第10話 奇襲

 時は戻り、山の廃屋。ペンションの怪異を排除した四人は、遺体がある部屋にいた。

「……死後間もないな」

 梁坂さんの目の前に転がる男性の遺体。年は四十を超えたぐらいだろうか。服装は清潔とは言い難く、ところどころで破れていたり、靴や手袋も破れてしまい、最早使い物にはならない状態にまで使い込まれているのがわかる。

 そんな遺体には、蠅がたかっており、そして目が片方だけ失われているようだった。

 それと首周りにあるが目立つぐらいで、あとはこれといった外傷は無いように見える。

 問題は、隣にあったもう一つの遺体だった。

「こっちの遺体は、もう数ヶ月――いや、年単位で放置されてたんだろうな」

 そう言い切れたのは、この遺体が骨しか残っていなかったからだった。床の木材は体液や排泄物、その他溶け出した組織などが染み込んだのか、見たこともない染みが残っている。

「この遺体……これが怪異を生み出した元凶……?」

 膝を曲げて深く観察しようとする自分の肩に、誰かがそっと手を添えた。振り向くとそこにいたのは梁坂さんだった。彼女は首を横に振りながらそれを否定した。

「あいつは体現性って話だ。もしこの遺体が怪異を生み出したなら、それはもう怨恨性だ。仮にそうだとしたら、さっきのやつはもっと手強いはず」

「確かに……。そうですね……」

 事実、報告で聞いた噂話との差も殆どなく、その上殺意なども比較的薄い。確かに襲われはしたものの、あれは客として招き、食事を振る舞うだけ。逆上した結果人が死ぬという程度ものだった。あの怪異が怨恨性だとは、とても思えない。

 だとしても、この白骨遺体が無関係とは言い切れないだろう。一体何があったのだろうか……

「ひとまず調べられるだけ調べるぞ。その後は事後処理隊に任せて、改めて弔ってもらおう」

「わかりました」

 しかし、香奈を背負ったまま調査するのは、骨が折れそうだ。重いわけでは無いのだが、行動の制限がかけられているようで、思ったように動けない。特に手が自由に使えないのは不便だった。

「う…………」

 耳元で弱々しい声が聞こえた。香奈だ。意識は戻っていないが、確実に回復してきているらしい。後十分もしないうちに動くようになるだろう。

「蜜坂も、回復してきたみたいだな」

「ええ、そのようです。でも、動けるまでは背負ってます」

「頼む」

 そして自分は香奈を背負いながら、遺体のそばに何かないか確認する。しかしやはり、動きにくいことこの上ない。恐らく何も見つけられないだろう。

「……おい、見ろこれ」

「なんですか?」

 梁坂さんは、白骨遺体の側で何かを見つけたようで、こっちに来いと言わんばかりに手招きをしている。

 近くに来ると、これ。と言いながら指差したのは、一枚の紙切れだった。そこには鉛筆か何かで書かれた数字があり、辛うじて読めるような殴り書きの筆跡だった。

「電話番号か?これは」

「……恐らく。この遺体が持ってたんですかね」

「それはわからないが……。ともかく遺品の回収はできない。写真だけ撮って、今日は帰るぞ」

 そう言い、ポケットから端末を取り出した彼女は、その紙切れを写真に収め、ピンボケやブレが無いかを確認した後、そのままポケットへと戻し、立ち上がった。

「さて、帰ろう。椿、お疲れ様」

「ああ、お互いな」

 帰ったら報告する事が沢山できた。まず怪異の核、そして遺体の回収要請、謎の白骨遺体と紙切れ……。すぐに横になりたいところだが、それは許されそうにない。

「あ、もう十二時も回っちゃってますね」

「そうだな……ライトはまだ使える。お前は蜜坂背負ってんだから、私たちの間を歩け。明かりの少ない夜の山道だ、足元は気をつけろよ」

「ありがとうございます」

「椿、先を頼む」

「わかった」

 支度を済ませ、異臭漂う部屋を後にし、軋む床を進み、玄関へと向かう。

 その時だった。不意に彼女が立ち止まり、前を行く二人に止まるよう声を上げた。

「どうした、獣でもいるのか」

「獣ならどれだけ良いか……。別の怪異がいる」

 その言葉を聞いてゾッとしたのは自分だけではないはずだ。

 前を進んでいた椿さんは、その場でゆっくり振り返った。

「……この状況で新手か」

 四人共無傷、損害は無かったが、その内二人は実質的に行動不可な状況。この二人を庇いながら怪異と対峙するのは、あまりにも不利すぎる。その上、相手の事を何一つ知らない。何も聞いていないのだから仕方ないが。

 それでも、この場で一番危機感を覚えたのは自分だと確信した。

 戦う手段がない、逃げることも困難を極める。人一人背負って夜の山道を下れる自信がこれっぽっちもないのだから。

「……いや、待て待て待て待て!こいつだ!逃げろ!」

「冗談キツイな、おい。俺が時間を稼ぐ、その間になんとか振り切れ」

 そう言って再び前を向いた椿さんは、忍足でゆっくり、暗い廊下を進んでいく。

 それを見て自分達は踵を返し、別の出口を探しながら脱出する事にした。

「梁坂さん、どうして分かったんですか」

「ああ……。話してなかったな。私の異能力、だ。だいたい十から二十メートル以内なら声として聴くことができる。ただし対象は一体、進行形で考えている事に限定されるけどな」

「読心……。まさか、じゃあ、怪異に気づけたのって」

「そう、お前ら以外の声が聴こえてしまった。万が一があるから、二人以外に居ないか聴きまわっていたんだよ。それが悪い事に聴こえたってわけだ。それもって反芻する声が」

 小声でやり取りをしていたが、その間も彼女は読心を続けていたらしい。

「椿のやつ見つかったな……。頼む、暫く耐えてくれよ」

 ある程度の距離は稼げた。しかし、背後で物が壊れるような、騒々しい音が耳に飛び込んでくる。

「走れ!」

「ええ!?」

「あの怪異は椿にしか興味がない、私たちのことは無視するつもりだ!」

「わかりました!」

 さっきまで屈んでいた体を立たせ、力一杯床を蹴りながら廊下を突き進み、裏口と思われる扉を蹴飛ばし、勢いよく屋外へと出てきた。

「よし、位置は私が覚えてる。足元は照らすからついてこい!」

 首を縦に振り、そのまま彼女に着いていく。道とは言いにくい道を進む。月明かりではどうしようもない、石や枝が入り混じる地面を踏み分けていくしかない。転倒でもしたら大怪我は免れない。それに一人背負っているという状況。背後には新手の怪異、それも怨恨性。

 ミスは許されない、一つでも失敗すれば命取りになる状況。

 一人背負っている筈だが、この後に引けない状況に置かれた事で、その重みは霞んでいき、やがてどこかへ消えていった。

「よし、このまま行けば――椿!?」

 唐突に叫びながら背後を振り返る。自分も振り向くが、そこに人影はない。恐らく、何か聴こえたのだろう。

「椿、椿!?状況を教えろ!おい、椿!」

「梁坂さん落ち着いて!立ち止まるのは危険です!」

「うるさい!椿の声が聴こえないんだよ!おい!返事を──」

 その刹那、耳を劈く爆音が山の中に谺した。一瞬聴力が麻痺したのか、耳鳴り以外に何も聴こえなくなる。自分は思わず蹲り、数秒程度動くことができなくなった。

 やがて、さわさわと木々の葉が風に揺られて擦れる音が聞こえてくるようになった。ゆっくりと顔を上げ、周囲を見渡すが、何もない。何も見えない。

 ――梁坂さんがいない。

 ライトで前を照らしてくれていたのは彼女だ。まだ動けないのか、道を照らす光源がどこにも無かった。

「…………暁、来て」

 まるで小声――否、弱々しい声が聞こえた。その声の主は間違いなく彼女だ。距離は遠くない、さっきまで立っていた場所から聞こえてきた。

 側に寄り、月明かりだけを頼りに足元を見ると、彼女が横たわっているのが分かった。

 ただ、その様子というのが、自分がさっき蹲ったのとはまるで違うようで、どちらかといえば、そうならざるを得なかったような……

「……なんですか、この血」

 確認できたのは、彼女の脇腹から流れている赤い液体――血液だった。

 明るい服に滲んでいた血は、じわじわとその範囲を広くしていくのが、暗い中でもよくわかる。

 何が起きたんだ。

「…………多分、撃たれた」

「は……!?」

「……悪い、動けない。喋るのも、辛い――」

 そう告げると、彼女は勢いよく喀血した。近くにいた自分の服にも、それが付着した。只事じゃない。

「理由は、わからない……。でも、近くに…………三……四人、人が、いる…………。全員、銃を…………逃げて…………」

 冗談じゃない、あり得ない。なんで、どうして。熊か何かと見間違えた訳でもないだろう。何故、何が、わからない、わからない。何もわからない。どうしたら良い。

「ごめんね……。玲美れいみちゃん、柚葉ゆずはちゃん…………」

 弱々しい声は一層弱々しくなる。明らかに命が危ない。

 耳を澄ませると、確かに足音が聞こえてくる。周りに居るという人だろう。

「……死なせません、絶対」

「う……」

 その時、香奈が目を覚ました。あの攻撃の反動はそれほど強く無かったらしい。運が良かった。

「香奈、起きたか」

「すみません、起きました……」

「詳しくは帰ったら話す。声は出すな、静かに動け」

「…………はい」

 目の前の状況はさっきとまるで違う筈。それでも即座に理解し、自分の言葉に首肯してくれた。

「香奈……。一つだけ、許してほしいことがある」

「わかってます、を使うんですね」

 本当は使いたくない。数秒だって保たない力だ。だが、やむを得ない。誰かを……梁坂さんを助けるためだ。

「すぐに合図を出す。その方向に向かってくれ。全速で」

「わかりました……。いつでも」

 一息入れ、普段髪で隠れている左目を手で露わにし、その瞳を大きく開けた。

「――六通天眼」

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