棚の奥にあった高そうなシャンデリアといいどこからそんなお金が……」
「活動内容を曖昧にして実際は特に何もやらず、有り余る部費で内装を充実させているんだ」
「とんだ部費泥棒ですね神話研究会」
言いながら萌亜は金の食器棚の隣にこぢんまりとしたミニ冷蔵庫が設置されているのを見つけて、そこから誰が入れたのか牛乳を取り出します。メダルチョコレート入ってましたけど食べちゃダメですかね? みめいって名前書いてありますけど。元会員の方のでしょうか。
萌亜は紅茶を少し飲んで容量を空けてから牛乳と砂糖をたっぷりと投入します。これで飲めます。
「~♪ 甘いです♪」
「その牛乳賞味期限いつだったか」
「えっ……」
「冗談だ。一週間前買ったやつだよ」
「それ切れてますよ!」
まあでも味は問題なさそうですし……いけますね。
封も開いていなかったことだしと萌亜はミルクティーをそのまま飲み続けることにしました。
レムレ先輩がいないからといって神話研究会は特段変わることもなく、先輩は黙々と本を読んでいて、萌亜がそれを隣で眺めてニマニマするといういつもの風景です。レムレ先輩がいてもここに黙々と本を読む人が1人増えるだけなんですよね。
「そういえば、どうしてレムレ先輩はせんぱいのことをシンと呼ぶのでしょうか? 普通に名前が神夜からですかね?」
でもなにか、あの呼び方はニュアンスが違っているような。
「さあな。そうかもしれないが、エレン先輩は決して人のことを名前で呼ばないんだ」
「そうなんですか?」
「ああ。お前のことも朝日奈君って呼んでるだろ。エレン先輩は俺が知ってる範囲では、人をファミリーネーム以外で呼んだ試しがない」
「じゃあ、せんぱいが特別だから……とかですかね?」
そうなると先輩とレムレ先輩が相思相愛になってしまうので困ります。どうか違いますようにと願いながらも、萌亜はそう聞いてしまったのですが。
「それは分からないな。だがエレン先輩は最初から俺のことをシンと呼んでいた。で、初めてここで逢った時に言われた言葉があったんだ。君は太陽より輝く月のようだと。俺は苗字に月が入ってるが、何故太陽より輝くと言われたのか気になった。それで色々調べたんだが、古代メソポタミアの神に月と暦の神シンっていうのがいるんだ。古代メソポタミアでは月の満ち欠けが暦の基準だったこともあり、他の多くの神話体系と異なり太陽よりも月のほうが優位にあった。だから太陽より輝く月、太陽より月の地位が高い時代の神、シン神のことを言っていたんじゃないかと予想した。何故かは分からないが、それが俺のことをシンと呼ぶ理由なんだと思う。神夜の略称としてのシンではなく、月虹という苗字の愛称として、俺のことをシンと呼んでいる。それ以外こじつけでも答えは思いつかなかった。正解は教えてくれないがな」
「ふむふむふむ。よく分かりませんがちゃんとせんぱいが神話研究してることだけは分かりました。でも深く考えすぎじゃないですか? 名前の呼び方に神話的な関連を求めるなんて」
「エレン先輩の名前事態が神話的だけどな」
「そうなんですか?」
「知らないのか。Ellen(エレン)ってのは元はラテン語のHelena(ヘレナ)が転訛したものだ。そしてヘレナはギリシャ語のHelenē(ヘレネー)がラテン語化したもの。ヘレネーはギリシャ神話の中で地上で最も美しい、トロイア戦争の原因にもなった美女の名前だ。世界三大美女にも小野小町を抜いてクレオパトラ、楊貴妃、ヘレネーの3人ってこともあるくらいのな。まあ世界三大美女なんて日本でしか言われてないマイナーなものだが」
「そう説明されると凄い名前に思えてきました。……でトロイア戦争ってなんです? どことどこが戦ったんですか?」
「そんなことも知らないのかお前……。仕方ない、神話研究会会員として最低限の知識だ。暇だから教えてやる」
その後は部活の終わりを告げる終業のチャイムがなるまで永遠とギリシャ神話について聞かされました。話がどんどん飛躍していってトロイア戦争の始まりは遡り続ければペレウスとテティスの結婚がどうこうで結婚式に呼ばれなかった不和の神エリスの黄金の林檎がどうこうであれこれと、先輩は意外にお喋りで、物語を語るのが好きなのか面白おかしく色々な事を萌亜に教えてくれました。
語りの上手い先輩は吟遊詩人みたいで、正直話にはついて行けませんでしたが、意気揚々と語り続ける先輩を見ているだけで萌亜は幸せです。
会室の戸締まりをして(といっても鍵は大昔に紛失したままらしいので掛けませんが)、萌亜は下駄箱で待ってくれずに先に昇降口に行こうとする先輩を追いかけます。
「もうっ、可愛い後輩を待たないってどういうことですか!」
でも今日は追いつきました。毎日一緒に帰ろうとするのにいつも逃げられてきましたが、学習した萌亜はローファーではなくスニーカーを履いてきたのです。
「お前と一緒に帰るとそのまま家まで付いてきそうで嫌なんだよ」
「そんなことしませんって。せんぱいのお家には近いうちに上がるつもりですがまだご両親への挨拶を考えていないので♪ 結納の品も用意してませんからね♪」
「絶対に上げないと今決めた」
「えぇ~なんでですか~?」
深桜高校の校門を出ると直ぐに急な坂道があって、もう殆ど散ってしまっている桜の木が右側にだけ並んでいます。
桜坂を越えて、先輩と偶然逢ったあの公園を抜けると、不意にあの時にはもう自分のことを意識していたのか気になりました。でもそんなことより、萌亜には一緒に帰れたらやると決めていた重大なミッションがあるのです。
「そういえば、明日萌亜の友達が神話研究会を見学に来るんです♪ また会員が増えますね♪」「お前みたいな後輩が増えたら困るぞ」
「大丈夫です♪ ともちゃんはとっても優しくて良い子ですから♪ あと萌亜と違って静かですね」
「煩い自覚あるのか」
今です。この会話の流れから自然に、先輩の連絡先を聞くのです。
「それで、ですね……萌亜、今みたいにふと思い出すことがよくありまして。せんぱいが帰った後に大事な連絡とか思い出しちゃうかも知れませんし……互いに連絡できた方が良いというか……せんぱいのLINEを……えっと」
ああぁー! たじたじです! 自分でも思った以上に酷いです! ぜんぜん自然に聞けてません!
チラリと横目に先輩の反応を確認すると、そもそも萌亜の言葉を聞いていないのか先ほどと変わらずに温い目をしています。勇気を出して聞いたのにこの無反応はショックでしかないですが、これはこれで良かったかも知れません。今回は見送って連絡先を聞くのは家でもうちょっと練習してからにしましょう。
「せっ、せんぱい見てください♪ ネコちゃんですよネコちゃん♪」
なんとなく自分の中で居心地が悪くなった空気を振り払うために、適当に目に付いた小動物を話題にします。
また無反応は精神的に堪えるなと思っていたら、先輩も興味を持ったのか同じ方向を見てくれます。それで萌亜もよく見たら、黒に白い斑模様のモザイク見たいな珍しい毛色の猫でした。
「わあ、お前変な色ですね~」
近寄っても逃げていくどころか逆にすり寄ってきた猫に、萌亜は背中を撫でてあげます。でも気持ちよくないのか目をかっぴらいたままこっちを凝視してます。随分と目力の強い猫ちゃんですね。
「こいつ、やっぱり高校の近くに住んでるのか」
「知ってるんですか?」
「校庭で軽音部の連中が餌をやっていたのを何度か見たことがある」
「じゃあ深桜高校にも来てるんですね♪ 今度学校で見かけたら撫でてあげましょう♪」
相変わらずじっと萌亜と先輩を見つめてくる猫ちゃんをワシャワシャと撫でますが、まるで何もされていないかのような無反応です。なんですか、猫ちゃんまで萌亜に冷たいんですか。また無反応です。なんだか悲しくなってきました。
「お前、どこまで一緒なんだよ。家はどこだ」
猫ちゃんと別れてから暫くして、先輩がずっと後を付いてくる萌亜に尋ねました。
「さっきの角を右でしたね」
「やっぱり付いてくるのかよ……」
本当はもっと先輩と一緒に帰り道を共有したいですが、これ以上付いていくと嫌われてしまいそうなので諦めます。もう手遅れなきもしますが。
「うぅ……名残惜しいですけどさよならです。また明日ですね、せんぱい♪」
鏡の前で練習した最高に可愛い笑顔で別れの挨拶を済ませると、一つ前の分かれ道まで戻ろうときびすを返した萌亜でしたが、「おい」っと先輩の声と共に制服の襟を掴まれて無理矢理に停められます。
制服の第一ボタンは開けるタイプなのでダメージが少なくてすみましたが、当然引っ張られたせいで首がしまったので「ぐぇっ……!」と女の子が出しちゃいけないような声を出してしまいました。
「げほっげほっ! うぅ、なにするんですかせんぱいっ……!」
振り向くと同時に先輩に抗議の意を唱える萌亜でしたが、目の前に緑のケースに入ったスマートフォンが迫っているのを確認すると慌ててキャッチします。
「わわぁっ」
「ほら。勝手に登録しろ」
見ればスマートフォンの画面にはLINEのQRコードが出ていました。
「えっ、でもせんぱいなんで……」
「さっき言ってただろ。急になにか思い出すかもしれないだとか。まあ、なにか用があったら連絡しろ。スタレンとかするなよ」
自分のうなじを撫でるように触れながら目を逸らして言う先輩は、なんだか少し可愛く見えて。萌亜の話なんてぜんぜん興味ないみたいに見えましたけど、でも本当は萌亜の話をちゃんと聴いてくれていたことが嬉しくて。やっぱり好きだなぁと、そんな感情が自然に浮かんだ。
「ふふっ♪ せんぱい、アカウント名God Night(ゴツド・ナイト)なんですね♪」
でも萌亜も恥ずかしさを誤魔化すために、先輩をからかってしまいました。
「……やっぱなしだ。返せ」
「えぇ~、イヤです♪ せんぱいの連絡先は貰います♪」
取り上げられる前に萌亜はささっとお友達追加した後についでとばかりに電話番号とメールアドレスも登録しておきます。あとついでのついでに家電番号もメモです。あれ、先輩って登録されてる連絡先意外と多いですね。もっと家族だけとかかと思ってました。20近いです。萌亜は行きつけの美容室を除いたら家族とともちゃん以外入ってないので思いっきり負けてますね。というか、なんか連絡先の名前が変ですね? 英語が多いといいますか。
Evening(イヴニング)(兄)。Evening(妹)。Daytime(デイタイム)。Dusk(ダスク)。Not clear(ノツトクリア)。Twilight(トワイライト)。なんですかねこれ。ベイダーとかフェアリーゴッドマザーとかグランドベイダーはなんとなく親とかお祖父ちゃんなんだろうなって分かりますけど……というか先輩連絡先の名前付けが独特です。
流石にこれ以上見ていたら怒られると、萌亜は先輩にスマートフォンを返します。
「はい、お返しします♪」
先輩は「長かったな」などとぼやきながら何かされていないかとスマホを弄っていると、目元の筋肉をピクピクと痙攣させ始めました。
「おい、この連絡先に勝手に増えてる〝彼女(可愛い後輩)〟てのはなんだ……」
「きゃっ♪ もちろん萌亜のことですよ~♪」
「……ストーカー(ウザい後輩)」
「あぁっ、酷いです! せめて可愛い後輩のままにしてください!」
「はぁ…………後で変えとく。可愛いは付けないが」
「せんぱい、現実を直視してください。目の前の後輩は可愛いですよね♪」
「いや、ウザい」
「なぁっ……!」
なんて素直じゃない先輩でしょうか。萌亜が可愛くなかったらこの世界の顔面偏差値は大変なことになりますよ。
ですが萌亜はまだまだじゃなくなっただけで、まだ先輩を一目惚れさせるくらい可愛くなっていないんですね。日々精進しないとです。一目惚れというか、もう一目どころか週五で顔を合わせますけど、それはそれです。
「せんぱい、また明日です♪」
「……ああ。またな」
気恥ずかしそうに目を逸らしながらでしたが、それでも先輩にまた明日と言える現状と、確り帰ってきてくれる言葉が、萌亜は嬉しいのです。
[今日は2人で部活できて楽しかったですね♪]
[萌亜は毎日2人きりでもいいくらいです♪]
ピンク髪の女の子が可愛らしくウィンクしているスタンプを最後に送って、萌亜は記念すべき先輩と最初のLINEをニヤけながら眺めました。
ふわふわした生地のピンクと白のボーダー柄パジャマに着替えている萌亜は、壁に留めている紐に木製のクリップで付けられたチェキをベッドから見ます。
いつでも見られるようにとベッドの横に飾られているのは妹や眞友ちゃんと撮ったお気に入りの写真と、最近こっそりと学校で撮った、先輩の横顔。余白にはカラーペンで私の王子様と書かれていて、もう1枚の本を読んでいる先輩の写真には丸文字で運命の人と書かれています。
「くふふっ♪」
夢描いたものとは違っていますが、それでも先輩と過ごせている高校生活に自然と笑みが零れてしまって、概ね萌亜の高校生活はバラ色です。
「あっ、既読付きました♪ 意外と早かったですね♪」
あんまりスマホを見るタイプじゃなさそうですけど、意外とこまめにチェックしてるんですかね。
「~~~♪」
絶妙に音程の取れていない鼻歌を歌いながら、なんて返ってくるのかとうつ伏せで脚をぷらぷらさせて待っていましたが、3分くらい経って先輩が文字を打つのが遅いタイプという線が消えました。
「なんて返信するか迷ってるんですかね♪」
そうポジティブに受け止めましたが、10分経っても変化がなかったので、[せんぱーい?]と打ってみると、また直ぐに既読が付いて、でも返信はありませんでした。
「ちょっ、既読無視は酷いです! こうなったら意地でも返信させてやります!」
萌亜はお気に入りで萌亜似の女の子が泣いているスタンプを連打します。
スタンプ連打が三十は超えたかなというところで、着メロに設定している《可愛くなりたい》が流れて画面がGod Nightから着信が来ていますという表示に切り替わります。
「って、これせんぱい?!」
初日からはウザいかなと遠慮していた電話がきて驚きと嬉しさの入り交じった萌亜は慌てながら直ぐに応答を押します。
通話が始まってなんと言おうかと迷いながらも口を開いた萌亜が言葉を発するよりも先に先輩の声が聞こえて。
『……ブロックするぞ』
そして通話は切れました。
あまりのショックに暫く開けた口が閉まらず、そういえばスタレンするなと言われていたことを思い出した萌亜は必死に謝罪の言葉を口に出しながら打ちます。
「すいませんすいません! もうしないので許してください! ブロックだけはやめてください~!」
そんな萌亜の悲痛な願いは隣の部屋にいる妹に届いたのか、壁ドンと共に「お姉ちゃんうるさい」と抗議が来て、でもちゃんと先輩にも届いていてその後[謝りすぎだ]とお許しの返信が届くのでした。初めてのメールがこれなんて、やっぱり現実の高校生活は萌亜の理想とは違います。
今日は眞友ちゃんが見学に来る日です。楽しい部活だと思って貰えるように頑張らないとですね。
「あっ、昨日の猫ちゃんじゃないですか♪ なんです? また萌亜に撫でられたくて学校まで来ちゃったんですか♪」
ツンケンした真顔とは打って変わって身体をすり寄せてくる猫ちゃんに、萌亜は「ツンデレさんですね~」となでなでしてあげます。
「でももうすぐホームルームなので、萌亜行きますね」
手を離すと首を伸ばして手にすり付いてくる猫ちゃんに名残惜しさを感じつつも、萌亜は昇降口へ向かうのですが。
「ああもうっ。ダメですよ? 付いてきちゃ」
懐かれてしまったのか猫ちゃんは萌亜の後を付いてきてしまいます。
猫語を話せない萌亜では何度言っても猫ちゃんには伝わらないのか、とうとう下駄箱にまで来てしまいました。
「そうですね……校舎をうろつかれても困りますし。うーむです」
どう諦めて貰おうかと萌亜は足りないなりに頭を捻ります。ホームルームまで対した時間もないですし今から学校を出て何処かに置いてくるのは無理です。職員室に預ける、なんてダメでしょうね……。それでも名案、とは言えませんが妥協案くらいの案が閃きました。
「そうです♪」
萌亜は猫ちゃんを抱き上げると急いで地下へ降りていき、会室の扉を猫ちゃんを抱えながらに開けます。
「ここで待っていてくださいね? ソファ引っ掻いちゃダメですよ? あとコードもかじっちゃダメです」
猫ちゃんのことは放課後に考えてなんとかしようと、ちょっと先の自分に問題を丸投げした萌亜は急ぎ足で教師への階段を駆け上がっていくのでした。
六時限目の終わるチャイムが鳴り響くと、萌亜は早速教材をロッカーに突っ込んで眞友ちゃんのいる移動教室へと迎えに行きました。
生物室で当番なのかウーパールーパーに餌をあげていた眞友ちゃんを見つけて、萌亜は声を掛けます。
「ともちゃん♪ 行きましょう♪ 会室は地下です♪」
「会室? 部室じゃなくて?」
「神話研究会はこの高校唯一の研究会なのです♪ 詳しいことは先輩がたに聴いてください♪」
萌亜説明は下手ですからね。そういえば忘れてましたけど、猫ちゃんはどうなったのでしょうか。ちゃんと大人しく待ってますかね。食器とか割っちゃってたら萌亜が怒られるのでしょうか。
「うん。でも私、一回クラシック音楽部の方に行かないといけないから。萌亜ちゃんは先に行ってて」
「変なところにあるんですけど、場所分かりますか?」
「大丈夫だよ。東校舎の地下に降りて左側の突き当たりだよね?」
「あってます♪ じゃあ萌亜行ってるので、早く来てくださいね♪」
これで眞友ちゃんが神話研究会に入れば放課後も一緒ですね。高校に入ってから先輩を追いかけるのに夢中でぜんぜん遊べてませんでしたけど、一緒の部活に入れば解決です。まあ研究会ですけど。
会室の前まで来ると猫の鳴き声が聞こえて、同時に微かに先輩の声も聞こえました。
もう来てるんですね。先輩、会室に急に猫がいて驚いているでしょうか。どこからか迷い込んだと勘違いしているかも知れませんね。犯人は萌亜です。
萌亜がるんるん顔で会室の扉を開けると、そこには。
「せんぱ~い♪ 猫ちゃんがいてビックリしまし……って何してるんですかぁ?!」
テーブルの上に置かれた透明なガラスの瓶にぎゅうぎゅうに詰められている猫ちゃんを観察している先輩がいました。
瓶は同じものが二つあって、そのうちの一つに猫ちゃんが詰まっています。
「猫鍋やりたいんですかせんぱい?! でも瓶は可哀想です窮屈そうですよ!」
「実験しているだけだ。猫が液体かどうかな」
「どう見ても固体ですよ!」
なんなんでしょうかいったい。ちょっと思考がアブノーマルな先輩だとは思っていましたが、先輩には猫ちゃんが水にでも見えているのでしょうか。
「なんだ、知らないのか萌亜。2017年のイグノーベル賞だ。フランスの研究者マーク・アントワン・ファルダンによれば、猫は流動学(レオロジー)的には固体であり液体だ」
そう言いながら先輩は猫ちゃんの入った瓶を持つと傾け、もう片方の何も入っていない瓶に猫ちゃんを移し替えます。すると猫ちゃんは本当に液体のようにするりと瓶の中に吸い込まれていって、身動きが出来ないくらいピッタリと瓶に収まってしまいました。
「見ての通りだが、猫は容器に合わせて形を変えながら、一定の密度を保っている。まあ粒子が互いの位置関係を拘束して自由に移動できていないから、液相にあるとは言えないがな。正確に言うなら猫は流体、か」
「そんなもう知ってることの為に猫ちゃんで実験しないでください! ああ猫ちゃん!」
萌亜が駆けよって猫ちゃんを救出しようとすると、先輩はその前に猫ちゃんを瓶から出してテーブルの上に置きました。
「そうだな。思考実験でもないが、何故か会室に猫がいたから試したくなっただけだ。昨日見た猫に見えるが、どこから迷い込んだんだかな」
「あっ、それ連れてきたの萌亜です」
「今度同じことしたらお前と一緒に段ボールに入れて捨てるぞ。小動物は喧しいピンク髪だけで充分だ」
小動物認定されていることには複雑な心境になりましたが、まあ小動物って可愛いですよねとポジティブに受け入れておきます。
眞友ちゃんが来る前にさっさと猫を校庭にでも置いてこようと猫ちゃんを抱っこしようとしますが、何かを思いついた様子の先輩に止められます。
「萌亜。冷蔵庫に入っているバターを取ってくれ。あと棚にサンドイッチを作る用の食パンがあるからそれもだ」
「なんでです?」
疑問に思いながらも、萌亜は小型冷蔵庫からバターの履いた容器を取り出して、あと食器棚の隣に置かれているお菓子などが入った棚から食パンの袋を出して先輩に手渡します。
「思考実験実験だ」
そう言うと先輩はティースプーンを使って食パンにバターを塗り始めます。意味が分かりませんでしたが先輩がやることなので理解できなくても萌亜悪くないと、バターを塗られた食パンを紐で背中に巻き付けられていることを嫌がっている猫ちゃんは助けずに見守ることにします。……食べたりしませんよね?
「3メートル以上だとダメだが……2メートル50もあればいいか……」
先輩はなにか考え事をしているのかバターを塗る終えた猫を見てそう呟き、上履きも脱がずにテーブルの上に乗りました。そして脚を持って逆さした猫を持つ手を万歳するように高く上げて――手を離しました。
「って、うにゃぁぁぁぁぁああぁぁぁ!!!??」
そのまま背中から落ちていく猫ちゃんを萌亜は猫みたいな声を上げながら間一髪床に激突する前に受け止めます。猫ちゃんならあのくらいの高さ普通に着地できたような気もしますが、それでも助けられてよかったです。
うぅ……背中からキャッチしたので手にバターが……。
「なんですかせんぱい動物虐待ですか!? あと食パン無駄になるところでしたよ!」
「猫捻り問題と落としたトーストの法則を組み合わせたバター猫のパラドクスだ。なんだ知らないのか」
「その知ってるのが当然みたいな顔やめましょう! 知ってるせんぱいの方が少数派ですからね!」
これも何かの思考実験なのでしょうが、鳥さんを粉々にしたり猫ちゃん落としたりとろくなもんじゃありませんね思考実験。
「反重力が発生するか試したんだ。お前のせいで分からなかったがな」
「こんな実験する前にまず現実的にものを考えましょうよ!」
「全ては実行しなければ判明しない。仮説を立て実験を繰り返した先にある統計こそが現実だ」
「うぐっ……なんかぽいこと言ってます。……でもこれ絶対萌亜の方が正しいです」
ああダメです。萌亜には先輩が理解不能すぎます。でもそんなおかしなミステリアスさもなんだか素敵です……もう先輩が何しても好きが増えるだけですね萌亜。
「だいたいなんなんですかバター猫って……うぅ、バター気持ち悪いです」
「猫はどんな体勢で落としても常に脚を下にして着地する。そして、バターを塗ったトーストも落とせばバターを塗った面が下になって落ちる。なら、猫の背中にバターを塗ったトーストをくくりつけたらどうなる。どちらが下になって落ちようともどちらかの理論が否定されるが、仮に双方の規則が正しければ面白いことになる。例えば、そもそも床に落ちずに床から少し上で浮くとかな。学者達は鬱陶しい動物愛護団体のせいで実験できないが、思考実験実験部は止められん」
「誰かこの人止めてください……」
ウェットティッシュで手のバターを拭き取りながら先輩にジト目を向けます。だって表示が【マッドソォートエクスペェラマンティスト(mad thought experimentist)】とかいうよく分からないものになってるんですもん。この能力たまに萌亜の知らない英語使うからむかつきます。あっ、【狂った思考実験者】になりました。和訳できるなら最初からそうしてくださいよ。
そんなちょっと危険な表示を出している先輩は可愛い後輩の視線など一切気にしていないようで、その暖かみのない目はじっと猫ちゃんへ向けられていました。
「せっかく猫がいるんだ。この機会に猫が必要な思考実験は全て試しておく」
「な、何する気ですか!?」
「別に死にはしない。虐待かどうかは、意見が分かれるところだろうが……」
また良からぬ事を思いついたのか、薄く口角を吊り上げた先輩は萌亜に迫ってきます。
いつもなら逆に自分から抱きつくくらいウェルカムですが、今の萌亜には守らないといけない小さな命がこの両腕の中にいます。猫ちゃんが先輩の手中に収まったらどうなってしまうか見当も付きませんし、絶対渡しちゃいけません。
「も、萌亜この子返してきますね!」
さっさとこの会室から出してあげようと、急いで扉の方へと向かおうとする萌亜でしたが、先輩にがっちりと右肩を掴まれます。
「待て。まだこいつをランダムで致死量の青酸ガスを発生させる箱の中に閉じ込めていない」
「殺す気じゃないですか!?」
「仮に死んだとしても平行世界では生きている」
「こっちで死んでたらダメですよ!」
「俺は廊下に出ているから猫が死んだかどうかの箱の確認はお前がしろ。ウィグナーの友人にしてやろう」
「萌亜誰のお友達になるんですか?!」
だ、ダメです。萌亜ではこの猫ちゃんを先輩の魔の手から救い出すのは無理かも知れません。だって先輩握力が凄く強いんです。肩が痛いです。
萌亜がこんなに頑張って守ってあげようとしていうるというのに、腕の中の猫ちゃんは危機感がないのか欠伸しています。更には抱き方がお気に召さないのか腕を引っ掻いてきました。なんですかそんなに青酸ガス吸いたいんですか。
「そ、そんなに猫ちゃんが欲しいなら……」
もうこんな猫上げてしまおうかなとも考えてから、また萌亜は解決しているかどうか分からないような案を閃きます。
「も、萌亜が猫になります! にゃ、にゃーんです!」
猫ちゃんを手放してから、両手を顔の前に持ってきて猫の手真似をします。
「…………」
先輩は当然の反応というか、何してんだこいつ、とでも言いたげな表情になりました。
「何してんだお前……」
言わなくても分かっていたので言わないでください……。表示も【アホを見ている者】に変わりました。そのアホって萌亜のことでしょうかね……萌亜のことでしょうね。
恥ずかし過ぎて猫ポーズのまま固まってしまった萌亜は、羞恥心で身悶える前に横目で廊下の方へと逃げていった猫ちゃんの安全を確認すると、もう大丈夫かと真っ赤になった顔を両手で隠してソファにダイブしようとしましたが。
「うにゅっ……!」
顔を隠す前に先輩に両手で頬を挟まれました。
「猫、か……」
「そ、そうですにゃ……」
本を読んでいるときのような怜悧な眼差しに、萌亜は思わず言葉通り猫を演じてしまいます。まあ語尾にニャをつけただけですけど。
あれ? これってもしかしなくても萌亜が猫認定された場合、青酸ガスが出るかもしれない箱の中に入れられるのは萌亜? おおう……猫ちゃんは助けられましたが今度は代わりに萌亜がピンチです。ああでも先輩の手、意外と熱いくらい暖かいです……あと萌亜いつまで猫ちゃんポーズ続ければ良いのでしょうか。
「知っているか。猫はイスラム教では真のペットと呼ばれていて敬愛されているんだ。なんでも開祖のムハンマドが猫好きだったかららしい。俺は別にムスリムじゃないし猫好きでもなければどちらかというと犬派だが……愛玩用動物と言われるだけあって思わず撫でたくなるような魅力がある」
「な、なるほどですにゃ」
つまり猫が好きだと言うことでしょうか?
回りくどいことをいらない知識もおまけして言う先輩の言葉の意味がイマイチ理解しきれない萌亜は、先輩の手が頬から上がっていって頭の上に置かれたことにより思考が真っ白になります。
「はぇ……?」
「お前、髪質柔らかいな……このピンク髪のせいか」
髪型を崩そうとしているのかというくらいお構いなしにわしゃわしゃと撫でてくる先輩は、本当に萌亜を猫とでも思っているみたいで、ソファに座ると同じように目の前に座った萌亜に手のひらを見せてきました。
「? にゃ」
お手ですかね? と一応猫の手にした右手を乗っけてみると、よく出来たと言わんばかりに喉を撫でられました。
「にゃう~♪」
ああ、なんということでしょう。先輩に、撫でて貰えています! なんか思ってたのと違いますけど、まあ細かいことはどうでもいいのです。先輩から萌亜に触れてくれるなんて、大雑把なことだろうとどうでもいいくらいです。
「にゃ~♪ にゃ~♪」
嬉しくなった萌亜は更に猫っぽく頭の上の耳を撫でる仕草をしてみたり勢いに任せて先輩の膝に乗っかってみたりと、普段は怒られるようなことに旺盛にチャレンジしました。
するとどうでしょう。先輩が、膝に乗った萌亜をどかしません! それどころか少し驚いている様子ですが変わらず髪を撫でてくれています! ね、猫強いです。こんなことなら萌亜猫ちゃんに生まれてくればよかったです。
「にゃ~ん♪ にゃ~♪ にゃうにゃ~♪」
だんだんと猫なで声も出るようになってきて、思い切って先輩の胸元に頭をこすりつけたり匂いをかいでみたり。
「ごろごろ~♪」
ああ、幸せです。今からでも死んで猫に生まれ変われないでしょうか。当然先輩に飼って貰って可愛がられるような運命の猫ちゃんに。先輩がご主人様なんて……萌亜かまちょな猫ちゃんになってしまいます。
なんてことを妄想していたからでしょうか。それとも猫の真似が堂には入りすぎていたからなのか。
せ、先輩の表示が……【ご主人様】に!
慌てて先輩を主人公に設定し直して自分の頭上を見れば【サブヒロイン】ではなく【愛玩用動物】と表示されていて、萌亜は表示的に人間ですらなくなってしまいました。いえ、人も動物ですよね。愛玩用人間……とっても背徳的な響きです……。
でも、でも……萌亜今が人生で一番幸せです。もうこのまま先輩のペットでも良いんじゃないでしょうか? ペットでもご飯作って家事こなして先輩のこと待っていたらそれはもうお嫁さんと変わりませんよね? 家に来る女がいたら猫パンチで撃退します。
「にゃう~♪ にゃ~♪」
「おい、これいつまで……」
密着しすぎてちょっと激しくなっている先輩の鼓動が聞こえてきたところで、会室の扉が普段のはってある紙などを剥がさないようにそっと開けるのと比べれば勢いよく開いて。
「遅くなってごめんね。ちょっと話し込んじゃって。それで萌亜ちゃん、凄い扉だけどこの研究会って……」
「にゃ~♪ にゃ~♪ にゃにゃ~♪」
「も、萌亜ちゃん?」
「にゃ~♪ にゃ~、にゃっ…………と、ともちゃん?」
先輩が気まずそうな顔で肩を叩いてきたので扉の方を向けば、そこには困り顔の眞友ちゃんが顔を赤くして立っていて、ようやく自分の現状を客観視した萌亜は眞友ちゃんに楽勝で勝てるくらい顔を真っ赤に染めました。
「そ、そういう部活、なの……? えっと……でも、月虹先輩と仲良くなれてて良かったね。じゃあ、私はお邪魔みたいだし、その……プレイの続き? してて」
もの凄い誤解をしたらしい眞友ちゃんが扉を閉めようとしたので、萌亜を先輩の膝から降りて、は勿体ないのでその場で手を伸ばして止めます。
「ちちちち違います! 違うんですともちゃん! これはそういうのじゃなくてですね!」
「おい、いつまで乗ってるんだ。降りろ、軽い」
「じゃあ乗ってて良いじゃないですか!?」
「お前とくっつくと熱い」
「あ、ほんとです。先輩って萌亜といっしょで体温高めなんですね」
「体温計で測るとそうでもないんだがな」
困惑顔の眞友ちゃんを残したまま雑談を始めてしまった萌亜たちを、眞友ちゃんはその表情を苦笑いに変えて頬を掻きます。
「その……心配する必要なかったくらい仲いいね。萌亜ちゃん」
「そうですか? そう見えます? せんぱいせんぱい♪ 萌亜とせんぱいはお似合いに見えるみたいですよ♪」
「どんな都合の良い耳してたらそうなるんだ……」
眞友ちゃんにも先輩にも呆れた顔をさせた萌亜は、とうとう突っぱねられて膝から下ろされてしまったので仕方なく眞友ちゃんの紹介のためにソファから離れます。
「せんぱい♪ こちらが昨日話したともちゃんです♪ 萌亜の親友で、頭が良くて性格も良くて顔も良い、とっても頼りになる優等生なんですよ♪」
綺麗なオレンジブラウンのミディアムヘアで萌亜と違って平均的な背丈の眞友ちゃんはその几帳面な性格が現れているように確りと第一ボタンまで閉めてリボンをしていて、スカートの丈も萌亜より数センチ長めです。でも少し垂れ目なのと大きめな胸も相まって、ほんわりとした優しい印象を与えてくれます。
そんな自分にも負けず劣らずの美少女の背中を押して前に出して、萌亜は我がことのように胸を張って紹介しました。
「お前が頼りないから丁度良い組み合わせだな」
「むぅ、そんなことないですよ。ねえともちゃん」
先輩の心ない一言を否定して、萌亜は眞友ちゃんにも同調してもらおうとします。
「うん。そうだね。萌亜ちゃんは1人にすると不安になるくらい困った子だし、直ぐに人に頼るところがあるから頼りにはならないかな」
「あってますけどここはフォローしてくださいよ!?」
嘘を付けない眞友ちゃんらしいですけど。
「お前、友達ともそんな調子なのか」
「萌亜は人によって態度は変えないんです♪」
常時こんな感じですと宣言すると、先輩は半眼でぼそりと言います。
「お前、友達少ないだろ」
「えっ……な、なんで分かるんです?」
「自意識の過剰なやつって、仲の良い友達が極端に少ないんだよな」
「もっ、萌亜お友達は少数精鋭派なんです!」
「え? 萌亜ちゃんの友達って私以外いるの?」
「……萌亜友達は人生で1人いれば充分派なんです」
さっきから眞友ちゃんの言葉が地味に酷いですね。まあ事実なので仕方ないですけど。
「陽キャみたいな喧しい性格のくせい準ボッチなんだなお前」
「いいんですよ1人いれば! それにせんぱいなんて友達いなさそうですよ!」
「俺はいる。恐らく7人な」
「な、なんですと! おっ、多いです……」
「7人って多いかな?」
友達は数ではなく質だと信じている萌亜ですが、先輩みたいな人と友達でいられるということはその7人とはそこそこ質の高い友情があるはずです。先輩のことは大好きですけど、猫の背中にバターを塗った食パン括り付けた落とすような人に友達の数で負けるなんて悔しいです。
「いや、お前を入れたら8人か……」
落ち込んで俯いた萌亜の耳にそんな呟きが入ってきて、ばっと勢いよく顔を上げるます。
「せ、せんぱい……」
萌亜に見つめられると目を逸らしてからそっぽを向いてしまった先輩に、そんなことを思っていてくれたなんてと嬉しかったのですが。
「でも萌亜友達は嫌です。どうせなら恋人にしてください♪」
「……やはり7人だったか」
「恋人にしてくれるってことですか?!」
「友達から除外ってことだ」
頭が痛そうに片手を額に添える先輩は、「話が逸れたな」と呟いてソファの肘掛けに頬杖を付いて眞友ちゃんの方へと視線を向けました。
あれ、やっぱりです。萌亜、なにかを忘れているような気がします。この状況にさせてはいけなかったような、そんな気がしてなりません。
「お久しぶりですね、月虹先輩。知ってるとは思いますけど、夕ヶ御(ゆうがみ)眞友(まとも)です」
「ああ、知っている。初めましてでもないが、確り話すのは初めて……いや、二回目か」
「ふふっ。そうですね。でも、私は月虹先輩について少しは知っていますよ? 話は萌亜ちゃんとお姉ちゃんから沢山聴いてますから」
以前から互いを認識していたかのような会話に、萌亜はついて行けず頭の上にハテナマークでも浮かんでいそうな当惑とした表情になります。
「まっ待ってください。眞遊(まゆう)さんとせんぱいってどういう関係なんですか?」
萌亜が眞友ちゃんのお姉さんの名前を出して尋ねると。
「クラスメートだ。まあ、よく話すからな……友達ってやつじゃないのか」
先輩は知れっとそんな驚きの事実を口にしました。会話からそうだろうなとは分かっていましたが、いざ聴くと驚きを隠せません。眞友ちゃんがこの学校を選んだ理由はお姉ちゃんと同じ学校に行くためだと聞いていたので、お姉ちゃんが同じ学校に通っているのは知っていましたけど、まさか先輩と関わりがあるなんて。しかも友達ですか。
いえ、思い返してみれば眞友ちゃんって先輩の情報を色々知ってましたね。どうりでこの高校に進学したのかも知っているはずです。お姉ちゃんが友達で同じ高校に進んだからだったんですね。
「お姉ちゃんも萌亜ちゃんも、とっても楽しそうに月虹先輩のことを話すので。いつかちゃんとお話ししてみたなって思ってました」
そう話す眞友ちゃんは、なんだかほんのりと顔が赤くて、先輩を見つめる瞳はどこか潤んでいるように見えます。
萌亜には分かります。なにせ自分がそうなんですから。あれは、あの目は……恋する女の子の目です。
自分でも瞳孔が開くのが分かるくらい驚いているのに、でもどこか、それに納得している自分もいました。
無意識に気付かないようにしていたのかも知れません。でも先輩を主人公に設定したままだった萌亜の目には、【サブヒロイン】という表示が見えているのです。眞友ちゃんもまた、先輩に恋するヒロインの1人だという事実が。
まだヒロインではなく萌亜と同じサブヒロインなのが救いですが、そうでした。今思い出しましたが、萌亜は最初眞友ちゃんと先輩が出逢わないことを願っていたのです。眞友ちゃんはずっと可愛くて、萌亜なんて敵わないって思っていたから。
でもこうなってしまったからには、戦うしかありません。レムレ先輩のいる今までと変わらないんです。誰よりも可愛くなって、先に先輩を惚れさせれば勝ちなんです!
負けませんよ眞友ちゃん!
……あれ、でもこれ友情崩れたりしませんよね? 萌亜、眞友ちゃんと友達じゃなくなるなんて絶対嫌です。
なので恐る恐る主人公を自分に戻して表示を確認してみると。
【親友】
変わらないそれを見てほっとして、思わず胸をなで下ろしてしまいました。良かったです。そうですよね。眞友ちゃんは萌亜のエターナルフレンドなんです。
でもサブヒロインをヒロインと見間違えたことのある自分の目を信用できずに、本当にそうだろうかと、もう一度見直してみたら。やはり今までとは少し違っていて。
【親友(ライバル)】
ルビが付いていることに気付いたのでした。
って、なんですか親友と書いてライバルって! そんな少年漫画みたいなルビいらないですよ!!
ああやっぱり同じ人を好きなんて嫌です! なんでよりによって先輩を好きになるんですか眞友ちゃん! こんなに素敵な人他にいませんけど普通に見たら性格の悪くて意地悪な変人ですからね!
だいたいサブヒロインが3人ってなんですかもう! 先輩のたらし~!
思いがけず親友と想い人取り合うことになった萌亜は、眞友ちゃんを睨むことも出来ずそう心の中で叫ぶのでした。
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