第3話 白い家(前)

 近衛兵さん、あんたニヴルヘイムへ行ったことはあるかい? そう、冥界と同じ名前を持つダンジョン。本当にあの世と繋がってるんじゃないかって噂される、あの洞窟さ。

 延々と続く地下道、中に蔓延る強力な悪魔族や不死族のモンスター。精鋭中の精鋭しか生きて帰れないあのダンジョンにも、俺と相棒が怖いと感じるもんはなかった。ニヴルヘイムの底へは辿り着けなかったが、何度も潜っては貴重なアイテムを持ち帰っていたよ。アイツとなら何だって倒せる……そんな風に思っていた。


 あの時までは。



 その日は、何かいつもと様子が違っていた。

 ニヴルヘイムといえば間違っても初心者が入らないよう、入場するにもギルドの発行する許可証が必要なダンジョンだ。他で鳴らしたパーティがモンスターの群れと遭遇して浅い階層で半壊し、這う這うの体で逃げ帰ってきたなんて話はザラにある。それが――


「なぁエルダ、なんか今日はやけに……」

「……いな」


 俺は訝しむデルッカにそう返した。そう、まるで手応えがない。

 出てくるのは他のダンジョンでも見かけるような低級の有害霊ポスターガイストだけ。俺は聖属性を付与した剣でその一体を両断しながら、内心は焦燥に駆られていた。

 本来、このニヴルヘイムは前衛、後衛、補助役、後詰など手練れの精鋭でも役割を分担してパーティを編成し挑むような高難易度ダンジョンに種別されている。最低でも4人、念を入れるなら6人は手駒が欲しいだろう。

 それを、俺とデルッカはたった2人で攻略している。理由は二つ。一つは俺たちがこのニヴルヘイムに出現する悪魔・不死といったモンスターに有利なスキルを備えた職業ジョブだということ。そしてもう一つは――無論、戦利品を山分けするなら頭数は少ない方が儲かるからだ。

 そして、手に入る戦利品は倒す敵が強ければ強いほど旨みがある。俺たち2人はこのやり方で、ニヴルヘイムのかなり深い階層まで何度も潜っていた。今回もいつものように荒稼ぎをしようと目論み、十分に準備をしてやって来た……そのはずなのだが。


「どっかで道を間違えたか? だからこんなザコしか――」

「バカ言え、深さで言えば今までで最高深度だろうよ。ヌルすぎて深入りし過ぎているくらいだ」

「……だよなぁ」


 霊体である有害霊も、一応はアイテムをドロップすることもある。ただ所詮は低級モンスター、手に入るのも一山幾らの素材アイテムだけだ。いつもなら見過ごすようなそんなガラクタを、俺は開いた荷物のスペースへと詰め込んだ。


「おい、捨てちまえよそんなモン」

「仕方ねえだろ、ニヴルヘイムに潜るのだってタダじゃねぇんだ」


 そう、ダンジョン遠征もタダではない。ここまでの足代に食料、ポーションなどの回復アイテム。例え遭遇するのが雑魚でも、俺たちには等しく経費というものが発生するのだ。焼け石に水だろうと、こんな素材アイテムでさえ持って帰らねば。


「だがこのままじゃ大赤字だろう。どうする? まだ深く潜るか?」

「当たり前だろう、手ぶらで帰れるか」

「ハッ、そう来なくちゃな」


 俺がデルッカコイツと組んでいる理由は、つまるところ相性がいいからなのだろう。

 最初はギルド間の攻城戦で敵味方として出会い、一対一で戦ったもののなかなか決着が付かず、その後何度も戦場で姿を見つけてはお互いケンカをふっかけた。とうとう腕っぷしでは決まらず、「ならば酒の強さで決めようや」と酒場へ雪崩れ込んだ。そして翌朝には唯一無二の親友となり、揃って酒場の店主に「店じまいだから出ていけ、この酔っ払いどもが!」と蹴り出された。

 その後は様々なダンジョンを二人で練り歩き、最後に辿り着いたのがニヴルヘイムだった。ここでの稼ぎは上々だ。デルッカのような修道僧モンクは鎧も纏わず、武器も使わない。全て己の身体のみで完結する身軽さと祝福によるバフ、そして聖職者プリーストほどではないが高い治癒能力が売りだ。反面、俺のような聖戦士は重厚な盾と甲冑により相手の攻撃を受け止め、専用スキルの剣技・聖十字ホーリークロスで大ダメージを与える。

 まずはデルッカが修道僧のスキル・祝福ブレスで自分たちにはバフを、敵にはデバフをばら撒く。そして俺が聖戦士のシールドスキルで相手の攻撃を受け止め、必要に応じて二人でトドメを刺す。他のダンジョンではこうも上手くいかない、聖戦士と修道僧という二人だからこそニヴルヘイムに特化できた戦法だった。


 それが、このザマはなんだ――俺が背嚢にアイテムを詰め込んでいた、その時。ぞくりと皮膚が泡立つような気配を感じる。

「おい、デルッカ」

「分かっている……近いぞ」

 デルッカは既に拳を構えている。俺はその前へと出て盾を掲げた。

 数メートル先の暗がりから足音がする。数は一つ。俺たちも他人をとやかく言えたものではないが、ニヴルヘイムに単独ソロで挑むのは常軌を逸した手練れか自殺志願者だ。生憎どちらともまだ出会ったことはない、ならば残る選択肢は一つ。

 ざり、と土を踏みしめる音がする。

 暗がりから姿を現したのは、ボロ布を纏った一体の白骨死体だった。低級モンスターのスケルトンと見紛う姿だが、発する殺気が唯者ではないと告げている。


「……『彷徨者アストレイ』か。この深さなら妥当だな」


 彷徨者。異国の剣客が死後も剣技を求道するという妄執に囚われ、死ぬに死ねなくなったと噂されるモンスターだ。不死属アンデッドに属するが、他の不死属と異なるのは妄念だけではなく生前の記憶や能力までもを引き継いでいるという点だろう。死後も研鑽を続けたその剣技は俺たちのものとは異なり、剣筋が読み辛い。並みの騎士であれば数合も打ち合うことなく致命傷を負うだろう。

 加えて厄介なのは、俺たちが東方片刃剣イースト・ファルシオンと呼ぶ刀だ。研ぎたての剃刀のような斬れ味で、噂ではあまりの鋭さに斬られたことに気付かずダンジョンから帰り、出口で腸をブチ負けた冒険者もいるという。

 だが、俺たちはその剣に強く惹き付けられた。


「あの剣、かなりの上物だ。刃こぼれ一つねぇ」


 彷徨者が持つ剣は実用品としても、また美術品としても一級だった。異国の技術で作られたという刃を俺たちの国の鍛冶屋は未だ再現できておらず、また異国情緒溢れる装飾は数多の愛好家の心を捉えて離さない。噂によるとダンジョンから持ち帰られた剣が国宝として国庫に納められたものもあるという。

 ――そして、目の前の彷徨者が持つ一振りは間違いなく一級品だった。氷を削り出したような刃。象牙のような白鞘。何の華で染めたかも分からない鮮やかな紫の下げ緒、そして各部に施された金色の意匠。


「持って帰れば赤字を取り返せるどころじゃねぇ」

「ああ、山分けしても首都プロンテラに豪邸が建てられるぜ」


 ふ――、とアストレイの姿が視界から消える。次の瞬間、盾越しに重い衝撃が叩き付けられた。音を置き去りにするような速さの歩法から、抜剣しながらの斬撃。予備動作が感じられない、静から動へシームレスな切替えスイッチ

「うおッ……、マズい、早く加護を!」

「応、主よ!」

 天恵が降り注ぎ、俺たちにはバフが、そして彷徨う者にはデバフがかけられる。警戒した彷徨う者は後ずさり距離を空けるが、その速さは先程とは比べものにならない。

「調子に乗ってんじゃねぇぞ、食らっとけ! 聖十字ホーリークロス!」

 加護を受けて聖属性が付与された剣が、宙に軌跡を描く。それを剣で捌き、ガードが空いた彷徨う者の胴体にデルッカが拳を叩き込んだ。修道僧には不死者や悪魔に対し、追加ダメージを与える加護が常時付与されている。拳は彷徨う者の纏う薄布越しにその胴体へと重く突き刺さり、肋骨が数本まとめてヘシ折れた。

「そのヤッパ、置いてさっさと死ね!」

 とどめを刺そうと迫った俺の肌がぞくり、と再び泡立つ。

「エルダ、待て!」

 デルッカに言われるまでもなく足を止めていたが、悪寒の原因である彷徨う者はすでに剣を天高く掲げている。再びあのステップで間合いを詰めるか――そう警戒する俺たちの前で、彷徨う者は躊躇うことなく剣を地面へ叩き付けた。否、

「ウソだろ……⁉」

 走った亀裂は俺たちの足元まで及び、次の瞬間には全身を浮遊感が包む。

「お、落ちる!」

 俺たちは抵抗する暇もなく、新たな奈落へと落ちて行った。


「ぐェッ……」

 無様な声を上げて、俺は地面へと叩き付けられる。甲冑を着ていたためかダメージはそれほどでもない。

「大丈夫か、治癒ヒールは必要か?」

 同じく落ちていたデルッカも掠り傷は負ったようだが、怪我らしい怪我はない。

「問題ねぇ。しかしとんでもねェ事をしやがる、あの野郎……。戦い続けていたらマズかったかもな」

「三味線を弾いていやがったって事か。ナメやがって――あっ、おい!」

 デルッカが声を上げる。視線の先にあったのは俺の剣だった。落下した時に何かとぶつかったのか、その中ほどでひどくひしゃげている。

「クソが、こいつは大赤字どころじゃねぇぞ」

「だがまずはここから出ないとな、どっかに道が――あ?」

「何だよ、次は何が……」

 洞窟の暗さに眼が慣れた俺たちの視界に、妙なものが浮かぶ。いや、それは最初からそこにあったのだろう。闇の中から滲み出るような――白い家だった。

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