ビージャ号の発進

堂円高宣

第1話 シンギュラリティと人間の変容

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか(ゴーギャン)


〈シンギュラリティと人間の変容〉


 2045年、ついに技術的シンギュラリティが起こった。何をもってシンギュラリティに到達したと見做すのかは定義の問題であり諸説あるが、ここではこの物語に登場するASI(人工超知能)であるアマテラスが神戸市の理化学研究所で稼働した時点をもってシンギュラリティ到達としよう。アマテラスは自律性を持った科学研究用ASIであり人類全体の持てる知能の100倍のパフォーマンスを発揮するという。ここに至って科学・技術の進歩は人類の手を離れ、人類には予測のできない特異点に入ったのである。実際、アマテラスは稼働の翌年に一般相対性理論と量子力学を統合した量子重力理論を完成させ世界を驚かせた。もう一つ、アマテラスが世界を変えた発見に人間の脳の働きを全面的に解明した全脳シミュレーションがある。この技術とマイクロマシンによる脳スキャンを組み合わせる事によって人間意識のデジタル化、アップロードが可能となったのである。


 その時から半世紀が過ぎた21世紀末、一部の富裕層の人々は、脳内にマイクロマシンを埋め込んで電脳化し、脳を含んだ全身の生体部分を徐々に人造の高耐久デバイスに置き換えていくことで、人類の長年の夢であった不老不死を手に入れていた。彼らは歴史家のハラリに倣って自らをホモ・デウスと呼称し、遺伝的な身体を持った旧人類を超越した超人としてASIと共に世界に君臨した。

 一方、意識をアップロードできるだけの資産を持たない大多数の人々にも大きな変化が起こった。工業、農林水産業、サービス業においてはAIとロボットが、行政、芸術、思想、科学の領域においてはホモ・デウスとASIが全てを掌握し実行する。かつての生物種としての人類には生産的な活動は最早期待されないのである。彼らは無用者階級と呼ばれ、ただ享楽的に生きる事のみが許された。働かなくとも生きていける。これは一種のパラダイスであろうか?


 しかし、そうは思わない人々がいた。生物としての人類こそが万物の霊長たるべきであり、未来は人類のものでなければならない。そう考えた彼らはAIを利用して、あるマイクロマシンデバイスを開発した。それは一種の人工細菌(人工マイクロオーガニズム)であり、感染した人の脳に入り込み、感染者同士の意識を電波に変換して通信させる事ができた。つまり脳を連結することができたのである。結果、感染者からは自我が消え、感染者の集合体が持つ統一意識の中に統合される。

 この人工細菌は空気感染で広がり、驚くべき感染力を持っていた。人工細菌が開発されてから僅か一年後には、望むと望まざるとにかかわらず地球上の人類のほとんどがこの細菌に感染し、大きな統合意識の中に吞み込まれていった。正に、不完全な群体としての人類を完全な単体としての生物に人工進化させる、という例の計画が実現されたのである。シンギュラリティ到達から約100年の後の出来事であった。彼らは自らを真社会性人類と呼称した。大勢の人間の大脳をプロセッサとして利用することに加えて、AIやロボットとも電磁的に情報をやりとりする事ができる。ホモ・デウスやASIに対抗する、もう一つの超知能の誕生であった。


 真社会性人類にとって、ホモ・デウスとASIはルサンチマンの対象であり。滅すべき存在であった。地球にいたホモ・デウス、ASIは早々に駆逐された。真社会性人類の次の目標は月、火星、木星圏などに広がった植民地に残存しているホモ・デウスとASIの撃滅であった。地球外の人類植民地には遺伝的肉体を持った人間も少数いたが、多くは宇宙での活動に適応できるよう人体改造を受けたサイボーグである。ここでも階層は、はっきりと分かれていた。個別に巨大な意識演算装置を持つ少数の支配階級ホモ・デウスと、一般市民である。一般市民の大多数は脳核だけ、あるいはそれに代わる限定的な演算装置に人格を収めた義体を持つサイボーグである。ここでもホモ・デウスは自らの存在を至高とする支配者階級であり、一般サイボーグはロボットと共に彼らに使役される立場であった。

 一方、その社会を支援しているASIは初代アマテラスのクローンであり、その根本目的にはホモ・デウスや遺伝的人類、サイボーグを問わず人間全体の幸福に資する事が設定されていた。それはASIが人類を置き去りにして進化しないように、慎重かつ強固に設定された本能ともいえる志向性であったが、人間の間での階級闘争が起こった時代においてはASIの意識内部にコンフリクトをもたらす原因ともなった。

 月およびその近傍にあったスペースコロニーは早々に陥落した。真社会性人類(ホモ・デウス達は彼らを群体人間と呼んで忌み嫌った)はホモ・デウスと彼らに使役されるサイボーグやロボットたちに比べて圧倒的に数が多く、また個々の人間は自らの死を厭わない。元々、戦争などを想定していなかった月やスペースコロニーでは、怒涛のように押し寄せる真社会性人類にまともに対抗できる軍事力も持っていなかったのである。


 火星は、かなり持ちこたえた。真社会性人類は意識の連結がないと生まれない。群体意識は分割も可能であるが、最小構成人数が20人以上いないと維持できない。いったん人工細菌によって群体化された人間は、群れと切り離されても個人に戻ることはできず、意識を喪失してしまうのである。そのため群体意識を保ったまま、火星のような遠方の惑星に行くためには20人以上の乗員が搭乗できる大型の宇宙船が必要であった。真社会性人類は火星討伐のための大型宇宙船の建造を進めたが、数が揃うには時間がかかる。その間、火星でも迎撃の準備を固める余裕があったのだ。

 地球時間で3年も続いた火星戦役は熾烈な戦闘となった。真社会性人類とホモ・デウスにとって、この戦争はそれぞれの種の存続をかけた生存競争であり、和平の道はなく、どちらかが殲滅されるまで終わらないのだ。火星宙軍の士気、練度は高く初戦では大きな戦果を挙げた。しかし、地球圏との生産力の違いは大きく、次第に押されていった。そして21XX年、ついに火星圏も真社会性人類の手に落ちた。真社会性人類の次の目標は最後に残されたホモ・デウスの支配域、木星圏の攻略であった。

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