大好きで大嫌い

たなか

第1話

 汗で湿ったハンドルを握り直す。生死をさまよう哀れなセミを上手く避けながら、校門から駐輪場までの道をのろのろと漕いだ。 「13HR」と書かれた錆びた看板の傍に自転車をとめ、久々の道を歩いて教室にたどり着く。やたらと焼けた面々が俺を迎えた。

「久しぶり」と声をかけてくる人がいる訳でもなく、黙って自席に着く。

 8時20分、チャイムが鳴り担任が入ってきた。例に漏れずこんがりと焼けたサッカー部顧問の担任を見て苦笑いしたクラスメイト達は、程なくして静まり返る。

「おぉ、みんな焼けたなぁ。日サロでも行ったのか?」

 こちらの様子を気にとめず呑気に話し続ける担任。夏休みがあけても何も変わっていないようだ。

「色々と緩んでるところがあるだろうから、今日からまた締まっていくように……てことで、新しいクラスメイトです」

 先程担任と一緒に教室に入ってきた、小柄な男子生徒。その確かな存在感に静まり返っていたクラスメイト達は、少しざわつく。男子生徒は戸惑っていたが、担任に促され口を開いた。

「青尚高校から来ました、大島雫月です。よろしくお願いします」

 一息で言って深く頭を下げた。それに続く拍手。

「じゃあ……あそこの空いてる席だな。田嶋、頼む」

 名指しされて少し驚く。確かに元々ひとり席だった俺の隣には、空席が用意されていた。

 おずおずとクラスメイトの間を縫って歩いてきた大島なんたらは、俺の隣まで来て気まずそうに笑う。

「ごめんね、よろしく」

「よろしく」

 下手くそな笑いで返してみる。何よりも苦手な状況だ。なんであの担任は俺の隣に転入生を置いたのか。

 なんとか朝のSHRを乗り越え、1時間目までの空白の10分間が始まった。他のクラスメイト達は俺達を遠巻きに眺めるだけで、何となく嫌な空気が漂う。

「あー……青尚高校って、めっちゃ頭いいところだよね?県外の」

 必死こいて絞り出した質問を受けて、大島なんたらはほっとしたように笑った。

「うーん、ちょっとだけね」

 本当に頭のいい人だけが言えるセリフだ。恐ろしい。この質問で緊張がほぐれたのか、大島なんたらはまた口を開く。

「大和くん、であってる?」

 何を見て確認したのか分からないが、大島なんたらはそう聞いてきた。

「大和でいいよ。そっちは……えっと」

「雫に月でなつき。僕も雫月でいいよ」

 雫に月。男に有るまじき幻想的な名前ではあるが、雫月の雰囲気にはぴったりだった。

「雫に月」

「……キラキラネームみたいでしょ」

「嫌い?」

 口には出さないが、そっと首を傾げる仕草が答えなんだろう。消え入りそうな空気感に飲まれそうで、慌てて口を開く。何か言わないと、俺はこいつに吸い込まれる。

「別に、俺は好きだよ」

 驚いたような目が俺を見る。正直俺も驚いている。嘘ではないが、言おうとしていた訳でもない。訂正しようと口を開く直前、雫月は小さく声を上げて笑った。

「ありがと」

 なんの躊躇いもなく発せられる言葉に、何故か少し恥ずかしくなって俯く。

 開け放たれた窓から吹き込む生ぬるい風が雫月の髪を揺らした。

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