第5話「狼さんの少しだけ、ですね」


「魔法というのは、見た目では分からないほど複雑なものなのです」


「はぁ……」


 狼さんはホコリを落とすぽんぽんを止めて、魔法薬がなみなみ詰まった瓶を眺める魔女さんへ視線を移します。

 狼さんが見れば見るほど、角度が変わるほど、時間が経つほど、その魔女さんの手にした液体の色が四季折々のように変わっていきます。面白おかしくというやつでしょう。青から赤。赤から緑。緑から黄。黄から黒。黒から白。白から透明。多種多様の変化を見せるその液体は、先程まで魔女さんが作っていた薬です。


「例えば、ブラブはその場所から私のところへ来ようと思うなら、どんな魔法を使いますか?」


「突然、突拍子もないことを言う」


 狼さんにとって、地に足をつけて生まれて死ぬる時も地と決まっている以上、空想は空想に留めているのです。そんな空想が、その身で体現されているのは身に余る光栄というやつでしょう。

 しかし、狼さんは別段魔女さんからの質問をないがしろにしたいわけでもありません。むしろ、真面目なのです。


「……そうだな。簡単なものは体を浮かせることかな」


「体を浮かせて、どうやってこっちに来ます? 水に浮かんだだけでは岸辺まで辿り着きませんよ」


「そりゃ泳いで……こう見えて、犬かき程度には泳げるし」


「そうですね。水に浮かべたなら、水面をかきわける必要があります。魔法もそうなのですブラブ。体を浮かせたら、次は体を進ませなければいけません。その一つ一つで魔法も違ってしまうのです」


「それはなんとも大変なことで」


 狼さんにとって、想像できない領域の話だからこそ納得しようにもできません。水泳だって、狼さんにとって分かりやすいと理解できても体感できないのですから。ですので、狼さんが考えられる以上の大変さ、苦労を魔女さんは抱えている。そう思うのが、一番の他者理解というものでしょう。

 ちっとも理解できないことを学んでしまうのも、学習というやつです。


「そう、大変なのです。薬作りはその最たるものです。ありとあらゆる薬草に、ありったけの魔法で繋ぎ止めてもそんなイカダでは湖や大海すら渡れません。あなたの体を治すためのイカダ作りは、相当難儀なものなのですよ」


「それは誠に感極まるもので」


「ですので、どうして狼男になったか。そろそろ教えてもらってもいいんじゃないですか?」


 魔女さんは聡明な方です。それであり、厳粛な方でもあります。己が大義を気怠げにしながらでも、説得力の一切がなさそうに見えても、一本の芯が通った方です。

 でなければ、だらけた生活を続ける根気もなければ、今頃、狼さんの入る余地などないでしょう。

 ですが、魔女さんは聡明ですから。偉く整った脳の皺がある方ですから。狼さんの姿を見て、境遇まで察した上でここまで面倒を見ているのは、お人好しの範疇を超えているでしょう。

 なので、狼さんは考えます。


「ブラブ。あなたがここへ来た時のことは今でも思い出せます。酷い嵐だったのも。窓を打ち付ける風が怯えていたことも覚えています。

 あの時、私の家を叩いたのが暴れた雨だと勘違いしていたのなら、あなたを見失っていたはずです。その身一つ、狼の姿をこれでもかと隠したのに、顔だけは丸見えなあなたが、何も言わず私へ助けを求めていた。ですので、そろそろ教えてください。あなたをそうしたのはナニか。誰が何をしたのか」


 魔女さんは至って真剣です。数日、数ヶ月、その間も狼さんの厄介になりながら、それでも聞き出さなかったことです。聞かなかっただけです。ただ、狼さんから言うかどうか任せていた一面もありますが、いかんせん、薬の制作が上手くいかず。むしろ、一切の希望の道もない八方塞がりな失敗が連続したとあれば、魔女さんも自信喪失してしまいます。いえ、知的好奇心に勝る自信はないですけど。それでも、ここまで全ての作業が無意味になってしまう圧倒的失敗とやらは経験したこともないのです。

 それには理由がある。明白なナニかが邪魔している。そう思うからこそ、狼さんへとうとう聞いたのです。

 そして、狼さんも魔女さんの心中は察するに余りあります。なにせ、共に暮らしてきた恩人です。これからもこの先もきっとそうなのでしょう。

 だから、話すべきなのでしょうが、躊躇いも少々あるわけです。


「教えてあげたいのは山々なんだが……どうにも、狼男になった理由が分からないんだ」


「……気づいたら、ですか?」


「あぁ……。いや、でもまて」


「? なにか?」


 狼さんは古びた記憶を引っ張り出してきます。本棚から一冊取り出したりますわ、幼い記憶。今から前の話でございます。


「もしかしたら、あの本を読んだからかもしれない」


「あの本……魔導書でしょうか」


「多分……実家の父さんの書斎にあった。本棚の一番奥、扉から一番離れた場所の、それもいくつもの本を並べて隠してたやつだ」


「どうして、そこまで厳重なものを見たがったのか分かりませんけど……」


 魔女さんはジト目で狼さんを見つめてきます。当然です。狼さんのしたことは他人の秘密を暴くような行為ですから。もしくは、家探しのそれです。

 ですが、狼さんがなぜそうしたのか。

 魔女さんは狼さんのことをあまり理解していないから、そういったことを言ってしまうのかもしれません。


「俺の……父さんは小さい頃に亡くなってな。気づいたらいなくなってた」


「……それは、ごめんなさいブラブ。失礼なことを言ってしまって」


 魔女さんは大変困った顔をされます。いえ、申し訳なさそうな顔をします。無遠慮だったのもそうです。失礼だったのかもしれませんが。魔女さんにとって、当たり前のことは狼さんにとっても、他人にとっても当たり前ではないこと。

 それを配慮できなかった自分自身へ恥じてもいるのです。

 だから、狼さんも優しい声音で促してあげます。いえ、申し訳なく垂れた頭を上げさせるのです。

 

「失礼もなにも……。俺の方こそ、なにも身の上話もせず、無遠慮なお願いをしているんだから謝らないでくれ」


「……相変わらず、優しいのだから」


 ポツリ、魔女さんは呟きますが、そんなこと狼さんの耳をもってすれば、普通に喋っているのと同じ声量となります。これが困ることもありますし、そうじゃないこともあります。今回は前者でございますが。

 ですが、コホンと咳払いすることでその気恥しい気持ちを吹き飛ばします。


「そんな父親がだ。一室に大量の本を置いていて、それも厳重に守っているものがあるなら、見てみたいと思うのが子供心てやつだろ」


「そうでしょうね。私でもそうしたはず」


「魔女さんにとって本は大切な宝ものだろうしな」


「はい。本は我が生涯に豊かさを見つけてくれるものです。ですので、面白半分でも本を探したこと自体責めませんとも。子ども時分であるなら、善悪の区別どころか良き悪きの判断も難しいでしょう」


 ――それが銀狼となったことは、決して良くないでしょうけど。

 そう魔女さんは付け加えますが、狼さんは即座に訂正します。


「別に父さんの秘密の本を読んだから、狼男になったわけじゃないぞ。魔女さん」


「…………あら、話の流れ的にそうなのかと思いましたけど」


 さながら、名探偵のように決めてみた魔女さんでしたが、どうやら肩透かしだったようです。いえ、肩透かしではないのでしょう。あくまで狼さんのしたことは訂正です。

 魔女さんの認識が、『本を読んだから銀狼になった』という歪曲した事実を正しいものへと直すのです。


「俺が銀狼になったのは、一年前だ。その本を読んだのは確か七歳の頃だったから関係ないだろう」


「そうでしょうか。意外と関係があるのかもしれませんよ」


 そして、狼さんが魔女さんの認識を正すならば。魔女さんも狼さんの考えを正すものです。そう、狼男になった原因を辿ることができるとすれば、魔女さんはその中で見過ごしそうなものを見つけることもできるわけです。

 だから、狼さんも察するのです。


「ブラブ。あなたには、狼男になる『まじない』が掛けられている。そう話しましたね」


「あぁ……」


「私も実物を見たことはありませんが。お祖母様やほかの魔女から聞いたことがあります。

『読むだけで呪いを掛ける本』とやらを」


 

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