この素晴らしい世界に革命を!

賀茂ツツジ

プロローグ

「加藤海渡さん、ようこそ死後の世界へ。あなたはつい先ほど、不幸にも亡くなりました。非常に短い人生でしたが、あなたの生は終わってしまったのです」

 真っ白な部屋の中で、唐突にそんなことを告げられた。


 その部屋には小さな机と椅子だけがあり、そこには見たこともない青く綺麗な女の人が座っていた。


「悲しい、不幸な事故でした。ですが、ここに来たからにはもう安全です。もう誰も、あなたを傷つけることは出来ないのですから」


 そう言って、彼女はニコッとこちらに笑いかける。


 この人はいったい誰だろうか。 

 初めて見るその人は、柔らかな微笑みを湛えてこちらの反応をうかがっている。


 今まで見たことがある綺麗さとは明らかに異質な、神々しいという言葉ですら足りないほど壮麗なその人は、その美貌に良く似合う透き通った湖を思わせる水色の長い髪を肩口から払いのける。

 そんな何気ない所作により、舞い上がった毛先から冬の朝露のような光が漏れ出し、その一連の動作の美しさに俺は言葉も出ないほど見惚れていた。


 長くこちらの反応が無いことに焦ったのか、美しい人はその髪と同様に淡い青の瞳をパチクリとさせ、浅く息をついてからゆっくりと口を開いた。


「……はあ、子供に反応を求めても仕方がないわね」


 次にこちらを向いた時、彼女は先程までとは別人のように冷ややかな視線を投げかけていた。

 いや瞳だけではない。その表情もまた、さっきまでの柔らかな微笑みはどこやらへ消えてしまったのか、興味のない動物を無理矢理見せられているかのような退屈そうなものに変わってしまった。


 子供と呼ばれた俺は、それを否定するために口を開こうとするが、まるで金縛りにでも遭ったかのようにその喉は凍り付いて動かない。

 ……というか、全身が動かせない。それに、なんだか体も縮んでる気がする?

 

「………あのー、なんか言ってほしいんですけどー。子供なら子供なりに、『あー』とか『うー』とか反応してほしいんですけどー」

 

 それまでの厳かさとは打って変わって砕けた調子になったその美しくない少女は、どこからともなく取り出したポテトチップスを頬張りながらこちらの反応を待ち続けた。

 すると口が意志に関係なくひとりでに動き始めて言葉を発する。


「かとう、かいと、3さいです! おばさん、おかし、くださいな!」


「…………は?」


 少女の指先から齧りかけのポテトチップスがひとかけら零れ落ちる。

 ピキッというオノマトペが聞こえてくるほど引きつった顔をした少女は、そうしてしばらくの間ポテチを落としたことにも気が付かずに、こちらを見つめ……。

「……はあああああっっ!? ふっざけんじゃないわよこのガキンチョ!! この美しくも麗しい女神アクア様に対して、今なんって言った!? 今なんて言った!!」


 もう初めの人とは全くの別人に生まれ変わってしまった、アクシズ教の女神を自称するアクア様とやらは、空間にひびが入るのではというほどの大声を上げて叫んだ。

 そんな彼女に、またまた意思とは関係なく、無慈悲なこの口が哀れな真実を投げかける。


「おばさん、おかし、くださいな‼」


「———っっっっ! また言った! おばさんって言った!!」

 自称女神とやらは、女神らしからぬ鬼の形相で俺に掴みかかり、その上体を激しく前後に揺すぶって怒りをあらわにした。


「上等よこのガキンチョ! 決めたわ、あんた地獄に堕としてやる!!」

「おーかーしーーー、おーーかーーしーーーー」

 激しく揺すぶられていながらも、なお俺の口はお菓子への執念を発していた。


「…………とはいえ、こんなガキンチョを地獄行きにしたら、私の評価にかかわるわね」

 ひとしきり揺すぶった後、飽きてしまったのか彼女は俺の胸ぐらからぱっと手を離し、どうしたものかと思案の表情を浮かべる。


 その隙を見て、自然と俺の体はよちよち歩きで机の上の目当てのものへと向かう。

 椅子になんとかよじ登り、袋をガサゴソと漁って、小さな手のひらにいっぱいのポテチを握った俺は、それを拳ごと無邪気に手の中に放り込んで咀嚼する。

 口の中に塩の刺激的な味が染み広がり、その得も言われぬ旨味に思わず口元が弛緩していた。


 そうして暫くの間、夢中になってポテチの絶妙な塩加減と爽快な食感を味わっていると、そこにいることさえ忘れかけていたアクアがまたまた大きな声を張り上げて叫んだ。


「………そうよ、異世界に送れば良いんだわ! 野垂れ死んだら痛い思いをしてこのガキンチョの罰にもなるし、仮に生き残ろうものならそれはそれで『史上最年少の勇者』を生んだってことで私の評価にも繋がるわね!!」


 ………なんだろう、そうはならない気がする。


 そう言ってやりたかったが、相変わらずこの体の主導権は俺にはなく、そんな彼女の言葉も無視しひたすらポテチを頬張ることに精を出していた。


 ていうか、異世界? 異世界ってなんのこと?


「そうと決まれば善は急げよ! ほら、こっちに来て座りなさいガキンチョってああああああ‼ 私のポテチ!」

 俺がポテチを盗み食べていることにようやく気がついたアクアは、急いでその袋を俺から取り上げる。


「とにかく、あんたは異世界に行くことになりました!」

 必死の形相でポテチを守ろうとするアクアは、「おかし…」と潤んだ目で名残惜しく呟いた俺に罪悪感がわいたのか、少し憐みを含んだ瞳でこちらを見る。


「お菓子はもう駄目よ。いいから話を聞きなさい………って私、保母さんになった気分なんですけど」

 彼女はそそくさとポテチを机の引き出しにしまい込み、その代わりとばかりに魔導書のような大きくて分厚い本を取り出した。


「どうせ見ても分かんないでしょうから、私が適当なものを見繕ってあげるわ。この剣でいいわね」

 テキトーにパラパラと大きな本のページをめくった彼女は、そんなことを呟いて本を閉じた。


「言葉はどうしようかしら……。まあ、私、女神だし? いくら不敬者とはいえ、こんな子供に言葉も覚えさせず送り出すようなことは出来ないわね……。運が悪いとパーになるけど、その時は私を恨まないで。自分の運の悪さを恨んでね!」

 ぼそぼそとなにやら恐ろしい独り言をつぶやく彼女をよそに、俺の口は手のひらに残ったポテチの小さなかけらをペロペロと舐めとっていた。


 ……今、パーがなんて言った?


 すると、何やら青く光る大きな魔法陣のようなものが、真っ白な空間の椅子の下、つまり俺の足元にふっと現れる。


「さて、準備はいい? 加藤海渡さん、あなたを魔王討伐のための勇者候補の一人としてこれから異世界に送ります。魔王を倒した暁には、神々からの贈り物としてどんな願いでも一つだけ叶えて差し上げましょう」


 相も変わらず必死に手を舐め続けていると、どこからかアクアが俺の身長より大きな剣を取り出しており、それを持てとばかりに押し付けてきた。

 貰えるものなら貰うと、この小さな体はそれを受け取り、意味も分からず剣の鞘をペロペロガジガジと嚙み始める。


「……待って。確か下界では、こういう小さい孤児ってのは教会が預かって育てるって聞いたことがあるわね。あの世界って確かエリス教が国教だから、そうなるとあの上げ底エリスにわざわざ信徒を送ってあげたことになるんじゃないかしら」


 ガジガジと熱心に剣を齧り続けている俺をよそに、アクアは再びぼそぼそと何やら思案を始める。

 異世界やらエリス教やら、相変わらずアクアが何を言っているのかは分からないが、絶対にろくでもないことだということだけは何となく分かった。


 しばしの間そうして顔をうつ向かせひとりごちった後、アクアはなにやら思いついたらしく、ポンと握り拳で手を打って顔を上げた。


「そうよ、私の信者の多い街に送ればいいんだわ! そうすれば史上最年少の勇者がアクシズ教徒ってことで宣伝にもなるし、私の信者も増えて一石二鳥! やっぱり私って天才ね! あの世界では確か……アルカンレティアだったかしら? 座標の設定って面倒なのよね……」


 またまたどこからともなく、先が蕾のような形をした白い杖を取り出した彼女は、何やらごそごそと杖の石突を使って俺の足元にある魔法陣に手を加える。

 アクアがそんなこんなしているうちに、齧ることにも飽きてしまった俺は、剣を抱えながら体を大きく動かして椅子をガタガタ揺らして遊び始めていた。


「……まあ、こんなもんでしょ。ちょっとぐらい座標がズレてても、うちの可愛い信者たちなら天啓とかできっとうまくやるはずだわ!」

 なんて危なげなセリフを彼女が述べると、椅子の下の魔法陣が強く輝き始める。


「さあ、勇者よ! 願わくば、数多の勇者候補達の中から、あなたが魔王を打ち倒すことを祈っています。……そして、あの世界にもっと多くのアクシズ教徒を増やし、国教の座をエリスから奪ってやるのです!!」


 ……初めの罰がどうとかはどこへ行ったのやら、全く違う目的に捕らわれてしまった自称女神アクア様(笑)は、とても女神のものとは思えない下卑た笑みを浮かべ、大声で「あーっはっは」と無様な高笑いしている。


「もし仮に、エリス教徒が良からぬ誘惑をしてきたなら、『エリスの胸はパッド入り』という言葉を思い出すのですよ。さあ、旅立ちなさい!」



 アクアが最後にそう告げると、魔法陣は俺の視界全てを包むほどのまばゆい光を放ち……!





「…………あああああああーっ! 私の椅子ーっっ!!」

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