オークと不死の少女、あとブロッコリー

竹末曲

第一章

第1話 オーク、少女とブロッコリーを拾う

その日の森はいつもと違った。

鳥達が慌てふためいたように群れで飛び立ったのを最後に、獣達は身を隠して息を潜めているようだった。

『昨夜の雨の影響ではないな。嫌な空気だ』

オークの男、グロークロは狩猟小屋に道具を忘れた昨日の自分を恨んだ。

こんな時に森に入ったことを少し後悔しつつ、警戒しながら狩猟小屋へと向かう。

人里離れたこの森は滅多に人間は訪れないが、オークたちにとっては棲家に近く、絶好の狩場であった。

この森を訪れているグロークロも灰緑の肌をした屈強なオークの一人である。

背には弓、腰には剣と手斧をぶら下げ、その前腕には年季の入った革の籠手が付けられていた。

昔のオークは猪や大猿のような顔が多かったようだが、グロークロの顔は人間とそう変わりない作りだ。

それでも、かなりの強面で、白い牙がのぞいている。

錫色の髪とくすんだ金貨のような瞳をぎょろつかせ、彼は狩猟小屋へと向かっていく。


ふと、狩猟小屋への向かう獣道に小さな足跡があるのに気づいた。

しゃがみ込み、まだぬかるんだ地面をよく調べる。

人間の足跡と、それは杖でもついていたのか、ポツポツと小さな穴のような跡もついている。

舌打ちしたい気持ちを堪え、グロークロは狩猟小屋へと急ぐ。

人間の余所者に中の道具を盗まれたり、壊されてもしたら大変だ。

狩猟小屋前まで来た時、グロークロは音を立てぬよう慎重に手斧を構えた。

小屋の前には赤毛の人間の娘がいた、が、それだけではない。


その娘を咥えて引き吊る、見たこともない巨大な狼もいたからだ。

馬ほどの大きさもある、あんな狼など、この森では見たことがない。


少女を助けようと、思ったわけではない。

こんな大物を逃してたまるかというと咄嗟の判断だった。

空気を震わすような雄叫びを上げて、グロークロはその獣に襲いかかった。

突然の襲撃者に狼は目を向ける。しかし獲物の少女の肩に食い込ませた牙を緩める様子はない。

グロークロが手斧で殴りかかり、その狼の首元に容易に抉り込ませる。

そして、肉にめり込んだ手斧の柄から直様手を離すと、間髪入れずにその側頭部を力を込めて殴りつける。

同族のオークですら白目を剥いて倒れる威力だった。

だが、獣は声も上げずにグロークロを一瞥した『だけだった』

グロークロに興味はないとばかりに、前脚を上げて駆けていこうとする。

それはオークの戦士には効果的な挑発行為だった。

グロークロが腰にさした剣に手をかけた時だった。獣が警戒する姿を初めて見せた。


グロークロに対してではない、前方から走ってくる「何か」に対してだった。

「わ!わぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

子供がやけっぱちになっていじめっこに立ち向かうような雄叫びだった。

テチテチテチ!と走ってくるのは。


「カラントを離しぇぇぇぇぇ!!!」


ブロッコリーだった。なんか、でかいブロッコリーだった。

短めの手足の生えたブロッコリーだった。

ブロッコリーにしてはでかいが、背丈はグラントの膝ぐらいまでだ。

それが。茎?幹?部分にある小動物のようなクリクリした二つの目を潤ませて。

片手、らしき、緑色の茎?枝?を振り上げ、立ち向かってきた。

そのブロッコリーに、獣は全神経を向けていた。毛が逆立ち持ちうる力でその怪しい生き物を滅するべく体を動かそうとする。


ーーーここまで隙だらけならば、首を落とすのは容易い。

木々を震わす大声と共に、オークは自分を見もしなかった獣の首を力任せに切り落とした。


※※※


「ありがとうございます!ありがとうございます!!」

「なんだお前は」

グロークロにその緑色の花芽が満ちた頭(?)をペコペコ下げるブロッコリー。

「あ、えと、僕はリグといいます!見ての通り、ドリアードです」

ドリアード。滅多に姿を見せることはない樹木の精霊だ。

その姿は人間の女に近いものから大木の姿をしたものもあるという。

「ドリアード……」

そう考えれば、こういうのも、あるのか?と、困惑するグロークロに無防備に背を向けながら、その自称ドリアードは、切り落とされた獣の頭から懸命に少女を助けようとしている。

「カラント!目を開けて!!」

グロークロは手斧と剣を鞘に戻しながら獣を見る。

「なんだこいつは」

今日二度目の不思議な生き物に、グロークロは素直な感想を漏らす。

狼だと思っていたが、血が流れない。首を断ち切ったがその断面には骨はない、食道も気道もない。

ただの肉の塊が、外見だけ獣を真似たようであった。

「う、ん、大丈夫だよ」

「ンアアアああああ!!よかったぁぁぁ!」

ドリアードはそう喜ぶが、どう聞いても娘の声は大丈夫ではない、今にも死にそうなか細い声だ。

グロークロが少女をチラリと見れば、歳の位は十代後半ぐらいか、その顔色は蝋のように白く、肩の出血もひどいものだった。

おい、動くなとグロークロが少女に声をかけた時。


聞き慣れた、肉を抉る、湿った音。


「何か」がグロークロの脇腹に、拳大もの穴を開けていた。

その何かは、この奇妙な生き物の最後の反応だったらしい。

獣の胴体の切り口から、まるで急拵えのような粗雑さで骨の槍が飛び出ていた。

自分を貫いた骨を手斧で断ち、乱暴に引き抜く。

己の内臓が地面にべちゃりと落ちているのを見て、グロークロは死を覚悟する。


あぁ、全く。

最後に見るのが泣き顔の死にかけ娘と、何かよくわからん生き物だなんて。

あの世で祖先になんと説明すればいいのだ。


ここで、グロークロの意識は一度、途切れる。


ーーー

「ごめんなさいごめんなさい」

少女は倒れ伏したオークの男の前で膝をついて、泣きじゃくる。

まだ彼の呼吸の音は聞こえる、それもあとほんの少しで終わってしまうだろう。

「カラント」

ドリアードは、なおも蠢く獣の姿をした肉塊から少しでも、少女を引き離そうとその泥に塗れた服の裾を引っ張る。

「今は逃げましょう。また彼らが追っ手を……カラント!!」

ドリアードは叫ぶ。少女が震える手で拾い上げたのはオークの手斧だった。

「やめましょうカラント、そんな『奇跡』の使い方はよくない」

諭すようなドリアードの言葉に、少女は虚な目のまま笑顔で返す。


こわいこわいこわい!痛いのは嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。

でも、自分のせいで、こうなったなら。『奇跡』が起こせるなら。


「ごめんなさい」


そうして、少女は震える手で

自らの首に刃を走らせた。


ーーーーー


「(傷が、なくなっている)」

グロークロが目覚めたのは狩猟小屋の床だった。

寝床用に敷いたボロ布の上で彼は、抉られた脇腹を何度も確かめながら、ゆっくりと身を起こす。

意味がわからない。自分は間違いなく臓腑が飛び散ったのを見た。だが、己の腹の傷は間違いなく塞がっている。

なんだこれは、悪夢でも見ていたのかと、グロークロは頭の中を整理しようとするう。

なお、その真横では、こちらを見ているブロッコリーがいる。

これも幻覚の類だろうか。


「体調はどうですか?」


幻聴も聞こえる。なんだ毒キノコでも昨日の夕食に入っていたのだろうか。

「なんだお前らは」

ブロッコリーはグロークロの当然の質問に、目に見えて慌てふためく。

「えと、その、あ、あそこに寝ているのは人間のカラント!僕はドリアードのリグ!です!」

グロークロと同じように、床に寝そべっているのは赤毛の少女だ。

しかしその顔はさっきよりも悪く、衣服には血が飛び散っていた。

「まだ生きているのか」

ならば早くこの小屋から出ていけといいかけて、グロークロはその人間とドリアードを交互に見る。

あの獣の首を断ち切れたのは、この奇妙な生き物が気を逸らしたからだ。

「俺の傷はこの女が治療したのか?」

ひゃ!とリグがその質問に飛び上がるが、小さくこくりと頷く。

「そうか。人間の治癒術師なのか?」

「ま、まぁ、その、今回はうまくいっただけでぇ」

卑屈に笑うリグ。目の前のオークが彼女に何かしないか心配になったのか、チラチラとカラントを見て警戒する様子が目に見えて分かった。


「お前もついてこい」

グロークロは立ち上がると、易々と少女を抱き抱えた。

来ている服も、もとは上等な服だったろうに、ところどころ血が固まっている、少女の体からは泥と血と汗の匂いがした。

「今度は俺が助ける」

不思議そうな顔をして見上げるドリアードにオークは言わねばわからぬかとさらに言葉を続ける。

「お前らのおかげで助かった、だから助けてやる」

パァァァァ!とリグの顔が明るくなる。

「本当ですか!ありがとうございます!ありがとうございます!!!」

ぴょんぴょん飛び跳ねて喜ぶブロッコリー。

こいつ、俺が娘を攫うとか考えんのか?


お人好しのドリアードに呆れつつ、オークは少女を抱えて集落へと戻ることにする。

ーーーあの気味の悪い肉塊を打ち捨てたままで。

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