その1の2



「おまえが言うか?」



「何です?」



「いいや」



 ジムは諦めたふうにそう言うと、ポケットから平べったい箱を取り出した。



 それは遠話箱という魔導器で、遠距離通信のための道具だ。



「ナタリー。状況は?」



 ジムは遠話箱を使い、仲間に呼びかけた。



「ターゲットは黒いサーベル猫に乗って


 西側の大通りを北へと逃走中。


 かなり速いです。


 もたもたしてると逃げられますよ」



 遠話箱からは、女性の声が返ってきた。



 彼女の名は、ナタリー=パルヴァー。



 カイムたちと同じ組織に所属する同僚だ。



 今回の彼女の任務は、周囲の建物に潜伏してアパートを監視することだ。



 ちょくせつ荒事に参加することは無い。



 これからが仕事なジムたちに対して、どこか距離感の有る口調だった。



「了解」



 ジムは素早く猫車から出た。



 それとほぼ同時に、カイムも猫車から出た。



 ジムが空席になっている御者台に向かおうとすると、カイムがそれを咎めた。



「何やってるんですか。走りますよ」



 カイムはそう言って、強く地面を蹴った。



 普通なら、走って猫に追いつくなど不可能だ。



 だがカイムは普通の人間では無い。



 ハースト共和国のトップエージェントだ。



 研ぎ澄まされたその身体能力は、猫にも劣らない。



 霊長類の誇りと言われるパタスモンキーですら彼らの前では白旗をあげるだろう。



 常人離れした速度で、カイムがジムから遠ざかっていく。



「分かったよ……!」



 このまま置いていかれるわけにはいかない。



 ジムは仕方なく地面を蹴った。



 彼の疾走は、先を行くカイムにも劣らなかった。



 走行中の猫車が、二人のスパイに追い抜かれた。



 猫車の御者が、呆然と二人を見送った。




 ……。




(黒いサーベル猫……!


 やっと尻尾が見えたな……!)



 疾走を続けたカイムの瞳に、猫の後ろ姿が映った。



 猫に跨るスーツ姿の男の姿も。



「かなり速い。良い猫だな」



 カイムの斜め後ろで、いつの間にか追いついてきていたジムが口を開いた。



「そうですね」



 カイムはジムに同意した。



 相手が普通の猫であれば、すぐに追いついてやるつもりでいた。



 それをここまでてこずらされるとは。



 どうやら相手の猫は、並のサーベル猫では無いようだった。



 走る猫の首には、紐つきの布袋がかけられていた。



 猫の走りに合わせてその袋は左右に揺れた。



 カイムは洗練された高速会話術でジムにこう尋ねた。



「……あいつ、どこに向かうつもりでしょうか?」



「エミリオって名前はアミルカ人のものだな。


 まあ、スパイの名前なんて信用できるもんじゃないが。


 何にせよ、走って国境まで逃げ切れるわけが無い。


 どこかで手札を切って


 俺たちをまこうとするだろう。


 だがあの逃げ方は、


 こっちをかく乱するんじゃなくて


 一直線って感じだな。


 切り札が有る場所にさえたどり着けば


 なんとかなるって逃げ方だ。


 つまり、あいつの目的地は近いはず。


 この先にはアイシクル運河が有る。ってことは……」



「「水路」」



「もうすぐ運河につきます。


 まずいですね」



「仕方ない。仕掛けるか……!」



 ジムは走りながら、懐に手を入れた。



 そしてそこから魔弾銃を取り出した。



 魔弾銃とは、魔石の力によって魔術を発射する兵器だ。



 平均的な魔弾銃の威力は、ハイレベルの魔術師には劣る。



 だが、魔術の適正が無くても容易に使用できるというのは、大きなメリットとなっている。



 魔弾銃は火薬銃に比べ、弾速では劣っている。



 だが総合的な評価から、火薬銃よりも好まれて普及していた。



 ジムは魔弾銃を構え、ターゲットであるエミリオ=バドリオへと照準を合わせた。



 そしてトリガーを引いた。



 魔弾銃の前方に、魔法陣が展開された。



 そこから氷の矢が出現し、エミリオへと向かった。



 だが……。



「にゃっ!?」



 悲鳴を上げたのは、エミリオでは無かった。



 氷の矢はエミリオの背中ではなく、サーベル猫の脚に突き刺さっていた。



「猫に当てるなんて……!?」



 カイムは外道を見る目をジムへと向けた。



「仕方ないだろ!?


 そう器用に狙えるかよ!?」


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