第七話 薄珂と立珂

 風呂場だという場所へ案内されると、そこは妙な形状をしていた。

 湯の張ったいわゆる湯舟があるのだが、その中のあちこちが階段状になっている。


「これ風呂?」

「そうだよ。有翼人用の風呂」

「有翼人用? 普通じゃ駄目なのか?」

「駄目じゃないんだけど。これは見た方が良いね。ついでだし立珂もお風呂入るか」

「はあい!」


 立珂はぽいぽいっとあっという間に服を抜いだ。

 そのまま壁の階段を一段降りたが、羽だけは上の段に置いて水面から出している。


「羽出てていいのか?」

「羽を温めるのは止めた方が良いんだ。熱を逃がすのが大変だから」

「ああ、この段差は階段じゃなくて羽置きなのか」

「うん。で、上段には水を張ってやると羽だけ水洗いできる」


 薄珂は羽の上あたりにある蛇口を捻り水を出し、水に浸った羽を洗濯物のように洗っていく。確かにこれなら羽が温まる事はない。


「雛は抱っこしてあげないといけないから威龍が羽だけ持ち上げてあげればいいよ。大きくなったら段差を付けてあげると風呂に入りやすい」

「でも肩だけ冷えるだろ」

「冷えないんだ。有翼人は羽の熱を体内に逃がすから肩と背中はすごく温かい。全身を湯船に入れたら発熱で倒れるよ」

「えっ! そうなの⁉」

「うん。今までなかった?」

「隊商だったから風呂なんて入れなかったんだ。川の水浴びしかしてない」

「ああ、そうなんだ。基本的に温める必要はないよ。むしろ冷やす方法を考えておいた方が良い。氷の持ち歩きは限界があるからね」

「すずしー! きもちー!」


 立珂は嬉しそうにきゃあきゃあとはしゃいでいる。

 その度に湯船から湯がこぼれてくるが、触れた温度はとても温い。ちらりと見える立珂の背は白く滑らかで、汗疹も皮膚疾患も何も無い。

 きっと薄珂が気を付けて手入れをしてやっているのだろう。

 今までは風呂に入れずとも温めた布で雛の身体を拭いてやった事があり、あれは雛を苦しめていたのかと威龍は初めて知った。


「ごめんな、雛。何にも分かって無くて……」


 威龍は桶に水を汲み、薄珂の用意してくれた柔らかい布で雛の身体を拭いてやる。

 風呂を上がると薄珂は床にぺたりと座り、何故か衣を脱いで上半身裸になった。

 まさか今から一人で風呂に入るのかと思ったが、待ってましたとばかりに立珂が薄珂の腹に抱き着いた。


「……それはどういう体勢? 何してんの?」

「羽の水を切る体勢。有翼人は肌を合せるのが好きなんだ」

「ぎゅー!」

「ぎゅーだな」

「羽触ってやるのが良いんだっけ」

「そうそう。羽でも身体でも、こうしてくっつくのが良いんだよ。やってごらん」


 威龍は薄珂と同じ様に雛を正面に置いて抱き寄せた。すると雛はころりと威龍の腹に向かって寝返りを打ち、むにむにと頬をすり寄せて来る。

 必死に手を伸ばして威龍の肌を求め、指を掴ませてやるときゃっきゃと笑った。


「そうそう。それがいいよ。そのまま水切りして」

「水切り?」

「こうだよ」


 薄珂は立珂の羽に両手を差し込むと、わしゃわしゃと掻き回し始めた。水が飛び散り羽がどんどん乾いていく。


「わしゃわしゃだいすき! わしゃわしゃー!」

「なるほど。これがわしゃわしゃね」

「水分が残ってると皮膚がふやけて別の皮膚病になるからしっかり水切りして。生乾きの嫌な臭いが残ると体調も悪くなる。有翼人は匂いに敏感で体調に影響するんだ」

「う、うん。凄い詳しいな」

「立珂を育てて自然と分かったことだよ」

「育てた? 親は?」

「いない。俺達は二人だけなんだ。なー、立珂」

「うん! ぼくは薄珂にそだててもらったの!」


 立珂はぱあっと眩しい笑顔を見せ、ぎゅうぎゅうと薄珂に抱きつき頬ずりを繰り返した。薄珂も立珂の頭をぐりぐりして、それもとても幸せそうだ。


「仲良いな、お前ら」

「うん! 薄珂だいすき!」

「俺も立珂が大好きだ」


 二人がじゃれる姿はとても愛らしくて、威龍は腕の中の雛を見た。

 雛はすっかり落ち着いたようでうとうとと眠そうにしている。けれど威龍の指を力強く握ったままで、そっと頬ずりをしてみた。

 すると立珂のようにきゃあとはしゃぎ始め、ぎゅうっと顔にしがみ付いてくれる。


「雛……!」

「赤ちゃんかわいーね!」

「立珂のちっちゃい時思い出すなー」


 二人の兄はそれぞれ弟を抱きしめ、着替え終わったのは半刻ほど経った頃だった。


*


 風呂を上がると、哉珂はすっかり呆れ顔だった。肩肘をついてだらりと口を開けっぱなしにしている。


「どんだけ風呂入ってんだお前ら」

「だって立珂が可愛いんだ」

「雛がすごく喜んでたんだ」

「はいはい。それより威龍、ちょいこれ見てくれ」

「何?」


 大きなため息を吐きながら、哉珂はばさりと大きな紙を広げた。

 薄珂も一緒に覗き込むと、書かれているのは地図だった。この瀘蘭から華理あたりまでが記されている。


「あ、道調べるの? 華理は南に向かって大通りが一本あるよ」

「いや。あの化け物どこ行ったのかと思ってさ」

「化け物?」


 一瞬何を言われたのか分からず威龍は首を傾げた。

 少し考えたが、そもそも憂炎の隊商から離隊するのは華理の予定で、瀘蘭へ来たのは化け物の襲撃による異常事態が原因だったのだ。

 羽民教の異様な状況で忘れてしまっていたが、それは何も解決がされていない。


「忘れてた!」

「忘れんな。薄珂、化け物の噂あったか?」

「聞き込みしたけど無かった。妙な噂も無いよ」

「ふうん。何なんだろうな。人間が姿を変えるなら獣人しかないが」

「あんな変わり方ないよ。獣人は決まった獣にしかなれない」

「あれが生まれつきの形なのかもしれないぞ」

「じゃあ何の動物なんだよ」

「新種。まあ正体は一旦置いとくとして、俺が気になるのは行先だ。あの地点からここは北側だけど、来てないなら南へ行った可能性がある。憂炎達は華理行くから遭遇しそうだよな」

「……そうじゃん!」

「憂炎は獅子獣人だから大丈夫だろ。が、気にはなる。化け物も獅子っぽかったし」


 憂炎の隊商は半数以上が肉食獣人で、豹がいるので地上の偵察速度も速い。

 だが鳥獣人は威龍だけだった。憂炎は飛ぶ事を良しとしなかったが、緊急時の索敵はいつも威龍がやっていた。

 今まで通りの索敵ができる感覚でいたら、隊員が偵察を怠る可能性もある。

 あんな想像のつかない化け物相手に通常の索敵が有効かも分からない。

 それに衝撃や恐怖に支配されればいつも通りの戦闘陣形を取る事はできない。

 威龍はぐっと拳を強く握り立ち上がった。


「俺空から探して来る」

「無理だ。馬車だから相当遠くへ行ってる」

「探すのは化け物の方だよ。もし近くにいるなら手を打たないと」


 家族同然の彼らが心配じゃないわけではない。例え金のために利用されていたとしても、十八年間共に過ごしてきたのだ。

 それでも威龍は雛を選んだ。雛を守ると決めた以上、自分の身を危険に晒すわけにはいかない。

 威龍は衣を脱ごうとしたが、その手を薄珂が掴んで止めた。


「偵察なら俺が行く。鴉なら戦闘は得意じゃないだろ」

「そうだけど、お前だって危ないだろ」

「大丈夫だよ。象獣人倒したことあるから、俺」

「は?」

「立珂、留守番しててくれよ」

「はあい!」


 薄珂は服を脱ぎ棄てるとひゅっと窓から飛び立った。ちらりと見えただけだが爪はとても大きくて、その鋭さは見るだけでも冷や汗が出る。


「像って、嘘だろ。陸最強だぞ」

「薄珂はすーっごくあたまいいんだよ! すごいの!」

「え? 頭?」

「ありゃ作戦勝ちだ。戦闘は殴る蹴るだけじゃないんだよ」

「頭脳戦てこと?」


 獣人なら象獣人とやり合うことは絶対にしない。圧倒的な重量と強靭な皮膚、数が集まった彼らには絶対に叶わないのだ。

 だから象獣人は必ず身内で群れを作り、小さな国であればその数名だけで制圧することもある。

 それほど恐ろしい獣種で、それに勝つなんて威龍にしてみれば奇跡のような話だ。

 仮にそうだったとしても、危険があるかもしれない状況に一人だけ放り込むなんて立珂は嫌がりそうなものだ。

 けれど心配する様子も無く、変わらず元気に笑っている。

 威龍も偵察はしていたが、それでも憂炎に心配されて偵察をさせてもらえないこともある。それくらいには信用されていなかった。

 部屋の中を見回すと、豪華な装飾に数えきれないほどの商品。それに有翼人への深い造詣とそれを商品にできるだけの経営力。


(俺とは大違いだ。同じ鳥で同じ歳でこれほどにも)


 威龍には何も無かった。憂炎に騙されていたことに気付いたのは哉珂でここまで守ってくれたのも哉珂だ。雛の皮膚病にすら気付かなかった。

 雛を見るといつの間にか眠っていた。薄珂の教えてくれた通りに入浴を終え、立珂のくれた服を着てすやすやと気持ちよさそうに。

 この場に威龍が成したものは何一つ無かった。

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