第11話 リズちー

「あ、あのぅ」


 か細い声がした方を向くと、先ほどギャル美が助けた少女がいた。樹の幹に半分体を隠すようにして、顔だけひょっこりと出してギャル美を見ている。


「あれ? さっきのところから歩いてきたの?」


「は、はい。その……」少女はギャル美に返す。「お、お礼を、と……」


 少女は緊張しているようだ。初対面の相手と話すのが得意ではないのかもしれない。そろそろと、音を立てるのを怖がるような足取りでギャル美に歩みよる。

 おれ自身も隠れていても仕方ないと思い、木々の合間を抜けてギャル美の斜め後ろあたりに歩み出た。

 少女はギャル美と向かい合った。かなり幼い子に見える。女子にしては背の高いギャル美と比べると20cmは背が低そうだ。短いマントに付いたフードを被っているので、あるいはそれ以上か。


「あ、あの……」少女は震える声で言った。「助けていただき、あ、ありがとうございました……」


「あはは、気にしないでいーって。てか、わざわざ言いに来てくれてありがとね」


 ギャル美は少し身をかがめて少女の頭を撫でた。

 少女はくすぐったそうにしていたが、やがてハッと我に返って、


「えと、それで、お礼なんですけど……」


 と、なにやらふところのあたりを探りはじめた。

 そして、古ぼけた革の小銭入れのような物を取り出すと、中身を小さな手のひらの上に出した。

 鉄貨5枚と銅貨が1枚――合計150クロネ。


「あの、ご、ごめんなさい……。お金、これだけしか持ってなくて……」


「? どしたんそのお金? お小遣い?」


 ギャル美が尋ねると、少女は恥ずかしそうに顔を赤くした。


「い、いえ。いまは一人暮らしですので……。その……お、お恥ずかしながら、これが全財産と言いますか……」


「ガチで? てか大変だね、その歳で一人暮らしって」


「い、いえ。歳は、その……」


 なにか言いたげな様子を見せた少女は、しかしいまはその話をするときではないと言うかのように首をぶんぶんと横に振って、


「あ、あとは、森で採集していた薬草が少し……」


 と、これまた腰に提げたポーチから薬草の類いとおぼしき植物の葉を取り出して言った。


「へー、薬草採ってたんだ。偉いじゃん」


「で、でも、これだけでは大したお金には……」


「まぁ、せいぜい500クロネってところだろうな。命をかけるには安すぎる値段だ」


 おれはそう言った。危険な森の奥まで採集しに来た結果、巨猪ジャイアント・ボアに襲われたのでは割に合わない、という意を含めたつもりだった。

 だが、おれの言葉を聞いた途端、少女はふるふると体を震わせはじめた。


「や、やっぱり、これだけじゃダメですか……?」


「へ?」


 首をかしげたギャル美を見上げた少女の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。


「やっぱり、その……か、身体からだで払わないとダメ、ですか……?」


 おいおいおいおい、なにを言ってるんだこの子は?


「ちょ、なに言ってんの? なんも払わなくていーってば」


 ギャル美が苦笑する。


「で、でも、誰かに助けてもらったらお礼をしなさいって、お母さんが……」


「いーのいーの。うちらが助けたくて助けたんだから。ね、オタクくん?」


「あ、ああ」


 ギャル美の視線に、おれは相づちを打った。


「で、でも、命を助けていただいたわけですし……」


 少女にはまだ迷いがあるようだ。まぁ、見ず知らずの相手に命を救ってもらった当人からしてみれば、大きな借りを作ってしまったようなもので居心地が悪いのだろう。

 とはいえ、こちらとしてもいまの彼女から返礼としてなにかを受け取ろうという気は毛頭ない。むろん、身体で払ってもらうなんて論外だ。おれは三次元のロリには欲情しない紳士なのだから。


「じゃあさ」とギャル美は提案した。「うちらの友達になってよ。名前、なんていうの?」


「と、友達……ですか?」


 少女は目を丸くしている。


「うん、友達。うち、リア友1000人目指してるの!」


 と言ったところで、ギャル美はなにかに気づいたようにポンと手を叩いた。


「あ、てか、うちらの名前言ってなかったね。うちはギャル美で、後ろにいるのがオタクくん。よろしくね!」


 ギャル美は少女に手を差し出した。


「あ、えと……」少女は頬を赤らめ、「わ、わたし、リズベットっていいます。よろしくお願いします……」というと、おずおずとギャル美の手を握った。


「おっけー、リズちーね。よろー☆」


「り、“リズちー”、ですか……?」


「あ、ごめん。そう呼んでもいい?」


「あ、えと……はい。では、“リズちー”で。……ふふっ」


 リズベットは恥ずかしそうに笑った。笑うと実にかわいい子だ。


「ほら、オタクくんも」


「お、おう」


 ギャル美に促され、おれもリズベットと握手することになった。


「えっと、リズベットって呼べばいいかな?」


「あ、はい……。“リズ”と呼んでいただいても、どちらでも……」


「じゃあ、リズ。その……よろしくな」


「は、はい。オタクさん……」


 お互いどこか緊張しながら手を握りあう。

 小さな手だ。チューリップの花でも握っているかのような、少し力を入れたら潰れてしまいそうな、そんな繊細な感触がした。


「てか、リズちーはどうしてこんな森の奥にいたの?」


「えと……さ、採集をしていたんです。薬草とか、薬になるキノコとか……。でも、お金になるようなものがなかなか見つからなくて、探し歩いているうちに……」


 迷って森の奥まで来てしまった、ということか。


「へー。それって、冒険者ギルドで受けた依頼クエストなん?」


 ギャル美が尋ねると、リズベットは小さく首を横に振った。


「い、いえ。ただ、お金になる薬草などは、買い取ってくれる場所が町にあるので……」


「ふーん。お金が必要なんだ?」


「は、はい……。わたし、森で一人暮らしをしてるんですけど、服とか、他にも生活に必要な物が古くなっちゃってまして……」


「なるほど」


 おれはリズベットの着ている服を見ながら言った。袖や裾がところどころ破けたり、穴が開いたりしている箇所もある。


「じゃあ、とりま町まで一緒に行こっか。リズちーもひとりだと危ないし」


「え……? い、いいんですか?」


「もち! だって、うちら友達じゃん?」


 ぱっと、リズベットの表情が明るくなった。


「あ、ありがとうございますっ……! えへへ」


 実に微笑ましい光景である。おねロリって尊いね。


「よーし! そんじゃ、町に向かってしゅっぱーつ――」


「ちょっと待った」おれは歩き出そうとするギャル美を制し、「ギャル美、巨猪アイツのことはどうする?」と地面に転がった巨猪ジャイアント・ボアの死骸を指さした。


「あー、えっと……どうすればいいんだっけ?」


「報酬を受け取るには、冒険者ギルドに倒した証拠を持ち帰る必要がある。巨猪の場合はたしか――」おれは依頼書を広げて読んだ。「首か牙か、あるいは顔の皮だな」


「うーん、首はちょっと無理くない? かなり太そうだし、うまく切れたとしても、町まで持って帰るのが大変そうじゃん?」


「たしかに……」


 再び巨猪の死骸を見る。“猪首”という表現があるように、巨猪の首は大型トラックのタイヤほどの太さがあり、ギャル美のショートソードでは切れそうにない。


「となると、牙も無理そうか」


「いっぺん試してみる? うちの〈エアロスラッシュエアスラ〉で!」


「……いや、刃こぼれでもしたら中古で5万もした剣が泣く」


「あはは、だよねー」


「笑ってる場合じゃないんだけどな……」


 糸ノコでも持ってくればよかった、と後悔してももう遅い。


「残るは、顔の皮か……」


「でも、顔の皮ってどうやってがすん?」


「わからん」


「わからんかー」


 うーん、と腕組みをするギャル美とおれ。

 木々のざわめきと、得体の知れない鳥の鳴き声が聞こえる。


「あ、あのぅ……」


 声のした方を向くと、リズベットが控えめに手を挙げていた。


「わ、わたし、できると思います……」


 ギャル美とおれは顔を見合わせ、それから同時にリズベットを見た。


「ガチで?」


「は、はい。たぶん、ですけど……」


 リズベットは革のポーチからナイフを取り出し、鞘から抜いた。刃がバナナのように反り返った、独特の形をしている。


皮剥かわはぎ用のナイフか」


 おれが言うと、リズベットはコクリと頷いた。


「昔、お母さんに森で生きていくための方法をいろいろ教えてもらって……。それで、動物の皮をぐ方法も一応は……」


「いや、でもさ。それって結構グロくない?」


「は、はい。正直、少し……怖いですけど……」


 おそるおそる、リズベットは巨猪の死体に歩み寄った。

 ナイフの刃先を巨猪の顔付近につきつける。その手は目に見えて震えていた。


「だ、大丈夫? 手の震えがパないんだけど?」


「だだ、大丈夫です……。助けていただいたお礼に、ぜひやらせてください……!」


 決然とそう言い切ったものの、リズベットの全身からは緊迫した雰囲気が漂っている。

 外科手術でもするかのように、リズベットは慎重に刃を巨猪の皮膚に食い込ませた。

 獣の皮革を切り裂く嫌な感触が、こちらにも伝わってくるような気がした。


「ひぃっ……!」


 少女の口から悲鳴が漏れる。


「ちょ、ガチで大丈夫? 無理ならやめてもいいんだからね?」


「でで、できますっ……! やらせてください……!」


 その後もしばらくの間、「ひぇっ……!」とか「ひぃんっ……!」とかいった悲鳴が上がりつづけた。

 ギャル美とおれは、ひとり奮闘するリズベットをハラハラしながら見守るしかなかった。あたかも初めて巣を飛び立った我が子を見守る親鳥のように。

 そんな息が詰まる時間が永遠に続くかと思われた頃。


「で、できました……!」


 軽く息を弾ませながら、リズベットが振り返った。

 両手を一杯に広げて示したそれは、まさしく巨猪の顔面の皮。

 見事な出来栄えだ。中に綿を詰めれば顔面だけの剥製ができそうなほどである。


「ヤバー! ガチですごいじゃん!」


「うん。これなら討伐のあかしとして充分に使えるな」


「ありがと、リズちー!」


「え、えへへへ……」


 リズベットは瞳に浮かんでいた涙を拭いた。

 そのあどけない顔に今日一番の笑顔が咲いた。


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