「第1章 灰色のフィルターがかかったような毎日」 (4-1)

(4-1)


 だが、一度ソウとDMを交わすとまるでそれまでしていなかったのが、嘘のように日向は彼とDMをしていた。

 この間までの変化を恐れていた自分は、一体どこに行ってしまったのか。あの夜に今までと変わらない生活を続ける決意した事は、翌日にDMが届いた事でいとも簡単に崩れてしまった。


 回数制限があるとは言っても時間を選ばずやり取りが出来る。それは日常をひどく退屈に感じていた日向にとって、とても魅力的だった。


 同時に今まで感じなかったアプリの不満をどうしても感じるようになった。DMだけではなくチャットだっていつでもやりたい。そう考えてしまう。


 そんな不満を覆い隠すようにソウとのDMは続いていく。


 大学の講義中、周りがしているのと同じように机の下でiPhoneを操作してソウとのDM。それまで知らなかった講義中にこっそり別の事をする楽しさを知った。

 内容はチャットと大差ない。発売された新しい小説の感想を言い合ったり、大学の講義の話。互いの環境の愚痴。気付けば回数制限が出るまでDMをするのが当たり前になっていた。


 DMで話した事は自分達からはチャットで話さない。映画を観に行った話をしていても、チャットでは誰かから観たかと聞かれるまで話題に出さなかった。既にDMで話している話題をチャットでソウが話す時、日向は得した気がして嬉しくなる。


 あまりにも小さな世界の秘密の共有。それが日向の日常に変化という名の彩りを与えた。


 ソウ自身の話も色々と知った。それは普段のチャットでは語られない彼の事だった。


 就活を頑張っているが苦戦している事、自由な時間がある内に資格を取っておくつもりで幾つかは取得済である事。

 周りが第一志望の会社に内定を貰うと、どうしても焦ってしまう事。


 チャットルームでは聞き役になっていたソウの悩み。日向は、数年後に控えた就活がそれ程大変なのを知らなかった。彼は積極的にオススメの資格や就活サイトを紹介してくれた。彼のしている事に間違いはないと信じているので教えてくれた事は全てメモしている。


 ソウには色々教えてもらってばかりなのに日向は、自分が差し出せるものがなかった。


 いつも彼の悩みを聞くと、頑張って下さいとしか書けなかった。


 それは自分で経験していないので当然だ。見当違いのアドバイスで迷惑をかける訳にはいかない。


 結果、誰でも言える励ましの言葉しか書けなかったのだ。それでもソウはその都度、礼を言ってくれた。


 そんな関係が数週間続いたある日。


 珍しく学食でうどんを食べていると、日向のiPhoneにソウからDMが届いた。すっかり慣れた手つきで届いたDMを確認する。しかし書かれていた文面に日向は固まってしまう。


 ソウ:『迷惑じゃなかったら、今度の土曜日にオフで会わない?』


 固まってしまった日向の後ろでは、他の学生達のガヤガヤとした話し声が聞こえる。彼らの声が耳に入って言葉の形に成る前にそのまま消失していく。


 勿論、固まってしまった日向の感情なんて誰も知らない。知る由もない。ちょっと頭を冷やそうと持ってきていた冷水の残りを一気飲みした。大きな氷が二つ程、入っていた冷水は、喉元から入って日向の体全体を冷やす。


 冷えた体で再度、iPhoneに視線を向ける。文面は変わっていない。見間違いではなかった。


 ホワイトカプセル・サテライトのメンバーとオフで会う。そんな選択を日向は考えた事がなかった。オンライン上のチャットで話すからこその関係。相手の顔も声も知らない。アプリに決められたハンドルネームを名乗る。


 いくらDMをしていてもそこは絶対に揺るがない。


 それが今、変わろうとしている。

 突然目の前に現れた選択に日向は、動揺しした。心臓の鼓動がやけに大きく感じた。ソウと会ってしまったら、余計な情報を得てしまう。それが動揺の正体だった。


 万が一、実際に会ってソウに苦手意識を持ってしまったら、今後アプリにログインし辛くなる。その考えが日向の脳内で自己増殖を続ける。


 会いたい?


 会いたくない?


 二択を迫られても答えを出せない。フリーズしてしまった日向の背中にトンッと軽い衝撃が走った。


「……ッ!?」


 肩をビクッと跳ねて振り返ると知らない女子の姿があった。


「あ、すいません」


「いえ、」


 彼女は日向と目が合うと、すぐに謝った。それに彼も曖昧な返事をする。それ以上はない。彼女はそのまま後ろを通り、すぐ近くの友人グループと合流していた。


 フリーズしていた体が今の衝撃でスイッチが入ったのか体が動くようになった。

 一時停止されていたうどんをすする。学食のうどんは、抵抗なく日向の口に吸い込まれていく。うどんを機械的に口に入れながら、彼の思考は別にあった。


 先程の女子グループは、きっと休日に一緒に遊ぶのだろう。

 誰かが一人暮らしをしていたら、講義終わりにその家に行ってゲームをしたり、映画を観たりして過ごすのだ。

 対して、日向は大学でも家でも一人。二十三時にアプリが始まるのを待つだけ。彼女達と自分は何故、ここまで違う? 


 まだ一年生。最低でもあと三年は通う必要がある。今からでもちゃんと大学生活を謳歌出来る方法をソウから学べるかも知れない。DMでもチャットでもなく、直接教えてもらえれば、得るものだって、多いはずだ。


 考えながら食べていると、知らない間にうどんを食べ終わっていた。空になった水をウォーターサーバーで汲み直して席に戻った。


 最初に飲んだ時と比べて水の味に微妙な変化があった。勿論、それは気がするだけで現実的に味が変わった訳ではない。


「すぅ――、はぁ〜」


 日向は口を開けて深呼吸。体内の空気を新鮮なものに入れ替えると、ポケットからiPhoneを取り出して、ソウからのDMに返事を書く。


 とうふ:『はい。会いたいです』


 日向が返信を送ると、すぐに“✔︎”が付いた。


 ソウ:『良かった、ありがとう』


 すぐにソウから返事が来た。それを読んでもう引き返せない、会う事が決定したのだと日向は理解した。


 ソウと会う事が決まってからのDMは会う時の相談一色になった。

 どこに行きたいか? 買い物にするか? 映画にするか?


 一往復のDMでどんどん展開が進んでいく。当事者なのに油断すると置いていかれそうな錯覚が日向にはあった。ソウとのDMを交わせばその分だけ土曜日の約束が真実味を増していく。


 一日のDMの回数制限を終えると、そこから先は翌日になる。

 当然だがチャットでは会う話は一切出ていない。


 ソウから他の二人も誘うかと聞かれたが、日向から拒否した。理由は上手く説明出来ない。だけど、その選択に間違いはないと信じている。


 金曜日の夜。


 ソウ:『じゃあ明日。チャットでも言ったけど、おやすみなさい』


 とうふ:『はい。おやすみなさい』


 二時にチャットが終わってから、ソウと最終確認のDMを数回して、本当にやっと終わった。チャットの延長戦が終わった気分でイスから立ち上がった日向は、そのままベッドに倒れ込んだ。今日は終わったら相当疲れる事を見越して、予め寝支度は終わらせていた。


 飛び込んだベッドのマットは日向の体重を受け止めて、そのまま形作る。

 モゾモゾと動いて掛け布団に入り、iPhoneのアラームをセット。遅刻したら大変なので、十分単位でいくつかセットした。


 これで全ての準備が整った。あとは目を閉じるだけだ。


 そう考えると、脳が待っていたかのように急速に眠りに入る。いつも布団に入ってもすぐには眠れないのに今日はまるで、底なしの落とし穴に落ちて行くように意識が沈んで行く。


 明日の今頃は、どんな気持ちでいるんだろう。


 それが夢に落ちる前、うっすらとした頭で日向が考えていた最後だった。

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