第33話 夏の例大祭とリリ婆ちゃんの帰国 

 さっきなんだ、寝たのは。

今日の例大祭のために身を清めるために、朝の4時半に風呂に入る。


「あ“ぁーー、極楽、極楽ぅぅぅ!」


親父臭い言葉がつい出てしまう。

俺はまだ神主見習いだから、例大祭で祝詞を奏上することはない。

毎年、俺が担当するのは、モブ爺ちゃんの助手としての神事の司会だ。

大きな行事だが、いつも通りにやれば問題はない。

今はゆっくり湯舟に浸かって、疲れも穢れもキレイに洗い流そう。


そういえば、俺が深夜一時半に帰宅したとき、蒼さんは起きて待っていてくれたな。


「お疲れ様。明日は早いからもう寝なさい」


「蒼さんこそ、早く寝ててもいいのに」


「なんだか緊張しちゃってね。眠れないからいっそのこと、起きてればいいと思って」


そんなことを言って笑っていた蒼さんは、さっき着替えて境内に向かって玄関を出た。

たぶん、ご神前に神様の食事をおすすめしに行ったのだと思う。

あの感じだと、蒼さんはほとんど寝ていないんじゃないかな。

そんなことをぼんやり考えながら湯舟に浸かっていると、玄関から誰かが入ってくる物音がする。

蒼さんが忘れ物でも取りに来たのかな。

のんきにそんなことを思っていると、今度は女性の声だ。


「誰かいるぅー?」


ビオラか?

ちょっ、待て。お前早すぎるだろ。ってか、この状態の俺を見られるわけにはいかない。

足音が浴室に近づいてくる。

やばい、やばい、かなりやばい。

あいつは遠慮ってものを知らないのか。


「いるのぉー?」


全く遠慮することなく、浴室のドアを開ける。


「あら、紫音なの。モブさんじゃなかった」


ビオラと同じブロンドの髪だが、ビオラではない。

そこに立っていたのは、俺のリリ婆ちゃんだ。

海外旅行帰りのリリ婆ちゃんは、大きめのTシャツにスリムジーンズ、そしてサングラスと決め込んでいる。


「ば、ば、婆ちゃん?」


「ふふ、お久しぶりね。ただいま紫音、元気だった?」


サングラスを外すと、リリ婆ちゃんの青い瞳が輝く。

婆ちゃんといっても、異世界人というのはなかなか老けないらしく、見かけは実年齢よりかなり若々しく見える。


「いつ世界旅行から帰ってきたの」


「今よ、今。だって、今日は大事な例大祭でしょ。この日に合わせて帰って来たのよ。ところで、モブさんはどこなの」


「爺ちゃんは・・・話せば長い。俺、のぼせるから風呂を出たいんだけど」


「何恥ずかしがってんのよ。あなたのおしめを替えてやったのはわたしなのよ」


「お願いします。いろいろ恥ずかしい年ごろなんで、向こうで待っていてください」


「もう、しょうがないわね。いいわ、境内の方へいけばモブさんはいるんでしょ。行ってくる」


それも、いろいろと事情があって・・・と説明しようとしたが、リリ婆ちゃんはすでに玄関に向かって走って行った。

そんなにモブ爺ちゃんに会いたいのなら、どうして一人で旅行に行ったんだ。

あぁ、社に行ったら異世界に行ったまま帰ってこなかった自分の息子と涙のご対面だ。

蒼さんが例大祭で初めて神職を務めるという大事なときに、リリ婆ちゃんが帰ってくるってサプライズすぎないか。

長く留守にしているんだから、状況は変わっていることを前提に動いて欲しい。

リリ婆ちゃんがいない間の出来事を説明するのはだるい。

だるい仕事は蒼さんに任せて、俺は朝食の準備でもするか。

どうせ、ビオラもクロードもルイも、境内で婆ちゃんに見つかったらいろいろ説明しなきゃいけないだろうし、朝食を準備できるのは俺しかいないだろ。


境内の方から「きゃー」というリリ婆ちゃんの声が台所にまで聞こえてくる。

蒼さん、大丈夫か。

どうか頑張ってください。


お椀にみそ汁をよそったころ、蒼さんたちとリリ婆ちゃんが戻ってきた。


「ビオラちゃんでしたっけ」


「はい」


「あなたをどこかで見たような気がするわ。どこかで会ってないかしら、わたしたち」


「いえ、わたくしは初めてお会いします」


「そうよね。でも会ったような気がしてならないの」


他人の空似だろうとツッコミたくなったが、そんなことをしたらそうじゃないって言い返されそうだから、ここはぐっと堪える。


「何か言いたげね、紫音」


「別に」


「さっきから思ってたんだけど、あなたその頭どうしたの。銀髪に染めるなんて校則違反じゃないの」


まずい。風向きがこっちに変わった。

ここは、モブ爺ちゃんの話でもして話題をそらす作戦で行こう。


「爺ちゃんはきっと婆ちゃんに会いたがっているよ」


「え、やっぱりそう思う? しょうがないわね、お見舞いに行ってさしあげるわ。

モブさんの好きなプリンでも持って行こうかしら。じゃ、ちょっと行ってくるわね」


「え、もう? まだ面会時間には早いんじゃない?」


蒼さんが俺に小声で言う。

(止めるな。行かせろ)

恐いよ蒼さん、ここで言霊を発しないで。

リリ婆ちゃんは、朝食にはほとんど手を付けないまま、愛する爺ちゃんがいる病院へと飛び出した。


 午前九時頃になると、氏子の皆さんがぞろぞろと集まり始めた。

総代の岩佐さんやどこかの社長さんとか、役員の方々と雅楽を演奏してくれる方々などだ。

昨日まで嵐の後の復旧作業をしてお疲れのところなのに、全員集まってくださった。

この集落の結束力の強さはハンパじゃない。

俺は皆を拝殿に案内して着席していただいたき、自分の役割である司会の席に着く。


「只今より、夏の例大祭の神事を執り行います」


いつもモブ爺ちゃんの助手を務めている俺は、慣れた手つきで太鼓を打ち込む。

この瞬間が自分でもかっこいいと思っている。


「まず、修祓(しゅばつ)の儀」


蒼さんが緊張した面持ちで、神前に移動しお辞儀を二回。


「ご一同様、ご起立の上、頭をお下げください」


蒼さんが祓詞の奏上を始める。

蒼さんの声は良く通る澄み切った声で聴いていて気持ちがいい。

モブ爺ちゃんとはまた違う、真っすぐに伸びる青竹のような清々しさがある。


「お直りください」


次に蒼さんは、が 榊を持って順番にお祓いしていく。


「お祓いをしますので、頭をおさげください」


こんな風に神事は進んで行く。

蒼さんの祝詞奏上は術も使っていないのに、拝殿は神聖な空気に包み込まれる。

とても不思議な時間が流れていた。

雅楽を演奏してくれる方々も毎年同じなのに、今年はどこか引き込まれそうな演奏に聴こえてくる。


「以上をもちまして、夏の例大祭の神事を執り納めます」


蒼さんが執り行った例大祭の神事は、とても神秘的だった。

俺もあんな神主になりたいものだ。


神事が終わると、蒼さんは社務所で椅子に座ったままじっとしていた。


「お疲れ様でした。何か飲む?」


「ああ、水をくれ」


いつだったか、俺に式神を見せてくれた夜と同じ会話のやりとりに思わず笑ってしまった。


「何がおかしい。紫音、お前は余裕だな。わたしは、わたしは・・・緊張したぁ!」


「え、そうなの? 全然そうは見えなかった。とてもよかったよ」


「本当か? 実は手が震えていたんだ」


極度の緊張からまだ復活できないでいる蒼さんの手に、ペットボトルの水を渡した。


「俺、蒼さんみたいになりたい。何年かかるかな」


「楽しみだな。ところで、こんなところでゆっくりしていていいのか。

次は巫女神楽じゃないか。ビオラちゃんを応援しに行ってやれ」


「あ、いけね。そうだった」


慌てて社務所を出ると狩野が俺を待っていた。


「斉木、行くぞ。神楽殿の横に姉ちゃんとビオラちゃんが待機してる」


「おう、昨夜はお疲れさん」


「昨夜っていうか今朝だけどな」


俺も狩野も寝不足のはずだが、巫女神楽を見るためにワクワクしながら神楽殿に向かって走り出した。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る