第3話「魔女さんは出来る人です。しないだけで」


 魔女さんの家がある場所は、森の奥地です。それも、周りに住んでいる村人は口を揃えて『聖域』と呼ぶ神聖な場所なのです。

 では、そんなところに住む魔女さんは一体どんな人なのかと疑問に思うことでしょう。恐ろしい存在だったり、良心的な人物だったりすると思うはずです。例に漏れず、狼さんもその両極端などちらかを思っていたのです。


「……なんで、魔女さんはそこまでぐうたらにできるのか。俺は疑問で仕方ない」


 ソファーに寝っ転がり、狼さんがわざわざ作ってくれたポテトチップスを食べながら魔女さんは、魔法で浮かせた魔導書を読んでいます。優雅ですね。肩肘つきながら、寝そべっている姿は週末のオジサマを連想させる、素晴らしい所作であります。


「休むのも一つの才能と努力の結晶なのですよ。それに、何もしていないわけではありません。この魔導書も、薬学知識に基づいた魔法理論の応用というやつでして、今までの魔法体系であれば薬と魔法がなかなか結びつかなかったのですが、両者を活かしながら副作用を減少させる方法が出たりと、色々な分野へ活かせそうなものなのですよ」


 早口でまくし立てる艶やかな唇。あぁ、その言葉の数々が狼さんにとっては異国の言葉なのです。申し訳ないことこの上ないのです。狼さんの頭の上には、疑問符が踊り、祭りを開催しています。大盛況ですね。

 ですが、魔女さんのこういった早口専門用語辞典は今に始まったことではありません。そうですね。遡ること数年前。初めて狼さんと魔女さんが出会った時も、狼さんの状態を見ては度肝を抜いたのです。

 狼と人間が一緒になる。異種族でもあるまいし、純粋な人の種族が狼をその身に宿す。そういった現象を初めて見たのです。更には、それが魔法で組み込まれた呪いの類だと分かれば、魔女さんの知的好奇心は最高潮の絶頂となるわけです。

 はい、つまりのところ、狼さんは実験体になる。もしくは、被検体になっているわけです。


「魔女さんは色々魔法とか詳しいけど、どうやってその知識を得たんだ? 魔導書とか、そこら辺に売ってるものじゃないし」


「……どうやって、ですか」


 上の空。いえ、天井に並んだ樫の木目を見つめ、記憶を辿っていきます。憂いた表情ではありません。本当に世間話程度のものなのでしょう。ゆっくりと、きっかけを探しながら、ポテトチップスをかじります。


「ブラブは、どうして魔女がうまれるのか知っていますか?」


「……魔法が使えるようになるとか、魔力が備わっているとか?」


 狼さんにとって、魔法とは無縁のものでした。世界を一個隔てた先、すなわち、隣の芝生程度なのです。青く見えるもので、狼さんの体であれば、あそこで駆け回ると楽しそうなお庭は魔女さんの家なのです。勝手に入るわけにもいかず、ただ眺めるだけ。隣近所のよしみで世間話をする。でも、芝生がどうして青いのかは聞けないものでした。今までであるなら。

 しかし、今、狼さんは魔女さんのお家に上がり込んでいます。いえ、無理やりにでも入らなければ魔女さんの家が大変なことになるので、必然的に入っているわけです。そうしないと、魔女さんが数多の魔道具に埋もれて、ミイラになってしまいますし。

 そうなってくると、芝生はいつもの色だと、狼さんの家とそう変わりないことに気づくのです。


「いえ、そういったきっかけもあるでしょうけど。そういった人は稀ですし、いきなり魔法が使えたら怖くないですか?」


「…………確かに。突然、火の玉が自分の手から出てきたら怖いな」


「ふふ、あなたが言うと動物の本能で言っているのか分かりませんね」


「ちゃんと人間おれの意思だって。……それより、魔女さんはどうやって魔女になったんだ」


 別にはぐらかすつもりはないのですけどね――と、コロコロと鈴が転がす魔女さん。可愛らしい姿に、思わず狼さんも紅茶の入ったティーカップに口をつけます。誤魔化すためですし、人の頃の癖でしょう。なるべくそうやって、恥ずかしさや自覚した感情を隠したいのです。

 今や、大きなソファーを占領しそうな体躯はちょこんと座り、魔女さんから伸びてきた足先になるべく当たらないようにしています。意外と、魔女さんは足癖の悪いお方なのです。


「気づいたら……とか、色々あるでしょうけど。私の場合は、祖母が魔女だったのです。そして、祖母から色々教えて貰っているうちに、私も魔女と呼ばれるようになった。その程度ですね」


「……そういえば、村の人も魔女さんのお婆さんは、いい魔法使いだった、て言ってたような」


「はい。誰にでも分け隔てなく接し、優しくしてきたお祖母様ですから。農作業でくたびれた人へ、疲労回復の薬をあげたり、重い荷物を魔法で浮かせたりと、お人好しだったのです。今も我が家で自慢しているのですよ。あの村人は私のことを愛してくれているのだ、と」


「確かに……」


 狼さんは魔女さんの家へ通ってはいますが、流石に寝泊まりをするわけにはいきません。なので、村に宿を取り、わざわざそこから魔女さんの家へやってきているのです。そして、その度に村人へ聞かれるのです。「魔女さんは元気ですか?」「野菜はしっかり食べていますか?」「運動はしていますか? 睡眠も」といった具合に、狼さんを通して魔女さんの心配をしているのです。

 今回狼さんが持ってきた食材のほとんどは、村人から魔女さんへ向けたお礼の品なのです。


「毎回俺へご飯やら野菜やら渡す時に、伝言を頼まれるな。『魔女さん、お返しは大丈夫ですので、しっかり食べて健やかに暮らしてください』て」


「お返しはいらない、て。私が困る言葉を言うのですから、困ったものですよね。全く……」


 ちらっと、狼さんが見た魔女さんの横顔は決して困惑を抱いたものではありませんでした。むしろ、お節介なお婆さんにお菓子を沢山貰った成人女性のような、そんな照れくさい大人が、笑っていたのです。

 だから、狼さんも助け舟を出すわけです。


「魔女さんはお返しをしなくてもいいとして。困るのは、俺だよな。なにせ、魔女さんに届ける食材を料理するのはいいものの、そのままご相伴にあずかっているんだから。俺こそ、お返しをするべきだよな」


「……」


 そこで、察しのいい魔女さんは気づくわけです。これは狼さんからの都合のいい、恩返しの仕方だと。だから、心の底から狼さんへ優しい笑顔ができるのでしょう。


「そうですね。ブラブが良ければ、薬の作り方を教えましょうか。例えば、肌荒れが治る軟膏とか」


 しかし、狼さんはその話を聞いてそれどころではありません。肌荒れ。そう、石鹸があるなら水道もある。だとすれば、世の主婦、ご婦人、女性を困らせてきた砂漠化現象はあるわけです。カサカサお肌。夜中、寝ぼけながら自分の指周りを掻くこと。更には、水が沁みるだけではありません。洗い物――ひいては、料理そのものを遠ざけたくなるような嫌な気分になること。

 それを避けられるとすれば、いえ、心配する必要がなくなるのは、喜ばしいことです。もちろん、狼さんも例外ではありません。喉から手が出るほど、欲しいのです。

 ですので、狼さんはティーカップを机へゆっくり置くと、勢いよく立ち上がり、呆然とした魔女さんへ顔を向けます。


「それは非常に助かる。今すぐにでも、というか、すぐ作ろう! 俺の分も欲しいけど、材料とか足りるよな!?」


「……あ、あぁ、問題ないですよ」


 先程の優雅な一時はどこへやら。狼さんはいち早く魔女さんが作った一室――調合部屋へと入っていきます。

 その後ろ姿はどうにも、我欲にまみれていましたが、しかし、彼の悩みはおおよそ村人にとっての悩みでもあるのです。それを間近で見られるというのも、反応を確かめられるというのも、魔女さんにとっては嬉しいことなのです。

 そんな魔女さんは、寝そべっていた体勢を起こし、狼さんの行った調合部屋へと向かいます。そして、手とり足とり教えることになったのです。


 魔女さんの恩返し。それは狼さんのお礼に混ぜた、ささやかなもの。狼さんとの共同作業で生まれたお礼の品は、それはなんの変哲もない、微量の魔力を含んだ、ただの薬草の軟膏ですが、村人からとても喜ばれたようです。

 それが、いつの間にか隣町まで広まるとは、二人はまだ知らないのですけども。

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