第8話 猛進

「はじめましてっ」

「こちらこそ、はじめましてっ」

「劇場公演のパフォーマンス見て、気になったから来てみたよ」

「わあ、そうなんですね。ありがとうございます」

「ところで、オレみたいなおっさんのファンってどうなの?」

「ぜんぜん、ウエルカム! 

 萌菜のファンの方は、おじさまがけっこういるし」

「へえ、そうなんだ。安心した」

「だから、また来てくださいね!」


「はじめましてっ」

「はじめまして、って昨日も会ったじゃん」

「なんか初心に返って言ってみたかったんだ。

 新規のファンもけっこう増えてるみたいだね」

「そうなの! うれしいよね」

「古参の俺も大事にしてくれよな」

「うん、もちろんだよ!」

「だったら、そろそろ俺と付き合ってくんねえ?」

「また、それえ?」

「俺、マジで、萌菜一本だから」

「ふうん。この前、杏奈ちゃんのレーンに並んでたよね?」

「げげっ、見てたの?」

「ウソつきは、萌菜、嫌いだから。一から出直してきて」

「は~い」

「じゃあ、またね~」


「こんにちはっ」

「こんにちはっ。あっ、なんか久しぶりじゃない?」

「え? 覚えててくれたの?」

「横浜のSEの方だよね?」

「おおっ、そうそう。うれしいなあ。

 最近、仕事が忙しすぎて、ぜんぜん会いに来れなかったんだ」

「そうなんだ。お仕事は落ち着いた?」

「うん、だいぶね」

「じゃあ、今日から握手会、復帰だね」

「うん、まあね。また来るよ」

「待ってるね」


 不特定多数の老若男女を相手にしながら、萌菜は瞬時に思考をフル稼働させて、会話をつなげていく。

 連日の仕事の疲労がたまりいくらか体調を崩していた萌菜だったが、数時間に及ぶ何百人との対話を高いテンションで維持し続けた。

 なんとか無事に乗り切れたと思ったその日の終了間際に、わりと印象に残った一人の男子高校生がいた。

 その学生は、一八〇㎝ はあろうかと思われる高身長にもかからず猫背でだるそうに萌菜の元に歩み寄り、左目は眼帯で覆われ、右腕を包帯で吊っていたのである。

 萌菜と向かい合ったその表情はひどく思いつめた様子で、必然的に左腕だけの握手をしながら、挨拶も抜きにこう切り出した。

「萌菜ちゃん。僕、イジメにあってるんだ…」

「え? そうなんだ…」

「萌菜ちゃんも経験あるんだよね?」

「うん、昔ね」

「もう、毎日がほんとに、つらくてつらくて… 

 そしたら、萌菜ちゃんにどうしても会いたくて…」

「そうなんだ、ありがとう」

「ねえ、僕、どうしたらいいんだろう?」

「そうだなあ。深く考えすぎないほうがいいんじゃない? 

 萌菜だって、今はぜんぜん気にしてないもん。

 毎日がんばってれば、きっといいことあるって」

「そ、そうだよね…」

「萌菜に会うのを楽しみにがんばってみて。また来てね」

「うん、また来る」

 そうは言ったものの、消え入りそうな小さな声と何かをあきらめたようなぎこちない笑みを残して、その少年は肩を落として歩み去っていく。

 萌菜はその姿に多少の気がかりを覚えたが、すぐに次の握手の相手が控えていた。

 萌菜はその少年から中年男性との会話に気持ちを切りかえた。

 そんなことがあって、三週間ほど経った頃、萌菜はテレビ局の楽屋でなにげなく一冊の週刊誌を手に取った。

 歌番組の収録の合間だった。

 パラパラとページをめくっていると、たまたま「壮絶なイジメを苦に、男子高校生が自殺」という記事の見出しと少年の上半身の写真が目に入った。

 無意識ではあったが、萌菜の指が止まる。

 自ら命を絶った少年の写真の眼は黒く塗りつぶされていたが、その左眼を隠しているであろう眼帯の紐と顔全体の印象。

 わたしは、この人を知っているような気がする。

 萌菜は写真をじっとみつめながら、記憶を過去へと辿っていく。

 もしかして、この前の握手会に来た人?

 萌菜はその写真から記事の内容に目を移した。

 身長は百八十三㎝に達しながら、いつも猫背で自信なさげだった。

 自殺の直前には、左目に眼帯をつけ、骨折した右腕を包帯で吊っていた。

 女性アイドルグループ「ファータ・フィオーレ」のファンだった…

 間違いない、萌菜が握手を交わしたあの少年だった。

 その記事を読んで以降、その日は何をしたのか萌菜はほとんど覚えていない。

 ただ、その後に収録したトークコーナーの出来が散々だったことは記憶に残っている。

 それからは、萌菜の脳裏から絶えずあの少年の姿が離れなくなっていった。

 わたしの言葉がきっかけで、彼は命を・・・ 

 そうなんだろうか? 

 あの少年のせっぱつまった目。

 わたしの返答を聞いたときのがっかりしたような表情と、何かに絶望したような投げやりで寂しげな微笑。

 悄然とした後ろ姿。

 やっぱり、わたしのせいなのかもしれない。

 あのときのわたしの口調に真剣さがこもっていなかったのかもしれない。

 励ますどころか、安易な言葉で彼をがっかりさせてしまったのかもしれない。

 でも、仕方がなかったのだ。

 握手会では、一日で何百人も相手にしている。

 ひとりひとりの言葉をいちいち真摯に受け止めていたら、それこそこちらの身が持たない。

 握手会は、アイドルとファンが一定の距離を保ちつつ、束の間の会話を楽しむ場。それが暗黙の了解ではないか。

 それに、ひどく疲れていたし、体調も悪かった。

 そう自分に言い聞かせているうちにも、別の思いが頭をもたげてくる。

 内心で、あの少年の暗くて重い話にうんざりする気持ちはなかっただろうか? 

 そのことが自分の態度に現れて、ぞんざいな対応になっていたんじゃないだろうか?

 イジメを見事に克服した、いわば「成功者」に、すがるような思いで最後に一縷の望みを抱いて会いに来てくれたのかもしれないのに…

 かつてつらい思いをした経験者として、なんら救いになる言葉をかけてあげることができなかった・・・

 萌菜は眠れなくなった。

 浅い眠りに落ちても、夢の中にあの少年が現れた。

 眼帯に覆われていない方の右目が陰気な光を宿し、萌菜を真正面からじっと恨むような目つきで見つめていた。

 公演でパフォーマンスをしていても、スタッフと打合せをしていても、プライベートでショッピングをしていても、いついかなるときでも、ふとした瞬間にその姿が脳裏をかすめる。

 その悪夢から逃れるために、萌菜はアイドルとしての活動にますますのめり込んでいった。

 睡眠時間はわずかだったが、疲労感はなく、不思議な昂揚感が続いた。

 SNSの発信回数をさらに増やし、メディアへの出演、劇場公演、握手会、すべてにおいて高いテンションを保ち続けた。

 マネージャーや家族、仲のいいメンバーは萌菜のから元気を見抜いて心配したが、萌菜は一切気を抜くことなくアイドルとしてひたすら走り続けた。

 その年の「全日本アイドル・クイーン・フェスティバル」では、ついに一桁の順位を記録。

 結果は五位だった。

 だが、萌菜に達成感は微塵もなかった。

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