第7話 月長石の瞳(2)

 メアリとトーマスは間も無く婚約した。

義兄は大喜び、姉は賛成とはいかないまでも容認していた。

トーマスは学習し、メアリの家族に受け入れられるよう軌道修正したのだろう。

冷静になれば頭の切れる男だ。冷静であれば。

学界の仲間内では突然の春に対するトーマスの浮かれぶりが微笑ましいと話題になっていたが。


 「メアリ!」

だが、同名の他人への呼びかけに条件反射で振り向き、バランスを崩して階段を転がり落ちる姿を目撃した時はさすがに心配になった。

「おいおい、これじゃ結婚後が思いやられる。浮足立つにも程があるぞ」

助け起こしながらぼやくと、トーマスの夢見るような視線にぶつかる。

「チャールズ。あなた、本当にチャールズですよね?僕は今、目覚めて現実にいますよね?」

「は?」

「メアリが昨日『あなたの眼は月長石ムーンストーンのような灰青色なのね。とてもきれい、吸い込まれそう』と言ってくれたんです。ずっと見つめてくれて心臓が破裂するかと!」

「夢じゃ、ないですよね!!僕は好意を持ってもらえてるんですよね……⁉」

「ふーん」

急に何かが喉に刺さった。

好意、どころじゃないだろう。メアリが男性に対してそんな表現を使うのを耳にしたことはない。もちろん叔父である自分に対しても。

熱量が同じとは言わないが、既に彼女にとってもトーマスは特別な存在なのだ。

「私は此処にいる、夢じゃない。大体メアリが望まぬ婚約を承けるはずがない」

声が冷淡に響かないように努める。一体何に苛立っている?


 一、二か月後、大英博物館のそばでトーマスを見かけた。猫背が大分改善されているようだ。それだけで持ち前の長身が生き、押し出しが良く見える。

声をかけようとして、上げた手をそのまま下ろし、言葉を飲み込む。

彼の姿に隠れて最初目に入らなかったが、メアリが彼と一緒にいた。

いつも自分に向けられていた榛の瞳が直向ひたむきにトーマスだけを見つめている。

彼が以前は考えられなかった甘い表情で彼女を見つめ、そっと手を頬に触れ、上半身を屈めーー

説明のつかない居た堪れなさにすたすたと大股に歩き出し、その場を離れた。


 ーー息ができない。全身を炎に焼かれるようだ。

メアリは姪だぞ、それこそ赤ん坊の時から知ってる。何を考えている!?

「叔父様、あのねーー」

打ち明け話をするような真摯な響きの声、輝く榛の瞳。

慎重な少女が心を許してくれるのが嬉しかった。彼女が、自分を必要としているのだと思っていた。

本当は自分の方こそ彼女を……

文章を書く時、いつもメアリの物問いたげな瞳を無意識に想定し、書いていたことに初めて気づく。支えているつもりで支えられていたのか。

カーテンに隠れる小さな少女、自分だけのお姫様はもうどこにもいないのに。


 自分を嗤う。

幾つもの海や大陸、島々を見た。南半球の星、稀少な動植物、多様な人種も。

生きとし生けるものが何十何百、幾千幾万年の単位で神の御業みわざに因らず変化する事に気付いた。

メアリ、姉夫婦、姪夫婦、トーマス、彼らの思考や習慣を理解し、上手く仲立ちした。

そう、私は物事をよく知っていると思っていた。

自分自身だけを知らなかった。


 帰宅してすぐ、以前から打診されていた遠縁の女性との縁談を受けると父に告げた。

急に結婚に乗り気になった息子に父は怪訝な顔をしたが話を進めてくれた。

メアリとトーマスの結婚式に夫婦で出席した。花嫁の叔父、花婿の友人、縁組のキューピッド。招かれないわけがない。

ウェデイングドレスのメアリは輝く様に美しかった。

二人を笑顔で祝福しながら、自分の器用さに他人事のように感心する。

トーマスは以前から想像もつかないほど、自信に満ちて堂々とし、他者の視線を引きつけた。新進気鋭の研究者として急速に地歩を固めつつある。

元々優秀だったが、自信と支えを得、それが態度と研究成果に反映されるようになり、評価が追い付いてきたのだろう。

その変化の要因は……考えるな、自分がお膳立てしたことだろう?



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