コウノトリと女

水鳴諒

―― 序章:それぞれの序幕 ――

第1話 過去・西暦2024年


 レンジに入れっぱなしにしてすっかり忘れていたマグカップを取り出せば、ミルクの上には膜ができていた。温くなりはじめている白いプラスティックの容器の側面に触れてから、リビングのソファへと朝永詩織あさながしおりは向かう。つけたままだったモニターからは、テレビのニュースが流れてくる。腰を下ろしてミルクに口をつけながら、詩織は画面へと何気なく視線を向けた。


『続いてのニュースです。昨年……2024年の女子の出生数ですが、ついに二名となりました』


 アナウンサーが深刻そうな顔をしている。暗いニュースだからではなく、テレビの顔でもあるその初老の人物は、本心から喫驚したのち蒼褪めたのだと、眺めているだけでも伝わってくる。


 片目だけを細くして、詩織は思案する。

 彼女は紛れもなく女性である。現在、三十五歳。古き昭和の世においては、女性の賞味期限は二十五歳でクリスマスに似ているなどという揶揄があったと耳にした事はあったが、今のご時世においては、それは十年ほど時期が変化したと詩織は考えている。つまりまさしく、詩織の賞味期限は『今』だ。これには理由がきちんとあって、『子供を出産できるリミット』が近づいているからでもある。けれど少し前までは、結婚して子供を産む事だけが全てではないという風潮が確かにあった。生涯未婚の独身者も珍しくなりつつあった。そのはずなのだが――女子の出生率が著しく変化したため、現在は国を挙げて、いいや世界規模で、妊娠・出産が推奨されている。


 しかしながら詩織にとっては、それも遠い世界といえた。スローライフといえば聞こえはいいが、限界集落においてただ一人、古来からの持ち家にひきこもって暮らしている彼女には、結婚を期待するような恋人もいなければ、そもそも労働威力もなく、子供が欲しいという願いもない。ネット通販で全てを購入している現在、家から出る必要もない。よって、テレビの画面の向こう側の世界は、彼女にとっては非常に遠い。


 それでも彼女は、女性である。

 世界的に女性が生まれなくなりはじめたのは、遡れば西暦1999年頃からだったらしい。ノストラダムスの大予言が的中したなんていう陰謀論も、インターネット上では度々囁かれている。このままいけば、いつかは女性は生まれなくなるのかもしれない。だがその理由は、公にはなっていない。何故女性が生まれないのかを、多くの人間は知らないし、詩織にも勿論分からない。


 女性が生まれなければ、即ち人間は絶滅する。男性だけでは、子供は生まれてこない。よって女性は現在保護されて、嘗て目立ったフレーズだが、『生む機械』である事を推奨されている。そのための助成金もある。それを受けとっている詩織は、しかしながら未婚であり、生活費にあてて、ひきこもり生活を謳歌している。


 一応の理由はある。詩織は、一つのコンプレックスを抱いている。何故なのか、老化が遅いのである。アンチエイジングに取り組んでいるわけではない。髪や爪も伸びる。だが外見が二十代前半から一切変わらない。そのため年相応に老けていく周囲とは距離を置いた。若さをよしとする者は多いが、詩織はそうは思わなかった。己が奇妙に思えて、鏡を見る度に気分が悪くなる。


 古風なインターフォンが音を響かせたのは、その時の事だった。

 宅配業者だろうと考えて、詩織はカップをロ―テーブルの上に置き立ち上がる。

 エントランスは、すぐそこだ。



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