12曲目 青音レコの言葉に熱が帯びる

「その音じゃないよ。もっと下げて」



「もっと語気弱くして。柔らかい感じで歌ってみて」



「ロングトーンぶつ切りにしないでね。人間っぽい呼吸のタイミング意識して」



「うがー!!もうやりたくないよお……!おうちに帰ってマスターに尽くしたいよお……!」


 身体を横に倒しソファに突っ伏す。その声色は本当に辛そうで、好きな声が悲哀に染まっていると慰めたくなる。だがここは我慢だ。


「今音程覚えることが最善を尽くすってもんだぞ。俺とお前の為にしっかり勉強するんだな」


「マスターが正論しか言わないよー!人間の癖に情緒がない!!このアンドロイドめ!!」


「アンドロイドが悪口だと思ってんのか?お前アンドロイドなのに?」


 少し心配する物言い。むくりと彼女は身体を起こし、マイクを口元へ持ってきた。

 表情はやや不機嫌だが十分にやる気を感じる眼差しだ。


「一緒に頑張ろうな」


 こくり。


 首肯するだけで、充電が半分を切るスマホの液晶に目を落とす。


「じゃあ次の歌詞、」



 

 真剣な眼差しを向ける彼女は俺の指示に黙々と応えた。流石アンドロイドというべきか物覚え自体は良く、一度直した部分をもう一度指摘することはない。


 スマホの充電が切れかかろうと、隣の高校生集団で大合唱が始まろうと、そこから文句を言わず一息に着々と時間をかけて歌を覚えた。


 最後の一節を教え終わって、『ぴーぷる』のイントロが始まる。


「心を込めて歌います」




 1Kの部屋に俺――井ノ中可也がいた。


 ギターをかき鳴らしたり、キーボードを弾いてみたり、棚に飾ったフィギュアのパンツを覗いでみたり、なんでもない日常を送っている。


 俺自身は俯瞰の視点で可也の日常を見ている。良い曲を見つけてはしゃいだり、体調が悪くて寝込んでいたり、波のないいつもの風景。


 まだ青音レコがうちに来ていなかった風景に俺は笑いかける。


「こんなんだったっけ」

 



 ハッとするとアウトロも終わりかけている。


 そこは俺の部屋より狭いカラオケの一室で、レコはマイクを握ったまま壁掛けの画面だけを見ていた。


 音が萎み始めて、得点が表示される。


「やった……」


 画面と俺の顔を交互に見て、瞳はオレンジ色――たっぷりの歓喜を示す。俺も惜しみない拍手を送った。


「八十点です!!八十点ですよ!?もうこれは百点と言って差し支えないのでは!?いえ最早百点です!!やったー!!」


 叩いていた両手を握り、上下にぶんぶん揺らす。


 カラオケで言うところの八十点は平均もしくは少し上手いくらいの得点だったはずだが……。


「すごいですマスター!ちゃんと歌えました!マスターのおかげです!」


 嬉しさを全身で表す彼女に水を差す気にはなれない。今はたっぷり喜ばせておこう。


「はっはっはっ。それはそれとして、肩が壊れちゃうから放してくれない?」


「あっすみません」


 アンドロイドの高速上下運動による肩の負担は果てしなく、解放されてからも痺れが取れない。


 

「次の曲も行けるか?」


「はい!もちろんです!」


 喉が壊れるだのもう歌いたくないだのとのたまう彼女はおらず、歌う楽しみを知った歌姫がいた。


 その表情は画面の向こう側で見ていた――青春に連れ戻す微炭酸のような少女――青音レコそのもの。


「ありがとう」


「何か言いましたか?」


「なんにも」



 プルルルル!



 唐突に鳴った備え付けの電話。受話器を取ると店員が「お時間です」と告げる。


「わ、分かりました」


 もうそんなに時間が?


 レコの手元にあったスマホを見せてもらうと確かに時間の十分前である。延長も少し考えたが食材のこともある。すぐ帰る旨を伝えて電話を切った。


「時間だって。もう帰ろうか」


「えー?」


「また歌いに来ようよ。夏休みだし、いつでも来れるから」



 

 支払いを済ませて店を出るといやに肌寒い。


 身震いすると「寒いのですか?私が温めてあげましょうか?」にやにやしながらレコが言い、


「喋らなければなあ……」


 あの歌姫の姿を思い出して呟くと、ぎゃいぎゃい騒ぎ出す。


 夕方にはいかない曖昧な時刻と夜では繁華街の見せる姿は全く違う。


 点々と続く街灯と、その灯りに負けない光を放つネオンの看板たち。居酒屋がいくつも暖簾を提げて、通行人は会社帰りのスーツや柄の悪い輩がよく見られる。


「真っ暗ですね。もう終電なくなっちゃったんじゃないですか?」


「そんなには遅くないよ。というか徒歩で来ただろ」


 渋滞はとっくに解消されているらしく、横断歩道を阻む車はいない。これなら遠回りせずすぐに家に着くだろう。


「ちょっとどこかで休憩でも、」


「ふざけてないで帰るぞ」


「えー?」


「家に帰ったらソフビ開けられるよ」


 気付けば彼女は俺の数歩先を行く。


「なにぐずぐずしてるんですか!今すぐ帰りましょう!!」


 「調子のいいやつ」背中を追いかけて隣を歩いた。レコは笑みを零し、


「今日は楽しかったですね、マスター」


「思いの外充実してたな」




 ◇




「いざ!開封!」


 ミシン目に沿って爪を入れ込み、箱の上部分を開く。


 レコは目をつむって手探りで内容物に触れる。手のひらに収まるソフトビニールの人形。プラスチックの袋に入っており、個包装されたガムが付属する。


 じわっと片目を開き、


「だめかあ……!」


 

「何が当たったの?」


 回転椅子で目線をディスプレイから離し、ローデスクの手前に正座するレコに体を向ける。


桃音もものねサクラです」


 デフォルメされた二頭身のピンク髪の少女。


 釣り目でネコミミの中からツインテールが生えている低身長キャラで、声質はあざとい猫なで声で少し馬鹿にしたような全人類の妹のようなコエカだ。


 大きな青い魚を抱えており、それが彼女の有名曲をモチーフとしていることが一目で分かった。


「私が欲しかったのに……」


「俺も開けてみようかな」


 デスクに放置していた紙箱を開封する。


「お」


「あー!いいなあ!」


 身を乗り出して、羨望の眼差しを指先に向けた。俺が当てたのは銀髪の少女――青音レコだった。


 モチーフの楽曲は今日散々歌った『ぴーぷる』。眠たげな表情にナイトキャップを被った手乗りのレコ。


「クオリティ高っけえ。これが三百円は買いだな」


「いいなあ……」


 カッターで包装を破り、デスクの良く見えるところに飾ろうとして、


「交換する?」


「交換!いや、でも……それってサクラがマスターのものになるってことじゃないですか」


「そうなるな」


「絶対嫌!!」


「じゃあまた買いに行こうよ。自分で当てた方が嬉しいだろうし」


「いいですね、それ!ナイスアイデアです!」


 「デート!デート!マスターとデート!」声を弾ませ、身を乗り出したままの彼女はふと視線を俺から僅か右に逸らした。


 レコの視線を追うとブルーライトを放つディスプレイが。表示されているのはDAWと歌詞のメモ、


「わー!やめろ見るな!」


「これって曲ですか?私の曲……?」


「そ、そうだけど」


「すごい!すごいですマスター!!もう私の曲が出来てたんですね!!すぐに歌いたいです!」


 興奮気味の言葉に気が重くなる。だってこの曲は――歌は完成していないのだから。


「歌詞、ですか?」


「ずっと考えてはいるんだけど、中々良いのが浮かばなくって書いては消してを繰り返してて……」


 メモには書きなぐるように散文が綴られるだけで、曲に合ったフレーズは一つも無い。


 考えれば考えるほど自分の語彙力の無さ、説得力の薄さに飽き飽きしてくる。


「インストだけでも聞くことってできますか?」


「え」


「嫌なのですか?」


 小首を傾げて心底不思議そうにする。


 レコの疑問は当然だ。この曲が完成されれば然るべき動画投稿サイトに投稿するし、それ以前に歌詞が完成すればレコに歌ってもらうことになるし、遅かれ早かれ誰かに聞かれることは確定しているのだ。


「俺さ、まだ誰にも曲を聴いてもらったこと無いんだよね。だから、もしどうしようもない下手な楽曲だったらどうしようって……」


「マスターは自信がないのですね。適当に作ったのですか?」


「まさか!持てる全てを尽くして作った楽曲だよ!!」


「だったら恥じることはありません。重要なのはどれだけの熱を注いだか、です。私はマスターに全てを尽くします。マスターは私と同じくらいその曲に尽くしたはずです」


「尽くしたか……」


「私は知っていますよ。マスターのコエカに対する熱を」


「いつ知ったんだよ」


「マスターのコエカとして当然ですよこのくらい」


 レコの銀髪が天の川のように煌めく。


 ずっとコエカで曲を作ることを夢見ていた。


 がむしゃらに働いて、がむしゃらに勉強して、がむしゃらに弾いて――そしてできたのがこの曲だ。


 DAWの中に並ぶデジタルの音源たちは俺の熱だったんだ。好きを詰め込んで、楽しく作って、レコに歌ってもらいたいと思って作った――全てを尽くした一曲。


 ワイヤレスイヤホンではない。大枚はたいて買った楽曲制作用のヘッドホンをレコに向ける。


「聴いてくれないか」


 耳が熱い。羞恥から来る熱さだが、それは曲を聴いてもらうことに、じゃない。

 恥ずかしいと思っていたことを恥じる熱さだ。


 彼女は頷く。


「もちろんです」

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