第38話

「爺はいるかしら?」


 松の廊下を歩くのは安曇野家当主の少女、安曇野刑。小学六年生だが、その実力は歴代の安曇野家当主と遜色ない。何より前当主達には出来なかったことを彼女はその歳ですでに習得している天才。

 いずれ最強の雷術士と呼ばれるだろう。

 そんな彼女は廊下を歩きながら大声で人を呼んでいた。


「ここに」


 刑の数度ほどの呼びかけに反応し、背後へと跪いたのは白い髪に碧眼の男性だった。顔には深い皺が刻まれているものの、年老いているというよりも歴戦の兵士のような威圧感を発している。腰には黒塗りの鞘に収められた刀を差していた。

 刑はその圧にも全く怯まず、溜息を漏らした。彼女にとっては見慣れた顔である。


「やっと見つけた……何処にいたのよ?」

「少し用事に手間取っていましたもので……誠に申し訳ございません」


 爺と呼ばれた老人は彼女へ頭を下げた。別に謝ってもらいたかったわけではない刑はすぐに頭を上げさせる。


「構わないわ。それより安曇野荊の行方はまだ分からないのかしら?」

「鋭意調査中でございます」

「そう……」


 顔色一つ変えず、淡々と返してくる爺。刑は顔色を暗くさせ、肩を落とした。彼女にとって荊は兄であり、純潔を捧げるに相応しい最愛の人。早く無事に帰ってきてほしい。祈るような気持ちで毎度彼の調査報告を待ち侘びているのだ。ところが待てど暮らせど行方は未だ知れず。

 そろそろ彼女の心も限界が近かった。


(もう帰ってこないの? ……兄さん)


 自然と顔が俯く。刑はまだ小学生。情緒は育ち切っておらず、感情的にもなりやすい。大事な両親も原因不明の病に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。今までずっと彼女は一人で奮闘してきたのだ。むしろ今まで耐えられたのが不思議なくらいだろう。

 いつになく弱々しい姿を見て、幼い日から刑を見守ってきた爺は静かな声で慰める。


「荊様は雷術こそ使えずとも、強く聡いお方です……貴女達のことを長年見てきた私の言葉は信用なりませんか?」

「いいえ……うん、少し元気が出たわ! ありがとう、爺!」

「これも私の務めですから」


 そうは言いつつも、爺も少しだけ口元を緩めていた。刑の顔にいつもの眩い笑みが戻り、彼も一仕事終えた気分だった。

 その時だ。遠くの方で女性の甲高い悲鳴が聞こえた。刑も爺も即座に臨戦態勢になり、雷術を展開したまま疾走する。

 数秒と経たない内に悲鳴の出所へ辿り着き、彼女は足を止めた。


「は?」


 刑の視線が鋭くなり、殺気立つ。眼前で呑気に食事をしていたからだ。

 食事という行為そのものはそれほど気にならない。腹が減っては戦はできぬという言葉が存在するのを刑は知っており、理に適っていると納得も出来るからだ。場所を選べとも言いたくなるが、それも今見ていることとは関係ない。

 問題なのは食事をしているモノだった。


「あっ……アッ……ァ……!」


 そこにいたのは一人の女中を背後から羽交締めにする美女。白目を剥く着物の女性の頭蓋を掻っ捌き、顔を突っ込んで中身を啜っている。

 感情が追いついておらず、その声には一切の抑揚がなかった。


「おい」

「ん? ……あ、嫌やわー。そない食事風景を見つめられたら恥ずかしいやん」


 刑に呼びかけられ、美女は顔を上げる。形のいい唇やその周りにはソースのように鮮血がべったりとついていた。無造作にその手に持っていたものを投げ捨て、恥ずかしそうに頬を染める姿は可愛らしい。

 こんな状況でもなければ、だが。刑の視線がゆっくりとそちらへと向けられ、ポツリと唇が震え、言葉を発する。


「……雷火らいか


 地面へと放られた女中は激しい痙攣を起こした後、ピクリとも動かなくなった。死んだということだろう。当然の事実が刑に突きつけられる。


「いやー、やっぱり食いもんは術者に限るわ。そいつ、無能者でなくとも雑魚やろ? 味で分かるわー、私って食通やしな」


 美女の言葉は全く耳に届いておらず、刑はただじっと女中だった者を一心に見つめる。

 彼女は刑の身の回りの世話を文句一つ漏らさずいつもしており、今日の朝も笑顔で挨拶を交わした。術者としては不能かもしれないが、それでも人として色々と学ぶことがあると尊敬していた人物。第二の母親であり、姉がいたら彼女のような人だったらいいと刑は思っていた。

 そんな大事な人をまるで塵のように捨てた。その事実を彼女はその目で目の当たりにした。

 刑はもう口を開くことのない女中の屍を無感情に見下ろした後、恐怖や悲哀が胸に到来する前に————


「おーおー、いきなり仕掛けてくるなんて今時の小学生は短気なんやねー?」


 一瞬で間合いを詰め、美女の顔面目掛けて膝を繰り出していた。刑の全身からは青白い閃光が迸っており、彼女の感情に呼応してその圧は膨れ上がっていく。

 しかし、雷撃を纏ったその一撃は小馬鹿にしたような笑みと共に受け止められる。

 それでも関係ない。今の刑の中に存在するのは純粋な絶対的殺意のみだ。


「お前をブチ殺す」


 刑は赫怒を極限にまで醸造し、殺意へと変え、目の前の女性に宣戦布告する。

 それを受けた狐のような目をした美女————雨雲は笑みを深めた。


「こわいこわい。じゃあ……私は殺されんよう気張らんとあかんなぁ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る