第14話

 体育館の入り口まで辿り着く。


 人の気配がない。この感覚は信じたくなったけれどどうしても否定が出来なかった。外まで漂う、疑いようのないくらいの血の匂いが鼻腔を貫いてくるからだ。まるで、もうここには人はいないのだと訴えるように。


「こんなの……」


『お兄ちゃん、警戒して』


「わかってる」


 僕は体育館に脚を踏み入れる。中は耳鳴りがするほどの静寂だった。

 跳び箱や椅子、机などを積み上げて高いバリケートを作り、館内の半面を塞いでいたのだろう。今は人が楽に乗り越えられるくらいの高さになっていた。

 一音一音、足音が気味が悪いくらいに響く。ここで何度も体育の授業をして毎週、月曜日の朝は集会をしていた。

 あれから一ヶ月以上経ってるらしい。


 小倉くんは邪魔者がいなくなって清々してるかな。

 佐久間さんは意中の人と上手くいったかな。

 夕里亜とは、喧嘩したままだった。泣かせてしまってから謝っていない。

 クラスの皆、顔と名前が一致しなかった。ほとんどが僕をよそ者として扱って仲良く出来なかった。でも僕から話しかけたことはあったっけ? きっとお互い様だったんだ。

 僕はバリケートに脚をかける。

 不思議と呼吸は落ち着いていた。うるさかった鼓動も今では動いているのか不安になるくらいに音を感じない。


 きっとこの先にはーー


「あ……」


 鮮やかな赤に彩られた床。飛沫のようなグラデーションが脳のどこかで美しさへ誤変換された。人が全身で何かを表現するように、これでもかというくらいの大袈裟なポーズをとって至る所に倒れていた。

 クラスメイトに、小中学生の子ども。それぞれの人だったものは学校や近所で見たことがあるような顔ばっかりだった。


「ゆ、夕里亜っ、みんなっ!」


 転がるようにして僕は中へ入ると、たまらず嘔吐した。胃酸の苦みが口いっぱいに広がっていく。これが、人間のやることなのか。


『……エグイね。どこかで世界の終末を理解してるのかも。やることが獣以下だ』


 夕葉の冷静なものの見方に僕はなんとか平静を保つことが出来た。一人だったらきっとここから動けなくなっていたと思う。


『お兄ちゃんの言う、夕里亜っていう人は女の人だよね? なら……』


 夕葉の言葉は耳に入っていなかった。僕の少し先で仰向けに倒れていた人の顔は記憶としっかり一致したからだった。


「小倉くんっ!」


 そばまで駆け寄る。小倉君の身体は洋服も身体も真っ赤でどこが傷なのかわからなかった。それでも僕は彼の名前を何度も呼んだ。小倉君の心臓の動きが聞こえていたからだ。


「……………お、前……天瀬、か?」



 そう言ったあと、小倉君は半眼を開ける。その眼は真っ赤に充血していた。


「ああ、そうだよ」


「どこ行って……たんだよ。夕里亜が、どれだけ泣いて、たと……」


「ああ、ごめん……ごめんごめん」


 小倉君の眼の焦点は合っていなかった。彼の目にはきっと僕の姿は映っていない。


「夕、里亜が……連れて、かれた。生きてた女は、全員」


「え?」


 僕は辺りを見渡す。倒れているなかには女の子もいるけれど数は明らかに女の子が少ない気がした。


『言ったでしょ、獣以下だって』


 夕葉が冷淡な声で言う。夕里亜はまだ生きてる。けれど今は喜びよりも悔しさが勝っていた。


「ち、くしょ、俺が……助け、に、くそくそ……く、そ」


 小倉くんは掠れた声を必死に出しながらゆっくりと手を上げていく。フラフラと彷徨わせながら僕の身体を見つけて肩口あたりに触れた。

 胸ぐらを掴んだつもりだったのだと思う。何度も胴着で握られたその手の握力はかつての彼とは別人のようだった。


「夕里亜を、助けろ……絶、対に」


「ああ。わかった。助ける、必ず助けるよ」


 小倉君の目に涙が一筋流れる。これはきっと悔し涙だ。


「みん、な……母ちゃん、たちは大、丈夫な、か……」


「小倉くん、小倉くんっ!」


 小倉君の手は僕の服を掴んだままだった。

 

 けれど、どれだけ叫んでも僕の声はもう届いていなかった。


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