第10話 残酷な現実

 その日も、美月姫はいつものように蒼空がやってくるのを待っていた。

 だが、間もなく黄昏時を迎えようというのに一向に姿を現さないため、何かあったのではないかと案じ、蒼空の屋敷を訪れることにした。

 途中、辺りをぐるりと見渡せる小高い丘から、南に位置する屋敷に目が止まる。

 その日、珍しくその屋敷の門前に門火が焚かれ、行き交う人で賑やかな様子だった。

(何だろう、こんな時間に・・・・・・何かあったのかな)

 美月姫は、気になる屋敷を通り蒼空のもとへ向かうことにした。

 門火で明るい屋敷は、夜だというのに人の往来が多い。

 屋敷の前を通り過ぎた時、門前に佇む男たちの会話が耳に届き胸騒ぎを覚えた。

 美月姫は、人々に紛れ門をくぐると、見知った屋敷の庭に足早に回り込み大広間に目を向ける。

 刹那、息をするのも忘れるほどの衝撃を覚えた。

 その信じがたい光景を目の当たりにした美月姫は、残酷なまでの現実を突きつけられた。

 そこには、水化粧に紅をさし白小袖に白細帯白打掛の小雪と、白直垂(しろひたたれ)姿の蒼空がいた。

 向き合う二人は、まさに三々九度の盃の最中であった。

(どう、いう・・・・・・こと・・・・・・?)

 思わぬ出来事に思考は混乱し、その場に立ち尽くす美月姫は、じわじわとこみ上げる複雑な感情の波にのみ込みまれる。

 速さが増していく心臓の鼓動が騒がしく鳴り響く。

 鋭利な何かで心臓を抉られたかのような痛みを覚え、胸元をギュッと握りしめた。

(これはきっと何かの間違い・・・・・・今悪い夢を見ているに違いない・・・・・・)

 現実を受け入れることができず、都合のいいように解釈しては己に言い聞かせた。

 刹那、蒼空と目が合った。

 蒼空の瞳は悲しげで、何か言いたげな表情をしていた。

 意識を集中するも、何故か蒼空の心が読めない。思えば、ここずっと蒼空の心の声を聴いたことがなかった。どうしてそうなったのかよくわからなかったが、辛そうな表情をした蒼空を思い出すばかりだった。

 突如、蒼空の心の声が美月姫の中に飛び込んできた。

(違うんだ!美月姫!僕が好きなのは君だけだ!許してくれ、美月姫・・・・・・!)

 美月姫は、ゆっくりとかぶりを振りながら一歩二歩とよろめきながら後退り、 踵を返すと逃げるように駆け出した。

 悪夢から逃れるように走って走って走って、息が切れ切れになっても走り続けた。

(これは悪い夢を見ているだけ!早く!早く!目を覚まさなければ・・・・・・!)

 途中、草履の鼻緒が切れて勢いよく地面に叩きつけられた。

 痛みが現実となって襲い掛かり、夢ではないと思い知らされた。

 すぐさま起き上がろうとするが、地面にふさったまま立ちあがることができない。

 溢れ出る涙は後から後から滴となって零れ落ち、振り出した雨のようにポタポタと乾いた土を湿らせて行く。

 美月姫は両手で土をギュッと握りしめると「わぁあああ――!」と童子のように声を上げて泣いた。

(どうして?どうして何も話してくれなかったの?仕方がないことだって分かっている。でも、どうして?蒼空からしたら私は・・・・・・やっぱりこんな私では・・・・・・)

 それから、美月姫の心は抜け殻のように空っぽになった。現実と向き合うことができず、ただ茫然と時の流れに身を委ねるほかなかった。

 天涯孤独となった美月姫にとって、唯一の居場所といえば山神神社しかない。いつの日か蒼空と見上げた拝殿の雲竜図。天井に描かれた白龍は、憐れで惨めな美月姫の心を見透かしているように、憐憫の眼差しで見つめているように見えた。

 自分は何のために生きているのだろう。こんなに辛い思いばかりするのなら、いっそのこと生まれてこなければよかった。これは、自分のような立場のものが幸せを望んだ罰なのだと。思いあがるのもいい加減にしろと咎められているようで。

 神様、私が生まれてきた理由は何ですか?苦しみに囚われ、悲しみに心痛め、絶望を味わうためですか?そんな私が、幸せを望んだ結果がこれですか?ならば、この世に生まれてなど来なければよかった・・・・・・。

 美月姫は、神前でひっそりと涙する。

 今は残酷な現実を受け入れるほかなかった。


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