第25話 ナニかに目覚める

 どうするべきなのか。何をするのが正解なのか。 

 逃げるのか、戦うのか。決断は早ければ早い方がいい。「魏志」郭嘉伝曰く、兵は神速を貴ぶ。加藤君曰く、男は早くて硬いに限る。


 何をするにしても戦うという選択肢だけはない。最初に除外すべきは敵意だ。

 先程学んだばかりの付け焼き刃の魔術操作でどうこう出来る相手ではない――そう直感で理解している。護身完成だ。戦わずとも自分の敗北がわかるようになってしまった。


 黄金色に煌めくドラゴンはその巨躯で作られた巨大な影を落とし俺を見下ろしている。何かしらの方法で気配をさとられたのか、木々の合間、藪に身を隠して覗いていた俺達の存在に確実に気づいている。


「ぐっ、う……」


 緊張と重圧から生唾を飲み込むこともできない。飲もうとして飲めなかった唾のやりどころに困っているのでエルナトには口を開けてほしいところだ。


 黄金のドラゴンがこちらを意識はしていると分かるものの、何かを積極的にしようという気配は感じられない。お昼休みの公園でベンチに座ったサラリーマンが足元の蟻の行列を観察する――そんな、ちょっとした好奇心から俺たちを観察しているだけなようにも感じる。もし相手に敵意がないのならば助かる筋は十分にある。友好的に接するか、媚びるか、無関心を貫くか。敵対行為以外でドラゴンの気分を害さぬ最適な行動を考えろ。


 や、無理だろ。ドラゴンに襲われない行動なんて学校でも習わない。前世から都会育ちで獣とは縁遠い人生を送り。当然のごとく猛獣と出会った際のガイドラインなんて知りもしない俺が、偶然ドラゴンに出会った場合どう対処するのが最適かなどいくら頭をひねって考えても考え付くわけがないのだ。言葉の通じぬ動物の気持ちなど想像することすら難しい。理解して通じ合えるなら川で出あった狼や不法侵入してきたシコ猿とも上手くやっていた。


 ドラゴンは一向に動かず、何もしようとはしない。

 今俺が生きていられるのはドラゴンが生かしてくれているからだ。ドラゴンの気まぐれ一つで死ぬ状況にあると思っていい。

 油断は禁物。入れるならイチモツ。生かしてくれるならイかせてやる。だからどうか見逃してください。


 ……いや、さすがにドラゴンが相手では、いくら全裸でも愛棒は反応しない。そもそもドラゴンはどこをどうすればイクのか。こんなことならば加藤君に執拗なほどオススメされていた両生類爬虫類の交尾動画集を観ておくべきだった。


「…………」


 何を考えているのかをさとらせぬドラゴンの縦長の目。トカゲや蛇でも縦長の目を持つのは少数派だが、この世界ではどうなのだろう。しかし縦に割れているなんてスケベな目である。目に女性器が宿っているようなものではないか。きっとこのドラゴンもドスケベ淫乱ドラゴンなのだろう。そう思えば段々と恐怖心も薄れて……くるはずもない。


 頑張って恐怖心を散らし正常な思考を取り戻そうとしたが無理だった。怖いものはやはり怖い。ふざけて茶化しても恐怖は微塵も薄れてくれなかった。


 我々の生殺与奪の権利は疑いようもなくドラゴン側にある。何をすれば怒るのか。そのスイッチを探りたい。まずは何が地雷なのかをしっかりと見抜き、気絶しているエルナトでシッコリと見ヌキ、極力刺激を与えず円満とはいかずとも穏便に済ませてもらいたい。


 仮に、もしも俺を殺すというならば、そのときはどうか優しく殺して欲しい。そして殺す前に筆卸を頼みたい。どうせ死ぬなら我儘は言わない。贅沢も言わない。この際ドラゴンが相手でもいい。優しく抱いて、優しく殺してください。


 それにしても最近の俺は次から次へと立て続けにバイオレンスなイベントが続いている気がする。人生の習得経験値は一気に増加しているはずだが、レベルアップをしている気配は一切ない。

 もしこの世がレベル制のRPGのような世界だったならば、俺は今頃ゴードンさんのように筋肉の鎧をまとっていたことだろう。なんといっても千はいようかという魔物を倒したのだ。ファンファーレが今でも鳴り響き続けていても不思議ではない。しかしムキムキなショタは少々不気味だ。エルナトだって今みたいに可愛がってはくれなかったろう。そう考えるとレベル制などではなくてよかったと心から思える。強くなって生死を乗り越えるよりも、美人なエルフに精子を振り撒くほうがいいに決まっている。筋肉など地道に鍛えていずれつければいい。しかし絶世の美女エルフへの種付けは鍛えてもできるものではない――


「思考が乱れてる。馬鹿を考えている場合じゃないのに……」


 エルナトが起きていたなら魔力が乱れているとか、余計なことを考えていると途中で止めてくれたはずだが、そのエルナトは気を失っている。美人は気を失っても絵になる。R-15の美少女ゲームに出てくる立ち絵かというほどシコい。


「ああ、まただ……また脱線してしまった」


 一週間寝ていたらしいが、こんなんじゃまだまだ休み足りない。起き抜けで意識もはっきりしていないところにポーションなどという原理不明の薬物を口移しで無理やり流し込まれ、いきなりドラゴンを倒しに行こうと引っ張られてきたのだ。休み足りないに決まっている。そもそも薬物を無理やりキメられたなら、そのあとはセックス一択だろ。キメセクをキメるだろ。キスまでしておいてキメセクはしないってなんだ。キメセクもしないでドラゴン退治って、大事な部分をすっ飛ばすなよ。まずはキメセクだろ。キメセクさせろセクソーエルフめ。キメセクしてほしくてイライラしてきたわ。


 短気になっているのは、気力と体の両方を休めるための暇が必要だからだ。更にもう一週間ほどエルナトとまったりねんごろする時間をいただきたい。精神と時の部屋でエルナトと一年間ねんごろしたい。


 ……いかん、また意識がドラゴンから遠ざかっていた。エルナトと二人して現実逃避的な気絶をかますところだった。

 今は目の前のドラゴンに集中せねば。集中せねば殺されるんだ。


「とは言えどうしたものか……」


 考察しよう。このドラゴンは世界でも高位の存在であるとして考え、猿型の魔物とは比べ物にならぬ知能があり、最低限の社交性を持ち合わせている。だからこちらから交渉の席に着けば話し合いで解決できるやもしれない。やぁ、これは考察とも洞察ともいえない、ただの希望的観測だな。あの落ち着きようからしてあながち間違ってもいないと信じたいが。


 ――洞察力と言えば、前世で仲の良かった加藤君だ。


 高校時代、加藤君が奇跡的にできた彼女とデートにいった時の話だ。


 加藤君は女性との縁をもったことはほとんどなく、性行為の知識については快楽天から仕入れたものしかなかった。コンドームをデート前から装着するものだと思っていた加藤君に呆れながらも、俺たち地元勢はデートを成功させるため何から何まで準備してやることにした。

 デートに着ていく服がオムツとコンドームしかないと言う加藤君。まずコンドームもオムツも衣料品ではないと言うところから懇々と諭した。次にアパレル店でアルバイトをしている友人に全身装備一式をコーディネートしてもらい、その時の流行りを抑えたファッションで固めた。

 普段は加藤君を知性のあるオモチャだと思っていた我々地元勢だったが、珍しく加藤君のためを思っての行動をし、一致団結して数々のアドバイスを加藤君に与えた。ハンカチ、ティッシュ、昼食後にさっと渡すためのキシリトールガム。コンドームしか入っていない財布にも食事などを奢ってあげれるだけの諭吉先生を用意させ。耳には最新作の洒落乙イヤホンを装着させてカラオケで最新のJ-POPを歌えるようにみっちり練習させる。


 俺たちの努力の甲斐あって過去一番に輝いていた加藤君。小汚さと陰湿さが薄れているなんて、こんなのは加藤君じゃない――そういう厳しい意見も多数寄せられた。それでも俺たちは加藤君を磨いた。加藤君が彼女とうまくいけば、いずれは俺たちも彼女から女の子を紹介してもらえるかもしれないから。そんな自分本位な理由だけで加藤君を磨き続けた。


 そしてデート当日。加藤君は待ち合わせ場所に十分前には到着しており、「スマートフォンなのになぜスマホと略すの? スマフォじゃない?」などという、あまりにもつまらない理由で買うことを長年拒んでいた新品のスマホをいじり、彼女が来るのを完璧な迎撃態勢でもって待っていた。

 地元勢の出歯亀共と加藤君を観察する俺。胸が張り裂けそうになっていたのは嫉妬からか、それとも何らかの期待からか。彼なら何かしらをしでかしてくれる――そんな期待が多かれ少なかれ地元勢のなかにも芽生えはじめていたのは間違いない。


 待ち合わせの時間より少し遅れて彼女が現れ、加藤君の元へと走って行く。

「遅れてごめんね」「いや、俺も今来たところだから」と、カップルらしい会話をする加藤君。これはもしかしたら上手くいってしまうのではないかと地元勢の中に緊張が走る。上手くいってほしいのに、上手くいかれたらつまらない。俺たちは複雑な性根の腐らせ方をしていた。


 ――だがそこで事件は起きる。


 加藤君は開口一番「今日は特別いい匂いがするね。生理?」と、女の子に絶対に言ってはいけないセリフの一つを、俺たちが絶対に言ってほしい最高のタイミングで言い放ったのだ。

 大衆の面前で思いきり頬をひっぱたかれ、敢え無くその場で振られてしまう加藤君。叩かれた勢いでずれてしまったマフラーをそのままに、画面も見ずに指だけ動かしてスマホを操作している姿が哀愁を誘う。


「香水の匂いは褒めとけ。生理の日は体調が悪いので無理はさせるな。ワンチャン、口かアナルでさせてもらえるから確認だけはしておくこと」という冗談を言ったのは確かに俺たちだ。加藤君もその時は「んな馬鹿なっ」と笑っていた。冗談を冗談として認知していたはずだったのだ。だから真に受けて本当に生理かどうかをきくなんて誰も思わない。それほどの馬鹿だったとは誰も思っていなかったのだ。常に俺たちの予想を裏切り期待を超えてきた加藤君とはいえ、まさか「今日は特別いい匂いがするね。(ところで今日は)生理?」と、地獄のような第一声を放つなどと先回りで想像できる者はいなかった。


 生理かどうかを尋ねた時点でどう転んでもデートは失敗だったが、匂いを褒めることによって最悪な形で誤解をかみ合わせて、弁解の余地すら消滅させてしまうという隙を生じぬ二段構え。恐れ入る。痛み入る。さすがの加藤君だ。


 どうか許してほしい。恋愛経験もろくにないくせにクソみたいなアドバイス――クソバイスで君を地獄へ突き落としたことを。そしてその場で爆笑してしまった我々地元勢をどうか許してくれ加藤君――



「…………」


 不意にドラゴンの縦割れの瞳と視線が重なり、意識が前世にもっていかれていたことに気づく。


 どうにもならない現実から逃げようとしてしまうのは悪い癖だ。悪い癖だが悪いことばかりではない。俺の人生のアドバンテージは記憶の継承だというのを忘れてはいけない。こういう窮地に立たされた時にこそ脳をフル回転して前世の記憶を使って乗り越える場面ではなかろうか。


 ……かの有名な合気道の達人、生ける伝説とまで言われた塩田剛三先生の話だ。


 塩田先生は「合気道最強の技はなんでしょうか」と問われると――


「自分を殺しに来た相手と友達になること」


 ――と、答えたという逸話がある。


 この教え、まさしく現在おかれている窮地にぴたりとはまるのではなかろうか。ドラゴンはこちらに対して敵意も害意もあるようには見えない。なおさら友達になりやすいかもしれない。


 意を決して藪から姿を現し、ドラゴンに対して殊更に自分の存在をアピールする。

 

「あの、こちらからあなた様に危害を加える気は毛頭ございません。一度そこらに座って一緒にお話などしませんか? よろしければお近づきの印にこの果実も差し上げますので」


 俺が話しかけるとドラゴンの脚が上がり、大地を踏み鳴らし轟音を響かせた。

 一歩、また一歩と、地響きを鳴らして悠然と進みこちらに寄って来る黄金のドラゴン。

 人とは異なる瞳からドラゴンの感情を察するのは難しい。

 この小人こびとは耳障りだから潰してしまおう――とでも考えているのだろうか。


「そうか、こいつもか……」


 下腹部にジワリと魔力がにじみ出る。


 こいつも狼型の魔物や猿型の魔物と同じ話の分からない、会話の出来ない畜生だったか。たまには交渉の席に座ってくれる魔物がいてもいいじゃないか。どうしてみんな争いたがるのだ。殺し合うのがニュータイプじゃないとララァだって言っていたじゃないか。


 俺も俺だ。何が洞察力だよ。洞察もなにもない。ドラゴンの気持ちなど欠片も察せていないじゃないか。だから俺はいつまでたっても童貞なんだ。


 いや、待てよ。わかりあおうとしていないのは俺の方かもしれないぞ。加藤君が生理云々の話をしてしまったように、俺も知らず知らずのうちにドラゴンの気に障るような、何らかの禁止ワードを放ってしまった可能性もある。


 逆鱗に触れるとはこの事か。だがその禁止ワードがわかったところでもう遅い。相手は話す気もなければ離れてくれる気もない。戦いは避けられない。幸い魔力はポーションのおかげで回復している。エルナトが目を覚ますまでの時間稼ぎぐらいはできるだろう。


「ふぅ……六歳になってから何回死にかけるんだよ」


 藪の後ろで立ちながら失神している器用なエルナト。守るように前に回りこんで、魔力を手のひらに集中する。


 想像するのは岩の拳。シコ猿に対しては地面から出現させたが、今回は手から直接放つ用意をする。ここに来るまでの二時間は決して無駄じゃない。エルナトに教わった魔力操作と応用を活かし、何としても窮地を乗り越えて見せよう。


 エルナトを守る――その一心だ。


 命を救われた恩は、命を救う事で返す。キスをされた恩は、尻にキスをすることで返す。この二つだけは何があっても絶対に果たす。


「さぁ、どこからでもかかって……くるな。できればあっちいけ」


 怖すぎて両膝が大爆笑している。いつお漏らししてもおかしくない。

 殺せる相手だとは思っていない。今はエルナトが目覚めるまでは守ることを優先したい。エルナトが目覚めたら逃げ出す準備をすればいい。それまでの時間稼ぎだ。


「――ホァタッ!」


 巨大なドラゴンが前脚を上げた一瞬の隙を突く。自身の拳を突き出し、ドラゴンの足裏を目掛けて岩の拳を叩きこんだ。


「「ヒャァアッ――!?」」


 それまで一言も発さなかったドラゴンの悲鳴が辺りに響く。どこか艶めかしく官能的な響きを多分に含んだ悲鳴だった。

 

 官能的に聞こえたのは俺が命をかけているからだろう。前世では一度も経験のなかった大型生物との命のやり取りとりという特殊な状況が脳を狂わせているのだ。

 ストレスから逃れるためなら脳は人格すらも変えてしまう。ドラゴンなど正常な状態で正面切って戦える相手ではないのだから、俺がおかしくなるのも当然である。


「シコ猿を一撃で葬った魔術もドラゴンの巨体の前では大した成果も期待できないか……」


 油断もあったのだろう。ドラゴンは足を上げて不安定になっていたところへ岩の拳を撃ちこまれ、たったの一撃でバランスを崩して仰向けに倒れてしまった。

 起き上がる様子のないドラゴン。案外俺の一撃が効いているのかもしれない。


 この状況は期待以上の展開だ。幸運の女神が俺に微笑んでいるのかもしれない。気分が昂ってきたぞ。


「フフッ、フハハッ……! 女神か……今すぐ抱き寄せて夕日をバックにバックをキメたい気分だ……」





「「はっ、はひい……!?」」

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