第3話

 授業が始まっても私はしろちゃんのことで頭がいっぱいだった。

 しろちゃんは私の後ろの席だから視界に入ることはない。もしも私の方が後ろだったら、ずっと彼女を見てしまって授業どころじゃなくなっていただろう。

 いや席の場所なんて関係なく、しろちゃんのことを考えてたら授業の内容は頭に入ってこなかったけど。

 ……後でしろちゃんにノート見せてもらおう。

 そんなこんなで時間はあっという間に過ぎ、今は昼休み。

 さっきは動揺してしまったけど、心の準備をしている今なら大丈夫だと自分に言い聞かせ、しろちゃんに話しかける。

「しーろちゃんっ! 一緒にご飯食べよ!」

「だからしろちゃんはやめてって言ってるでしょう? あなたのことゆずちゃんって呼ぶわよ」

「え、呼んでくれるの!?」

「逆に喜ばせてしまったわ……」

 大丈夫、いつも通りに出来てる。しろちゃんもいつも通りだ。

 だから不意に彼女から出た言葉に動揺を隠せなかった。

柚音ゆずね

「っ……!?」

 いきなり名前を呼ばれたら、平常通りなんて出来るわけがない。ただ名前を呼ばれただけなのに、ドキリと胸が高鳴った。

 動揺してる私と違って名前を呼んだ張本人は涼しい顔で言葉を続ける。

「……と、呼ぶのはどうかしら?」

 未だ動揺して固まってる私を見て、しろちゃんはぷいっと顔を背ける。

「嫌なら『橘さん』に戻すけど」

「い、嫌じゃない!!」

 私は慌てて否定すると、彼女は満足そうに頷いた。

「なら今度から名前で呼ぶことにするわ」

 ……これは心臓が持たなそうだ。頑張れ、未来の私。

 そんな会話をした後、私達は昼食を取り出す。

 しろちゃんはお弁当で、私は朝コンビニで買ったパンだ。

 会話はなく、二人で黙々と食べる。

 元々しろちゃんは口数が多い方では無いけど、食べてる間は食べることに集中したいらしい。だからいつも無言だった。

 しろちゃんといる間の無言は気にならないので、私も食べ終えてから話しかけることにしている。

 先に食べ終わった私は黙ってしろちゃんを眺めていた。見慣れている光景なのに今日の彼女は一段と輝いて見える。これが恋愛フィルターというやつなのか……。

 いやいやしろちゃんはフィルターなしでも可愛いから!

 それにしても本当に人形みたいに綺麗に整った顔立ちだよね。でもしろちゃんは人形と違って動いてるし、感情もある。ちゃんと生きてる人間だ。

 そう、だから好きになったんだ。

 そんなことを考えていると、食べ終えたしろちゃんとバッチリ目が合う。私は思わず視線を逸らした。

 さすがに不自然だよなぁと思い、私は動揺を悟られないようにゆっくりとしろちゃんに視線を戻す。

 しろちゃんはお弁当を片付け、じっと私を見てた。その顔は無表情で何を考えているのか分からない。

 彼女のことは以前より分かってきたつもりだけど、やっぱり何を考えているのか分からない時もある。

「あなたはよく私のところへ来るけど、私と一緒に食べても楽しくないでしょう?」

 今度から名前で呼ぶと言っていたけど、しろちゃんはあれから私の名前を呼ぶことはなかった。安心したような、寂しいような複雑な気持ちだ。

「楽しいよ」

 これは紛れもなく本心だった。でもしろちゃんの表情は曇っている。

「気を使わなくていいわよ。私は食べながら雑談は出来ないの。それなのに楽しいわけがないでしょ?」

「気を使ってるとかじゃないよ。うーん、そうだなぁ……しろちゃんって卵焼き好きでしょ? でもピーマンは苦手。意外と子供っぽいところあるよね」

「っ! なんでバレて!?」

 しろちゃんはバレて恥ずかしいのか顔を真っ赤にしている。

「食べてる時の表情の変化で分かるようになったんだ。だから食べてる時のしろちゃん見るのも楽しいよ」

「そう」

 しろちゃんは何か考え込むように黙り込む。そして数秒の間があって再び口を開いた。

「でも、あなたは友達が多いでしょう?」

「そうかな?」

 確かに色んな人とよく話すけど、人気者ってわけでもないし、普通だと思う。

「そうよ。いつもあなたの周りには人がいるもの」

「よく話すのは海夏と葉月くらいだよ。葉月は小学生の頃からの幼なじみだし」

 そして私は言葉をさらに続けた。

 しろちゃんにとってもそうであってほしいという想いもこめて。

「それとしろちゃん」

 しろちゃんは驚いたような顔で私を見る。

 私、そんなに変なこと言ったかな?

 いつもならしろちゃんは呆れた表情で「そう」って一言を返すだけ。でも今日は違った。

「それは本当?」

 彼女は私の真意を確かめるようにじっと見つめる。その瞳があまりにも真っ直ぐだったから狼狽うろたえてしまう。

「え? う、うん! 嘘ついてどうすんのさ」

「ふふっ、そう」

 しろちゃんがこんなに嬉しそうに笑うところを初めて見た。

 あれ? なんだかやけに心臓の音がうるさい。感情のまま言葉が口からこぼれ落ちそうになる。

「私、しろちゃんのこと――」

 ――好きだよ。

 しかしその言葉は続くことはなかった。

『好き』なんて言葉はよく使っている言葉だ。友達に言ってるし、もちろんしろちゃんにも言っていた。

 なのにしろちゃんに恋をして、私の中で『好き』という言葉の意味が変わってしまった。

『好き』は気軽に言えるものじゃない。だから私は――

「大切に思ってるよ」

 そう言葉を続けた。

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