前日譚、side神木零次 3敵しかいない……?

慣れた手つきで紅茶を入れる青年を見て、神木はその落ち着き具合がどうも気になった。自分も大概だが、ここにいる人間は皆精神をやられてしまっているのだろうか。


「紅茶にはリラックス効果がある。慣れない環境で大変だろうが、いったん休むといいと思うよ」


 青年は優しい笑みを浮かべている。出された紅茶を一口飲んでから、神木は話し始めた。


「なあ、あんたはこの場所に来てから、化け物を見たか?」


 青年は顎に手を当てて、少し考えるそぶりをしてから答えた。


「……化け物ね、化け物って言うのは、人間が、自分たちの姿かたちからは大きく外れた『理解できないもの』を見た時に使う呼称だね。人間が人間に対して使うこともある。その場合は差別用語になったり、賞賛の言葉になったりもする」


「はあ」


「でも、化け物からしたら案外、人間の方が化け物じみているものだ。人間は一目で、理解することを諦めるんだよ。化け物をね。そしてその後化け物は、迫害されるか恐怖されるだけだ。化け物に対して理解するのを放棄するのは、化け物に理解されるのを放棄することにもなる」


 つまり、と青年は言葉を続けた。


「案外、化け物は近くにいるのかもしれないね」


 青年は、紅茶には一度も口をつけずにそこまで話し切ると、神木の方を見てにっこり笑った。


「申し遅れたが、私はハルトという者だ。止めるに人と書いて止人と読む。よろしく」


「……俺は神木零次、って言うらしい。正直、記憶が無くて、自分のこともよく分かっていない。この場所から出るために、今は情報を集めている。何か知っていたら協力してほしい。それこそ、一階にいる化け物のこととか」


 へえ、と青年は目を丸くして、ぽつりとつぶやいた。


「この場所から出る、か。僕は、考えたこともなかったね」


 それを聞いて、神木は不審そうに止人の顔を見た。止人はまた、にっこりと笑って、言った。


「じゃあ、これからよろしくね……実験体くん!」


 神木の腕が破裂しそうなほどに膨れ上がった。次いで足、腹と筋肉が肥大化してゆく。


「ええ、お前! もしかして、紅茶に何か」


「EXACTLY!」


 膨張は止まる兆しがない。メキメキと嫌な音がする。顔が肉に埋もれる。呼吸ができない。


「……あれ、普通ならもっと、激痛で泣き叫ぶとかするはずなんだけどね。君、もしかして」


 止人の顔が近づいて来る。


「痛覚が、無い?」


 その瞬間、意識が飛んだ。



 目が覚めた。四メートル四方ほどの暗い部屋だった。間違いなく、前と同じ部屋だ。神木は、呼吸を落ち着かせてから、状況を整理した。


 一階には化け物、二階にはサイコパス。最悪だ。


 どうやらあの止人と言う青年には、よく分からない薬を作る能力があるらしかった。自分はその実験体にされた、ということだろうか。


「……これからはどんな人間が来ても、味方だとは思わない方がよさそうだ」


 神木は大きくため息を吐いた。とにかく、あいつ等に見つからないようにしなければ。


「さて、行くか」


 色々なものを見過ぎたことで頭が混乱しているのだろうか。不思議と疲れは感じなかった。


 神木はドアを抜け、暗い廊下を歩きだす。一つ、確かめてみたいことがあった。


「俺が何かしらの方法で死ぬと、部屋に戻される。既によく分からないことが起きているけど、いったん無視。問題は、空間的にあの場所に戻されているのか、それとも、時間自体が巻き戻っているのか」


 そのような突拍子もないことを考えたことは、これまではなかった気がする。生きるのに精一杯だったから……


「生きるのに……精一杯……?」


 そうだっただろうか。この場所に来る前は、


「いや、今そんなことはどうでもいい」


 神木は、無駄な思考を振り払った。問題の答えを確かめる方法は2つだ。


 一つ目は、さっきの青年のもとに行く方法。青年の話を聞いて、さっきの青年が自分の名前や、さっき話したことを覚えていたら、ただ自分はあの部屋で生き返っただけ、ということになる。


 二つ目は一階の化け物のところへ行く方法。確かめる手順は青年の方と同じだ。


 三つ目は、可能性は低いが、一階の化け物と出会わずに、自分が逃げ込んだクローゼットのある部屋へ行く方法。クローゼットの状態さえわかれば、確認できる。


「……三つ目だな」


 極力死ぬ回数は抑えた方がいい。最初の部屋から歩いていく時間がもったいない。それに正直、サイコパスの青年の話をもう一度聞く可能性があるのは面倒だ。自分が仮に化け物にもう一度出くわしてたとしても、多分すぐ食ってくれる。うん、問題ない。これで行こう。


 これで三度目になる竜らしき絵画の脇を曲がり、広い階段に出た。降りて行こうとして足をかけたその時、階段の下に白いワンピースの少女が見えた。少女は神木に気付き、口を開いた。


(さあ、第一声、何と言うんだ?)


「お兄さん、」


 化け物の姿にならず、一回目と同じような台詞を言ったことを確認すると、神木は、階段の手すりによじ登り、階段脇のスペースに飛び降りた。足をねん挫したような気がするが、全く気にせずにクローゼットの部屋を目指して走り出す。


「後はあの部屋を確かめれば完璧だ!」


「待って! お兄さん」


 背後から声がした。振り返ると化け物は、追ってきてはいなかった。神木の目を見て、佇んでいる。


「あの……さっきのことは、謝るから」


 少女は言った。


「私、何で自分がここにいるのか、分からない。お兄さん」


 少女はまっすぐな瞳で神木を見て、続けた。


「私がここを、脱出するの、協力してほしい。お願い」

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