第12話「ボクは、こう考えているんです……」

「……お前、どうやってそれを調べた?」

「データベースでっていったじゃないですか」

「自分のIDでデータベースにアクセスして、自分の前世を調べることはシステム上できない。不可能だ。知ってるよな?」

「ええ」

「誰かに教えてもらったか? 教えた方も教えさせた方も始末書じゃすまないぞ」

「先輩に教えてもらいました」

「……お前、あたしのIDで検索したか!」

「そのとおりです」


 先輩の顔から余裕の一切が吹き飛んでいた。


「どうやってあのパスワードを突破した! 五十二けたのパスワードだぞ!」

「先輩、モニタに付箋ふせんで貼ってるじゃないですか。五十二桁のパスワード」

「覚えられないんだよ」


 ボクが渡したタバコを先輩はくわえ直した。


「前に四桁のパスワードが突破されたっていうんで対策したんだ」

「みんな貼ってますもんね。ボクも手帳にメモしてます」


 頭の中に入れている人がいたら、ボクは本当に尊敬するだろう。


「ここのセキュリティ意識、最低ですね」

「言うなよ。お前だってそれで調べることができたんだろうが」


 先輩は周囲に目を配り、自分たちの話に聞き耳を立てている者がいないか警戒していた。


「……しかし、あたしが魂を回収した相手にお前の前世がいたか。誰がお前だったか、あたしは全然覚えがないけれどな」

「二日間、寿命を巻いた相手でもですか?」

「いつも使う手だよ。死亡予定日と言ってもな、実際にその日にすとんと死んでくれないんだよ。一日か二日間のブレがある。特に老衰ろうすいの場合はズレるんだ」


 びっくりする時間が過ぎたのか、先輩の顔にはいくらか余裕が戻っていた。


「予定より早く死ぬ時はまあ、簡単なんだ。こっそり寿命を細く長くしてやればいい。長く生きられて文句を言う奴はいないし、そんな手を使う奴はどのみち息をしているだけなんだ。最悪、魂を早めに回収したとしても、それだけのズレならこっちで吸収できる。問題はない。――ただ」


 火をけないタバコをいったん口から離し、大きな息をいた。


「予定より遅く死んでしまう場合はマズい。受け容れ体制がパァになっちまう。だから」

「相手の了解を得て、死期を早めさせる……」

「たいていは同意してもらえる。死期を縮めた分、その命のエネルギーを凝縮ぎょうしゅくするんだ。死にかけの人間でも起き上がれるくらいにはなる。『命の火の最後の揺らめき』ってあんだろ。ろうそくが消える最後の瞬間、ちょっと激しく燃えるやつ」

「ええ……」

「あれと同じだ。みんなやり残したことっていうのを持っているからな。ほんの短い時間でも、それを片付けるために元気になる方を選ぶんだよ。――これは本当に、相手に説明し同意を得ないとできないんだがな。だからあたしも、お前の前世の枕元に立ったんだろう」

「本当に誰がボクの前世だったか覚えてませんか?」

「よく使う手だから見当がつかないって言ったろ」

「息子と娘が十人、孫が三十人いた男性の老人です」

「あいつか」


 一瞬で見当がついたようだった。


「あいつがお前の前世だったのか」


 先輩は、今まで見せたことのない瞳の色で、ボクを見た。


「ボクはどんな人間だったんです?」

「それは人間性について聞いているんだよな?」


 プロフィールはわかる。それを全て記すのがファイルなんだから。

 ただ、印象はわからない。それは記載きさいされるものじゃないんだ。


「よくは知らないよ。予定日を過ぎそうなんで枕元に立って『いいよ』と返事をもらい、死んだ直後に魂を回収しただけだ。世間話するほどの時間もなかった。ただ……」

「ただ?」


 先輩の口に言葉が戻るまで、少しの時間が必要だった。


「二日分の命を巻いて元気になった力で、手紙を書いたようだな」

「手紙……」

「孫への手紙だ。それも三十人分、それぞれ個別に当てた手紙。魂を回収した時、屋敷に勢揃せいぞろいした孫たちがそれを受け取ってわんわん泣いてたよ」

「三十人の、孫への、手紙……」


 ボクは、もうかけらも残っていない記憶を自分の中からまさぐろうとしているのに気づいて、やめた。


「どんな内容だったのかは知らんが、たなぼたした元気をそんな手紙についやすような人間だった、ということだ。――なんか、お前らしいな」

「……そんな気がします」


 死んで浄化された魂にも、人間性というのは残るものなのか。


「しかし、昨夜はお前もご活躍かつやくのようだったな。なかなかかっこいいことしたじゃないか」

「え」


 おどろいた。その口ぶりが何を示しているのかはわかる――昨夜の事件についてのことだろう。しかし。


「どうして知ってるんです。ボクはまだ、誰にもそのことを報告していないのに」

「あたしが朝から誰の魂を回収しに営業に出かけていたと思う?」

「…………あ!!」


 察しがついた。つながる線は一本しかなかったんだ。


「……ということは、まさか!」

「まさかって、それしかないだろ。お前が追っ払った男な、死んだよ。自分の悪さとドジのせいで頭をかち割ってな」

「…………」


 口の中に苦く重い泥を流し込まれた気がした。胃がズン、と重くなった。


「フン。女に乱暴しようとして失敗して、逃げる途中で足を滑らせて死ぬとか、マヌケもいいところだな。ドジった場所が病院だからって救急車も要らずに手術室に放り込まれて手当を受けて、なかなかねばってくれたよ。やっぱり最近の医療いりょうはすごいな。半日も待ちぼうけさせられた」


 言葉の冷淡さとは違って、先輩の口調にはどこか哀れみの調子があった。


「馬鹿な奴だ。そんな馬鹿な奴にも、すがりついて泣きわめく母親がいるっていうんだからな。たっぷり聞かされたよ。おかげで気分が悪いんだ」

「…………そうなんですか…………」

「ま、この仕事で気分がよくなるっていうことなんてのは滅多めったにないんだがな。でも、お前から面白い話を聞けたので差し引きゼロか。それはそれでいいとして」


 先輩はまた、ポケットに突っ込んだ右手を動かしていた。


「あたしのIDを勝手に使った件、お前に貸しひとつということでおさめておいてやる」

「貸し借りなしだと思うんですけど、それでいいです」

「で、説明の必要はなくなったな。まあ、そういうことだ。死期を二ヶ月も巻くっていうのは異例いれい中の異例だが、不可能なことじゃない。新人のやらかしということで目はつぶってもらえるさ。お小言こごとは覚悟だけどな」

「――その、二ヶ月分の命を一日にそそぎ込めば、さぞかし元気になれるでしょうね」

「……何を考えてる?」


 ボクは、データベースで自分の前世を調べるまでは、こう考えていた。

 二ヶ月間、彼女――しおりといっしょに過ごそうと。

 今は元気そうに振る舞っていても、やがて弱りゆく彼女に寄りおうと。


 ボクも馬鹿じゃないから、わかる。

 彼女の死亡予定日は、九月の二十二日。

 九月に入れば彼女の容態ようだいは見る見る悪化し、中旬になればもう、話すこともできなくなるだろう。

 

 そんな彼女を、ボクは見守り続けなければならない。

 最後は、蜻蛉かげろうのようにはかなく消えていくだろう、彼女を。

 ――しかし。


「ボクは、こう考えているんです……」


 思考の振り子がボクの心を揺らす。

 それを口にするな。口にしたら、お前はもう、秋の彼女に会えなくなるんだぞ。

 言わなければ、彼女に寄り添い続け、共にいられる。


 この一夏は、一夏だけは、おだやかに過ごせる。

 いっしょにいたい、彼女と共に。

 だけど。


 それは。


「その二ヶ月の命を、一日に注ぎ込むことができたなら」


 耳の裏に、彼女の声が聞こえた。

 ――行きたい、と。


 閉ざされた世界から外をのぞける、唯一の窓。

 その窓から見える、いつも見ていたあの場所に。

 憧れと哀しみの眼差しで見ていたあの世界に。


 あの、心に名染み入るほどに素晴らしく、美しい、あおの世界に――。


「その二ヶ月の命を、一日に注ぎ込むことができたなら――行けると思うんです。

 あのもう、まともに歩くこともできない彼女が。

 一日、元気に、海で泳ぐことくらいは、できると思うんです」

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